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今だから言えること・第3弾

私の席の後ろに、犬の写真が飾ってあります。

昭和54年2月にお客様から生まれたばかりのオスの小犬をもらってきました。

ナッキーと言う名前をつけてもらいました。

いじめたり、可愛がったり、自分自身の気分で付き合っていました。

お風呂も一緒に入りました。嫌がっていたようですが、きれいに洗ってあげました。

そして、夜はいつもいっしょの布団で寝ていました。

でも必ず朝になると彼は布団の外にでていました。

きっと、私のねぞうが悪かったのを嫌ったのだと思います。

夜、喫茶店や食堂へ残飯をもらいに行っておりました。

残飯をもらって帰ってくると、しっぽを振って、喜んで食べてくれました。




昭和54年2月生まれ


平成5年8月11日没、享年14歳





当時「ルート豊田」と言う名前で、貸し店舗の前に数台のくるまを並べて営業していました。

くるまの整備は、店舗裏の空き地でしておりました。

裏で整備をしている時に、お客様が来られてもわかりませんでした。

昼間、ナッキーは事務所の中にいてもらいました。

お客様が来られたら「わん、わん」と、吠えて知らせてもらうように教え込みました。

私が事務所の中にいる時は絶対に吠えないようにする。

私が外にいて、吠える声を聞いて事務所へ入ったら吠えるのを必ず止める。

私がお客様と商談している時は、伏せているようにも教えました。

ナッキーは犬とは思えないほど利口でした。

ナッキー本人も自分が犬だとは思っていなかったようです。

その彼が亡くなる少し前に、住み慣れた貸し店舗を壊して、今の店舗を作り、引越ししました。

新店舗に彼はなじめず、嫌がっておりました。

環境の変化が元で、以前から患っていた癌が進行して、間も無く亡くなってしまいました。

亡くなる前日の夜、「くーん・くーん」と私を呼びました。

頭を抱いてやるとほっとするのか泣き止みました。その夜は一睡もせず彼を抱いていました。

抱いてやりながら、ナッキーとの14年間を思い出し、涙があふれて止まりませんでした。

ナッキーの目からも涙があふれていました。

次ぎの日は私の長男の結婚式でした。

朝心配しながら来てくれた苅谷部長に後を頼み、後ろ髪を引かれる思いで結婚式に臨みました。

ナッキーが亡くなったと聞いたのは結婚式が終わった後でした。

長男の結婚式に、仲人がドタキャンと言う前代未聞の、考えられないことがおきました。

結婚式はなんとか、代理の仲人で、とどこうりなく終えることは出来ました。

今思えば、ッキーが亡くなる時、必死に私をそばにいさせようとしたのだろうか?・・・・

今年8月11日・・・
15回忌を迎えるに当たり、天国のナッキーに改めて、感謝の意を届けたいと思います。

合掌



人件費も払えない、苦しい時、犬に「店番」をしてもらっていた!


今だから言えることでした。



少 子高齢化に歯止めを・・

今日、ホテルフォレスタで結婚式があり、出席させていただきました。

6月12日に結婚披露ゴルフコンペを、京和カントリーですまされた、カップルです。

新郎は私と同年齢の64歳・・・ 新婦は昭和48年生まれの33歳です。

ご参加の知人・友人は55歳以上、70歳位のかたばかりでした。

○「おい、今日は、還暦のお祝いか?」

○「今日ネクタイを黒いのと間違えてしてしまった!気がついたでよかったけど!」

○「俺なんか、礼服のポケットに数珠を入れて来てしまったぞ!」

我々の年代になると、礼服着用の機会は、葬式10に、結婚式1くらいの割合になっています。

●知人のあいさつです。「あと短い人生ではありますが、末永くおしあわせに・・・」?なんかおかしかったです。
でも、実感がこもっていました。冗談だったのでしょうか?

●別の方は、「新郎はライオンズクラブでいろんな奉仕活動をしてこられ・・・・その奉仕の心が、今、日本で問題になっている、少子高齢化に歯止めをかけなくては、と言う、気持ちになったのでしょう。」
「未来の日本に奉仕・・・? 本当かいな?」は私が思ったことでした。

●ある来賓の言葉です。「われわれ世代に夢をあたえてくれた。」「やれば出来る。」
「少し前、上原 謙は70歳で子供を作った。新郎も、上原 謙の年を越すまで頑張れ!」

新郎はわれわれ60歳代に夢を与えてくれました。





おめでとう・・・

60代は、心の持ち方で、
青春真っ只中



少子化に歯止めを・・・

末永く、お幸せに・・・・・・


おいでんまつり

今年も、「おいでんまつり花火大会」の日がやってきます

貸し店舗のお店で、一人で営業していた、昭和53年夏に始めて豊田の花火を見ました。

同業の提供する花火に、悔し涙を流しながら、 「今に見ていろ!俺は仕掛花火を出してやるぞ!」・・・・・・・当社の仕掛花火が現実になったのは、悔し涙のあの日から、15年を要しました。

