貸しを作る。
セールスになって、1年経ち、、、25歳になりました。
昨年の、秋は、ハワイキャンペーン最中の、急性腎炎で苦労をさせてもらいました。
2年目の秋は、打って変わって、他のセールスの人たちには申し訳ないほど、、
とても楽に、電話で、車の販売は出来てしまいました。
先に書いたように、競馬についていく・・・
お客さんの会社の、慰安旅行の運転手を頼まれる。
運転手が休んだからと、臨時の運転手をたのまれる。
収入が上がってきたので、お客さんの店でテレビなどを買う。
いろんなお店の商品の販売に協力してお客さんを紹介する。
すべてが、車の販売に結びつきました。
このようなことをしながら、とても楽しく仕事をさせてもらっていました。
マイクロバスの運転手として、社員旅行のお供で、九州・・北陸・・いろんなところへ行かせてもらいました。
結局、物を売ることを、仕事とするなら・・・
信頼できる・・頼りになる・・そして、世話になっている、と相手に思ってもらうことをする。
これがとても大切ではないかと、今でも思っています。
お客様に、挨拶では、「お世話になっています」と言いますが・・・
本当にお世話になる事が続いたら、お客様は離れていきます。
お世話にならず・・先にお世話をさせてもらうことが大切と思います。
セールスになって、2年目の、昭和42年が終わりました。
セールス1年目は、8月からでしたので、、
1年間の台数が集計されたのは、初めてでした。
その頃の会社には、150~160人ほどのセールスがいたと思います。
1番になったのは、私で・・年間で160台ほどだったと記憶しています。
2番の人は、110台ほどでしたので、年間で、50台ほどの差がついていました。
当時のトヨタ自販から、表彰されました。「自販表彰」と言っておりました。
足掛け、3年目に入って、昭和43年・・会社の成長と共に、直属の上司も良く変わりました。
係長は、4人目でした。
今までの係長とは、私は非常に馬が合い、楽しく仕事をさせてもらいました。
新しい係長は、私が一生懸命仕事で成果を挙げてきても・・・すべて、自分の成果のような発言をしていました。
そんな、係長を見ていて、「やれば、あいつの手柄か」と思うだけでいやになってしまいました。
そんな中ででも、台数だけは落とさないようにしていました。
今の仕事を続けても、、、、こうなりたいと言う夢はありません。
すっかり、どこかへおいて来てしまっていた、「自動車屋さんになりたい」と言う夢がまた出てきました。
この年の7月、わずか2年のセールス生活でしたが、ピリオドを打ってしまいました。
お客さんから、先に信頼を得る。
信頼されたら、先にお客さんのためになることをする。
先に貸しを作れば、必ず返ってくる。
私の販売の原点
又続き書きます。