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軽大会を終えて



 軽大会は、6日・7日二日間、豊田スタジアムにて無事終了いたしました。


天気にも恵まれ、沢山の皆様に楽しんでいただけたと思います。


2日間のご来場は

6日(土)  1、373名
7日(日)  1、773名
 
合計    3、146名


ご成約

6日 23台
7日 28台

合計 51台

その後の一週間で、継続商談よりの、ご成約見込み・・・約 30台

第2回「軽大会」 合計ご成約予測  約  80台

以上のご成約成果が期待できますのも、協力くださった、軽自動車ディーラー各社及び
協賛出店してくださった、皆様のおかげと感謝いたしております。

ありがとうございました。


2日間、会場にいて、ユーズネットグループのスタッフの献身的な行動が心に残りました。

前線の営業スタッフのみならず・・・
うしろでがんばった、スタッフ・・・

ありがとう!
こんなに、すばらしいスタッフに恵まれた、ユーズネットグループ・・・

「日本一」のスタッフと仕事が出来る幸せをしみじみ感じた、「軽大会」でした。






軽大会

対前年、マイナス、1台!

我がユーズネットグループの、9月度の販売台数は残念ながら、前年をクリアーできませんでした。

今週の、6日(土)・7日(日)に、豊田スタジアムで開催する、第2回「軽大会」に期待がふくらみます。

前回開催した時にアンケートにて、沢山の声をいただきました。

〇 各メーカーの軽自動車を、一度に見比べることが出来て、非常に良かった。

〇 今回は時期ではなかったが、近じか買い換えたい、次はいつ開催するのか。

〇 定期的に是非開催してほしい。

軽大会が、お客様に支持されていることが、アンケートから、直接お客様の声から伝わってきました。

ここ2.3年、お蔭様で順調に伸ばさせていただいた販売台数に、今年になって変化が見えてきました。

今年になって、前年割れする月が、9ヶ月のうち2~3ヶ月、見られるようになってきています。

地域のお客様の、大きなご期待と・・・
ユーズネットグループの現在の事情から、軽大会に大きな期待がかかる訳であります。


今日の、業界紙、及び経済紙に本年上期と、9月単月の国内及び、愛知県の新車登録台数が載っていました。

● 本年国内、上期4~9月・・・・74(昭和49)年に次ぐ低水準!

● 愛知県、 上期4~9月・・・・10%減(対前年)減少幅全国上回る!

         軽も苦戦・・・・9月単月は、14%減
         (但し・・愛知県のスズキは2・5%増  ダイハツは3・4%増)

  国内の新車(普通車も軽も)は売れていないが、愛知県では、スズキ・ダイハツの軽は善戦しているということでした。

同時期の当グループは・・・スズキの軽が、前年比、30%プラス、ダイハツの軽が、25%プラスにはなっています。

が、しかし、残念ながら、普通車の中古車はマイナスになってしまっています。

と言う事情もあり、「軽大会」は絶対成功させなければなりません。


第2回、軽大会は、今週末、6日(土)・7日(日)二日間、豊田スタジアム、西イベント広場にて・・・
                                         お待ちいたしております。

 