そして、今年で15回を数えます。

その間何度も止めようかと悩みました。

○バブルがはじけて、販売がひどく落ち込んだ時・・・・
○平成11年の豪雨で、展示場が浸水し、預かっていた車、商品車合計50台が被害にあった時・・・
他にも止めたいと思い悩んだことが幾度かありました。

そんな時、
「ルートは無理して~ いい格好して~」
「あの仕掛けは、1年か2年で終わる、線香花火だ!」
と言われた外野席の声が思い出され、歯を食いしばって今まで続けてきました。







プログラムを見ますと、ユーズネットの仕掛けは、7時44分とのことです。











ユーズネットを支え続けてくださった、創業来延べ約40、000台のお客様にまず感謝!・・・
そして、過去の苦労や悔しさを常に忘れず、強力なバネとして・・・
グループ60余名、力を合わせて未来へ羽ばたきます・・・

その心を花火に託して、・・・
ユーズネットグループは、明日の夜、矢作の川面を照らします・・・


今だから言えること・第2弾

二十何年ぶりに「ユーズネット豊田」へ来られたお客様は、必ずおっしゃいます。
ここは、昔「1日1万円値下げ」をやっていた、ルート豊田かね?と。
それ程「1日1万円値下げ」のくるまやとして浸透しておりました。



当社は創業から7年間、R248沿いの貸し店舗3店の北端の一店のみでの営業でした。

店舗は二階建てで、一階が事務所でその前の駐車場に4~5台並べて営業しておりました。

二階で私は寝起きしておりました。

小さな店で、超低価格のくるまばかりを扱っておりました。

月に3~4台の販売から始まり、創業4年で月に40台ほど売れるようになりました。

創業から6年経った、昭和57年の12月には1ヶ月で100台の販売を達成するまでになりました。

その間、いくら安いくるまと言えども、どうしても売れないくるまが出てしまいました。

安いくるまで、いつまでも売れなければ、解体屋さんで処分してもらうより方法はありませんでした。

何とかしなければ・・・と、いろいろ考えてやってみました。

○5円・10円の価格表示で売る。

○月が変る毎に、1万円づつ値下げしていく。

○10日ごとに1万円づつ値下げしていく。

○日曜日に、1時間1万円値下げもやりました。

◎そしてたどりついたのが「1日1万円値下げ」でした。

「1日1万円値下げ」を始めてから、長期在庫がなくなり、おまけに知名度も上がりました。
びっくりしたことに、ほとんど、赤字にならず3~4日で売れたことでした。
今日は何が出てる?いくらか?

通りすがりのくるまが急ブレーキを踏むことにより、頻繁に追突事故がおきました。

おまわりさんがどうして、ここでいつも事故が起きるのか?と、不思議に思っていました。

おまけに、事故を起こされた人に親切にすることによって、販売台数はどんどんあがりました。

おまけの第2に、事故で困っている人に親切なお店だと言って、警察官も何人か買ってくれるようになりました。

おまけ第3もありました「交通警察の運営に寄与」と豊田警察署長から感謝状をいただきました。

実は、事故を起こされた双方のくるまを見て、古いくるまの方を選んで大切に手助けしていました。

当時の私にとっては、新車を数年で乗り継いでいる人は、お客様予備軍ではなかったのです。

「1日1万円値下げ」は業界紙で紹介され全国で取り組まれましたが、3ヶ月も続いたと言うはなしは聞いたことがありません。

ユーズネット豊田は、新車にシフトするまで、約25年間続けました。
継続は力なり! どんな広告より知名度を上げる効果があったようです。

「1日1万円値下げ」で、タダになってしまったこともよくありました。
このくるまタダ!、諸経費のみ!

「もってけ!!どろぼう!!」 と、くるまに書きました。

今では、非常に懐かしく思い出されます。

今だから言えることです。





震度2

ユーズネット豊田の南隣、R248を挟んで、東と西で2・3日前から工事が始まりました。

こわして整地したのは一年ほど違ったのに、ほぼ同時に次ぎの工事は始まりました。

東のキャッスルあとは、マンション。

西の、アクセスあとは、輸入雑貨のお店だそうです。

完成すれば、ユーズネットの南側は一変します。



先週末から、2階の事務所は、工事の振動で揺れつづけています。

街がどんどん新しく変っていきます。

今月のユーズネット豊田の成績を見ていると、生まれ変る近辺に、ぽつんと、取り残されてしまうのではと心配になります。

いやいや、これから新しいマンションの住民が沢山くるまを買ってくださる筈です。

輸入雑貨を見に来られる沢山のお客様が、ユーズネットへも来てくださいます。

今、感じている震度2は、新しい街が出来る前の「胎動」と、思って次に備えたいと思います。

ユーズネット豊田を親として、子供・孫会社を10社産み、育てて、ちょっと肥立ちが悪いようです。

でも、今は、その後入社の新しい女性スタッフの活躍で、店には活気があります。

美鹿店長率いる、ユーズネット豊田の若い女性軍団は日々成長しています。

産後の肥立ちが悪いなんて言っていません。

きっと、新しい街の人気店、ユーズネットグループのリーダー店に成長してくれるものと、期待しています。

これから、毎日つづく、震度2は、

新しい街が生まれる、そして、新しい「ユーズネット豊田」に生まれ変る、心地よい胎動として、受け入れたいと思います。


今だから言えること・第1弾

私の生年月日・昭和17年8月31日・午年

最近、ブログを書いていますと、昔のことがよく思い出されます。
あんな事もあった、こんな事もあった
間も無く65歳を迎えるにあたって 「今だから言えること」
思い出すまま、書いてみたいと思います。