屋久島

「お話があります。困っています。コ・子供が産まれるんです。」


予定日は、来年1月、あと5ヶ月とのことです。

昭和54年2月に、募集張り紙を見て、入社してくれた、男性1号スタッフのKクンです。

「社員募集、重労働・低賃金に耐えられる人」と書いた張り紙を見て、入社してきました。

Kクンが私に話したのは、入社して、半年後の朝でした。

「困ることなんか無いじゃないの、おめでとう”じゃない?」

それが、彼女の親には、まだ話してなく、話せば、「すぐ帰って来い”」と、ど叱られる!と、小さくなっていました。

彼女の実家は、鹿児島県の屋久島で、漁業を営んでいるとのことでした。

「よしわかった。俺が一緒に行ってあげるから、彼女と準備をしなさい。」

当時の当社の状況は、くるまを売ることが出来るのは、私だけ・・加えて、多大な借金で、文字どうり「火の車」
の状況でした。

急ぎ準備をし、旅費も何とか工面して、3日後には屋久島の空港に降り立つことが出来ました。

実家は、屋久島の南端、「中間」と言う部落にあり、家の前がすぐ海岸でした。

海側には扉はなく、板縁からあがらせてもらいました。奥に、ござが敷いてありそこに6人用の座卓がおいてありました。

奥側左にお父さん、右にお母さんが座られました。

ゴザに額をすりつけて、まず、監督不行き届きをあやまりました。

Kクンはこれからが期待できる好青年。今後は力を合わせて立派な会社にします。どうか、結婚と豊田での生活を認めてほしい。とお願いしました。

びくびくしながらでしたが、さすがに、娘さんの大きいおなかを前にして、だめとは言われず、すべてを許してもらいました。

その夜は、ゴザの上に布団を敷いてもらい休みました。
直接聞こえる波の音がとてもさわやかに思えました。

その翌日になり台風が接近していることを知りました。今夜、屋久島直撃との予報でした。

とびらのない、あけっぴろげの家に、板を打ちつけたり、家の外のものを片付けたり、台風に備える準備を手伝いました。

その夜、予報どうり台風は直撃でした。早々に停電になりました。

真っ暗な中、荒れ狂う波・・風の音・・雨の音・・とても寝付ける状況ではありませんでした。

翌日の飛行機は欠航になってしまいましたが、何とか役目を果たし、1日遅れで豊田に帰ってきました。


Kクンの結婚式は、急ぎ12月に行われました。

そして、1月か2月に長女が無事誕生しました。

その後Kクンは、岡崎店の店長を最後に退社してしまいました。
岡崎店の業績がいまひとつで、私が厳しい言葉で追い詰めてしまったのが原因だと思います。

もっと、スタッフを思いやる、やさしい指導が出来なかったかと、反省しております。
Kクンの退社から多くを学ばせてもらいました。


あの時の、長女は、今、27歳です。
結婚して、子供さんにも恵まれたと、うわさに聞きました。
Kクンも、今では、いいおじいちゃんになっていることと思います。


今だから言えることでした。

















還暦祝い

昨夜、「山路」で、私の友人二人の合同還暦祝いをしました。

以前豊田で、おのおの別々の仕事をしていた二人ですが、二人とも今でも「山路」のファンです。

千葉からと名古屋の守山から一泊で来てくれました。


昨夜の二人の笑顔は、「還暦」の文字どうり、童顔そのものでした。

二人とも、豊田で仕事をしていた、数年前の、あの・・厳しい、鋭い顔の名残は、少しもありませんでした。






















一夜明けて・・・
今日は、「山路」のゴルフコンペでした。還暦のお二人はわたしと同組でプレーしました。

懇親会の席で、参加者を代表しての、豊田生協の金井専務の言葉が心に残りました。

「山路」は今や豊田を代表する、存在感のある店になった・・・本当にそのとうりだと私も思っています。

いい出会いがあり・・・・・残念ですが、いつかは別れが来ます。

でも、お蔭様で、いつまでも「山路」が、心の故郷になってくれて・・又集うことが出来ます・・・

私は、今回還暦祝いをさせていただいた、お二人より5つ先輩です。

これから、団塊世代の人たちがどんどん還暦を迎えます。

今回のお二人を初め、後に続く「後輩」のみなさんにとって、大変おこがましいですが・・・
良きお手本としての自分にならなければと、思っております。

今、お手本にと言えることは・・・

健康で・・生涯青春・・常に前を向いて、と言うことでしょうか?







視聴用CD

ある通販会社から、視聴用のCDが送られてきました。

ムード歌謡・ベストコレクション200曲・全12巻のうち、5曲が試聴できる、CDでした。

早速、聴いてみることにしました。

最初の曲は、「東京ナイト・クラブ」フランク永井と松尾和子・2曲目は「赤坂の夜は更けて」和田弘とマヒナスターズ
3曲目は、「港町ブルース」森進一、「伊勢佐木町ブルース」青江三奈

5曲目は、「有楽町で逢いましょう」フランク永井でした。すべて、昭和30年代後半~昭和40年代の曲でした。

たった15分の、しかも試聴用CDに、私は、どんどん吸い込まれてしまいました。

曲を聴きながら、私は、すっかり、あの頃にタイムスリップしていました。

胸が熱くなり・・涙がこみ上げてきてしまいました。


















名古屋の繁華街、東新町の「ナイト・クラブ青い城」で・・・

キャンドルライトのやわらかい灯りのもと・・・

ブランディーグラスを両手で暖めながら・・・

ムード曲にお洒落な、大人のひと時を、味わっていたものでした。

忙しかったあの頃・・でも、充実していました。


あの頃の、私を熱くしてくれた、あのムード曲が、200曲・・・

全12巻・・¥28、900-すぐ購入を決めました。


私に視聴用CDを送り、ここまで熱くさせてくれた、「通販会社の企画力」は、すばらしいと思いました。

お客様に熱くなっていただけるような・・・・・・・ご案内・お知らせ・・・・・・

学ばせていただきました




今だから言えること・第7弾

「あなたのお店に勤めている、O君を逮捕します・・・」


今まで当社には、いろんな人がスタッフとして入り、そして出て行きました。

でも、社内で逮捕されたのは彼だけでした。


今から28年前・・・・

当時の当社は、販売台数がどんどん伸びておりました。

「雇っていただけませんか?」まだ二十歳位の小柄な感じの良い子でした。

履歴書と免許証、そして彼の感じの良さのみで、採用を決めました。

名古屋にいて、こちらでは住むところが無いとのことでアパートも手当てしました。

「住所を変えて住民票をください」と言っておきましたが、なかなか持ってきません。

きつく催促してやっと住所が変わりました。

住所が変わって数日後に、あえなく、「社内での逮捕劇」となってしまいました。

名古屋にいた頃、同居していた男友達の健康保険証を使ってサラ金10社程から
借りれるだけ借りて、ドロンをしてきたのでした。

以前自衛隊にいたとかで非常に行動的で快活な子でした。
私が、O君と呼ぶと、「ハイッ」と快活な返事と共に、両手を腰にきちっとあてがい、
必ず駆け足で来てくれました。私はO君が大好きになりました。

逮捕後警察から連絡がありました。
金融会社各社と、名前を使われた友達は、「勤務先がお金を立て替えてくれれば告訴を取り下げる」
とのことでした。

本人からは「助けてください・・・お願いします!お願いします!!」の手紙も届けられました。

私は名古屋の町の金融やさんを、お金を払いながら回りました。合計170~180万円だったと思います。
苦しいときでしたが、彼のために・・・が、自分にとって、とてもさわやかな気持ちにしてくれました。

その後、1年か1年半で、立て替えたお金は、がんばって返してくれました。

そして間もなく残念なことに、彼は実家へ帰ると言うことで退社してしまいました。

実家のある神奈川県で運送会社に就職したとの手紙が最後でした。

その後の連絡はまったくありません。


両手を腰に駆け足をしている・・彼が・・今でも懐かしく思い出されます。


今だから言えることでした。









今だから言えること・第6弾

平成12年9月11日・この日、当地を豪雨が襲いました。

東海豪雨でした。

当社の西の展示場(現在の、ユーズネット錦)が、すっかり、濁流に浸かってしまいました。

すぐ西を流れる、安永川が氾濫してしまったのでした。

その日、夜11頃、心配で、見回った時は、一番低い位置の車でもタイヤ幅の半分くらいでした。

これくらいなら大丈夫、と思ったのが大きな間違いでした。

うとうとして、激しい雨の音で目を覚まし、恐る恐る展示場を見てびっくり!

な・なんと!<strong>屋根が少ししか見えていないくるま・・・窓の半分までつかったくるま・・・

もう手のつけようがありませんでした。
 
お客様から預かったくるまが30台ありました。

買っていただいて、お渡し待ちのくるま・・車検でお預かりしたくるま・・修理でのお預かりのくるまなどなど・・でした。

展示していた、中古車も20台~30台水に浸かってしまいました。

お客様のくるまをどうしようか・・・一番の悩みでした。

ちょうどその頃、雪印が不祥事を起こし、経営者の姿勢が厳しく問われていました。

そうだ、天災とは言え、お客様にとっては大切なくるま・・・

決断しました・・・買っていただいてから何年経過していようが、買っていただいた値段で引き取ろう・・・

その中には、200万円で買っていただき、5~6年経過していたくるまもありました。

計算したら、お客様のくるまのみで、約3、000万円の負担になります。

ちょうど、この年の秋に、ユーズネット豊田北、翌年1月に、ユーズネット美里の出店計画とかさなってしまいました。

「こんな時期だから、2店の計画を白紙に戻すべきではないか」・・・お金はどうする?・・・大変悩みました。
 
被害にあって、悩んでいた私のところに、朗報が届きました。

豊田市から、水害の被害を受けた企業に緊急融資の話でした。

感謝をしながら融資を、3、000万円受けることになりました。

難産ではありましたが、おかげさまで、ユーズネット4号店のユーズネット豊田北、5号店ユーズネット美里は産まれました。

今ではこの時に産まれた2店が核となり、ユーズネットグループは成長することが出来ました。
 
緊急融資で早い対応をしてくれた、豊田市にいまでも大変感謝しております。


豊田市民にとって無くてはならない、良い会社にすることが、「恩返しになること」と思っております。

今日は9月11日、あの日からちょうど7年の今日・・・

・・・今夜も、あの日を思い出させるように、雨が激しくなってきました・・・・

もう、浸水はまっぴらです・・・・


今だから言えることでした・・・・


















5パット!!!