30年近く前になります。

お金と時間のなかった私でも、月に1度か2度は、大衆食堂へカップ酒を飲みに行っていました。
その日も、焼きそばと、1合の大関カップを、2・3杯飲んだと思います。
殿様のような気分になり、自分の店(創業した時の貸し店舗)までR248を歩き出しました。
たぶん、久保町のあたりで、飲んでいたと思います。

少し歩いたところで、はっと気がついたことがありました。
何と、どこからもってきたのか、大売り出し ののぼり旗を右肩にかついでいるではありませんか。
かついだまま気分よくR248の西側の歩道を、豊田警察前まできました。
そこへ、運悪くか、運よくか?パトカーが帰ってきました。

「ちょっと、署のなかへ入って」
「この旗は何処から持ってきたね?」

「わかりません・・・」

「あんた、どこのひとだね?」
「名前は?仕事は?」

「すぐ南で、中古車を売っています。名前は ・・・・ ・・・・と言います」

「このままだと窃盗になるよ・・」
「隣組の人だから、返せば無かったことにするから・・・」
「一緒にどこから持ってきたか、探しに行こうか?」
「さー、パトカーに乗って!」

まだ酔いの残っていた私は、パトカーにお客さんの気分になって、旗を返しに乗り込みました。

返し終わって、おまわりさんは、親切に私の店まで送ってくださいました。

窃盗で捕まらずにすみました・・・・・

「親切なおまわりさん、ありがとうございました。」

今だから言えることでした。


台風

今日、中日新聞の西三河版に、マイカーリース「スーパー乗るだけセット」の広告を出しました。
カラーの1ページ広告です。
掲載費用は・・・・百○十万円です。

半年前から、準備に準備を重ねてきました。
スタッフを集めての勉強会も行い今日からに備えました。
お客様にとって、非常にわかりやすく安心して新車に乗っていただける仕組みです。
スタッフも自信を持って今日を迎えました。

台風接近・・
今日は朝から雨です。
明日の日曜日、東海地方には、午前中に一番接近するとの情報です。
当然お客様の足が止まります。
「広告により、一気に沢山のお問い合わせ、ご来場で、スタッフがなれない説明で混乱し、お客様にご迷惑をおかけするより良いのでは・・」
「我が社にとって台風の接近は、文字どうり追い風かも・・」

何はともあれ、各地での被害が少ないことを祈りたいと思います。
そして、ユーズネットのマイカーリース「スーパー乗るだけセット」が当地に早く受け入れられますように・・・・・


沖縄

7月4日と5日の二日間、9名のスタッフと沖縄へ行ってきました。
軽自動車のマイカーリースで成功しておられる、西自動車さんに学ぶ為です。
西自動車さんは、8年前からマイカーリースに取り組んでこられた会社です。
大変勉強になりました。
いよいよ、ユーズネットグループも、今月14日の新聞広告から本格的にリースの販売を開始します。
このリースは、
軽の新車を、税金、車検、タイヤ、バッテリー、その他メンテナンスすべて含んで、頭金なし月々、1万円台から気楽に乗っていただこうと言うものです。
このリースは「スーパー乗るだけセット」と言います。
あまりの良い仕組みに、発売前から、お客さまの笑顔が目に浮かび、スタッフはわくわくしています。
お客様の笑顔とスタッフの喜び、そしてグループの繁栄と成長・・・・
私も非常に期待しています。

二日目は平和祈念公園へ・・・・・
「国立沖縄戦没者墓苑」で手を合わせてから、沖縄戦の激戦地であり、終焉の地でもある「摩文仁の丘」最高点に全員で登ってきました。
真っ青な空、コバルトブルーの太平洋、生き生きとした緑の丘・・・・
当時、血で染まった海岸には、おだやかな波が白くくだけていました。
素晴らしい景色を見ながら、「今の平和」に心のそこから感謝の気持ちが湧いてきました。

「おかげさまで・・」は、ユーズネットグループの社是です。
○ 日本、本土の防波堤として激戦で亡くなられた、24万の御霊に・・・
○ ユーズネットグループを担うスタッフに・・・
○ 今まで、そしてこれからも、支えてくださるお取り引き先に・・・
○ 31年間 延べ4万台のお客様に・・・

・・・・・「おかげさまで・・」の心で、合掌をさせてもらいました。


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