台風9号の接近により、今日の天気予報は、朝から雨、午後は暴風雨・・・

今日は、中京ゴルフ倶楽部の取引先のコンペ、SUPPORTERS CUP 2007 に参加させていただきました。

心配した程の悪天候ではなく、小雨が時折・・程度でした。

天気は、予報がはずれ、まぁまぁでしたが、スコアーの予測はもっと大きく外れ、大荒れでした。

INスタート、10番ミドルホール・・・まず2オン、10ヤードほど上につけてしまいました。

結果は、2オン・5パット、7でなんと3オーバーでした。

ゴルフを始めて、10年半になります。

月に3回ゴルフをしたとして、約、360回のラウンドです。

その360回のラウンドで、5パットは記憶にありません。(ホールイン、ワンは1回ありました)






5パットは、ホールインワン以上に・・・

珍しいことなのです。



スコアーは当然、メタメタでした。


人生最後のくるま

「くるまをかえようと思っているんだよ。今度が最後のくるまになるなー」
今日来られたお客様の言葉です。

20年以上お付き合いをいただいた、私と同じ年(今年で65歳)のお客様です。
この「最後のくるま」と言われると、とても寂しいです。

ご自身で、「最後のくるま」と言われる、お客様の年齢は、若い人で60歳少し前です。

逆に御家族から、くるまに乗らないよう説得され出すのは、70歳を越してからが多いです。

ローン会社が、高年齢を理由に、引き受けに難色を示す、又は子供さんを保証人に要求してくるのは、75歳くらいからのようです。

当然「最後のくるま」になってしまうのには個人差があります。

私の記憶では、93歳まで事故無く、軽トラックに乗っておられたお客様がありました。

私のくるまは、2年前に買い換えました。
又、2~3年経てば、買い換えたいと思っています。
これが「最後のくるま」とは思ってもいません。

私が周囲に心配されて、乗るのをとめられてはいけません。
だから、心身共に健康でなければいけません。

「最後のくるま」と言われる年齢を、私が率先して引き上げなければ、と今は思っております。


くるまのある人生を少しでも永く楽しんでいただく・・・

これが、くるまを扱うユーズネットグループの、リーダーとしての大きな役目だと思っております。



地元って?

自宅の近くに、一年ほど前喫茶店ができました。
そのお店は、自宅からの出勤途上にあり一度は寄ってみたいと思っていました。

お店の名前は「すぎうら」と言います。
生まれ育った「地元」の喫茶店・・・「懐かしい何かを」・・期待して入ってみました。

日曜日の朝と言うことで、「地元」の若いご夫婦数組で賑わいを見せていました。
一人も知った地元の顔はありませんでした。お店の人も知りませんでした。
当然、私が求めた・・・「懐かしい何か」・・のかけらもありませんでした。

コーヒーを黙って飲んで、お店を出ました。
名古屋市内とは言え、東の一番外れの喫茶店・・コーヒー¥480はとても高く感じました。
生まれた、育った、今も住んでる、だけで、そこは私の「地元」ではなくなっていました。





一週間前に立ち寄って寂しい思いをした「喫茶店」の斜め前に、華厳宗「聖願寺」と言うお寺があります。
私の小学校時代の同級生が住職をしております。

住職は地元では人望が厚く、ご自身が住職になられてから檀家をたくさん増やして、とても忙しい人と聞いていました。
お寺へ行けば住職に会える。懐かしい本堂へあがってお参りしよう・・・

参拝者用の砂利の駐車場に車を止めて、本堂へ向かおうとして、変な気持ちになりました。
屋根つきの立派な駐車場が2台分あり、レクサスともう一台は最終型のセルシオ両方とも黒いくるまでした。
きっと、住職のくるまと、ご家族のものでしょう。

本堂の前に立って、また、変な気持ちになりました。
木造だった本堂が、コンクリート作りになっていました。
山の中にあった、「地元」の懐かしい・・あのお寺の筈が・・・


小銭入れの中に、1円玉・5円玉・10円玉・50円玉・100円玉・500円玉いろいろ入っていました。
お賽銭箱には、「5円玉」を入れました。
それ以上は私の気持ちが許してくれませんでした。


場所は確かに同じ場所・・・

地元の、あのお寺が・・・

どうにも納得できない、そういう私は、すっかり・・「地元の人」ではなくなっていました。


地元
と思っていたところが地元ではなくなっていました。



自分はよそから来た、「しんざんもの」と思っていた豊田市が、私の「地元」なのでした。





8月31日

8月31日は私の誕生日です。

幼いころ、この日は一年で一番いやな日でした。夏休みが終わってしまう日なのです。

でもうれしいこともありました。母親が好きなものを食べさせてくれました。

〇  どんぶり一杯の、サトイモの煮っ転がしの年

〇  イカ一匹丸ごとのしょうゆ焼きの年

〇  きんぴらごぼう腹一杯の年

〇  さんまの塩焼き丸ごと一匹の年

〇  ライスカレー腹一杯の年
・・・・・・・・・・・・・ 9月1日は、毎年下痢の日でした。でも良い思い出でした・・・・・・・・・・・・


株式会社ルートの決算は8月31日です。

常に不足感の強い私は、決算日を迎えて満足な気持ちになったことは、過去一度もありません。

今期もおかげさまで、当初立てた売り上げ、利益の最低目標はクリアーすることが出来ました。

でも、「・・・タラ ・・レバもっと・・なっていたのに・・・」たら・ればで、満足感はまったくありません。

見方・思い方を変えれば、非常に満足できる結果のはずなのです。



今年の8月31日は、        満足と感謝の誕生日          にしようと今は思っています。



その満足と感謝の中から、今期の反省と来期の目標を構築して行こうと思っています。

食糧難のときに、おいしいものを腹一杯食べさせてくれた、亡き母親はじめ先祖に感謝!

一年間、厳しい毎日に耐えてくれたスタッフに感謝!

毎日を支えて下さったお取引先に感謝!

そして、たくさんのお客様に感謝!


よし!来期もがんばるぞ!!!





今だから言えること・第5弾

「●●さんが、四国で死亡事故を起こしました。」


車が横転して、同乗していた女性が社外に放り出されて、車の下敷きになって亡くなった・・・

忘れもしません。昭和53年8月・・トヨタ自動車の夏休みの出来事でした。

当時のルートは、スタッフなし、私一人ですべてをこなしておりました。

あの日、夕方までの1~2時間、親しい人に留守番をたのんで、書類の仕事か、仕入れのため、外出しておりました。

●●さんのお車は、翌日がお渡しの予定で準備はできておりました。

当時のルートは、自動車保険の代理店資格は無く、保険加入はお金のみ預かり、正規の代理店にお願いしておりました。

対人1億・対物200万・搭乗者傷害500万という内容でお金は事前にお預かりしておりました。

お渡し予定の明日、保険の加入手続きはお願いしようと思っておりました。

留守番の人の報告も無く、そのお客さんが乗って行ったなんて思ってもいませんでした。

翌日の朝・・「●●さんが死亡事故を起こした!」と言う代理人からの電話でびっくり!!

まさかと思って、裏へ車を確認に行き、初めて乗っていかれたことを知り、血の気が引きました。

「500万円の搭乗者保険に加入しているはず。すぐ手続きをしてほしい・・・」

保険加入が出来ていなかった旨をはなし、平謝りの上、何とか月々の支払いで堪忍してもらうのに1ヶ月を要しました。

この一件が無くとも、当時の自分にとっては、天文学的金額の借金を負っていました。

その上、搭乗者保険の賠償分、月々 170、000円、30ヶ月払いが、づっしりと、のしかかりました。

「憂きことの、尚、この上に積もれかし、限りある身の力試さん」

この事故の約半年前、どうにもお金が回らなくなり、亡くなった母親に、お金を借りに行きました。
(後でわかったことですが、当時母親は、3、000万円以上持っていました。)

その時母親は、頑として1円のお金も貸してくれませんでした。でもお金のかわりに、この言葉をくれたのでした。

これは、江戸時代の、熊沢蕃山という人の言葉だそうです。

この、憂きことの・・・を唱えながら歯を食いしばったものでした。


あの時の、私のつらかった経験から学んだ、保険に対する心がグループ全体に受け継がれております。

そして、今では・・・
くるまは、ユーズネット・・・保険もユーズネット・・・として、お客様に安心をしていただいております。

今朝、母親のお墓参りをしてきました。
私に力を与えてくれた、「憂きことの・・」に改めて感謝をささげました。

今だから言えることでした。


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