縮められたバネ・・
昭和41年8月・・私は、23歳でした。
トヨタカローラ愛豊は、新車の販売を開始しました。
扱い車種は、空冷の2気筒、800CC パブリカ でした。
セールス未経験者に、あわただしく、研修が行われました。
会社へ帰ってきてすぐ、、
セールスかばんと、100枚×5箱の名刺、、
プラスチックの印鑑ケース、8桁くらいの小さなそろばんなどが配られました。
多くの先輩セールスから、スタンドマンの私は小ばかにされ、
悔しい思いをさせられてきました。
新人とは言え、やっと、平等に競える場を与えてもらったのです。
今までの悔しい思いをなんとしても実績で、晴らさなければなりません。
「強く縮められれば、縮められるほど、バネの反発力は、強くなる!!」
与えられたテリトリーには、かって私がいたガソリンスタンドも含まれていました。
会社が、配慮してくれたんだと思いますので、生かさなければいけません。
会社の指示は、先ず、名刺と簡易カタログを持って軒並み訪問しなさいでした。
人と同じことをやっていたのでは、人並みかそれ以下にしかならない・・・
みんなと同じ「軒並み訪問」に加えて、
スタンドのお客さんに対し「あいさつ訪問」をしました。
「軒並み訪問」ですと、100件訪問して、会話をしてもらえるのは、数軒しかありませんでした。
それに比べ、スタンドのお客さんはほとんど、はなしをしてくれました。それも笑顔で・・・
私は、他の人に比べスタンドのお客さんという財産を持っていると言う強みがあります。
先ず、60人程の新人の中では、恵まれているから、絶対勝てると自信を持ちました。
一週間ほど、同じように、「軒並み訪問」+「スタンドのお客さん訪問」を繰り返しておりました。
もう先輩セールスだけでなく、新人でも売れた人が出てきました。
自分は大丈夫だろうか?不安がよぎりだしました。
そんな頃、スタンドのおl客さんであった、小さな工具店を訪問しました。
「井上君、パブリカのセールスになっただってね、
聞いておったから、待っていたよ・・ちょうど1台車を増やそうと思っていたんだ」
この話に、うれしいより、「どうしよう・・何をどう話したらよいのか?」真っ白になってしまいました。
セールスとして、外を回る前に、何度もロールプレーイング(実戦形式の商談訓練)を重ねていましたが・・・
そんな訓練のように、話は進みませんでした。
でも、お蔭様で、お客さんの誘導と協力により、
何とか注文書に印鑑をいただくところまでこぎつけました。
時々頭が真っ白になり、手が震えて、何度も書き直した末でした。
ボールペンを握る手のひらは、汗でべたべたでした。
体中汗びっしょりになっていました。
買っていただいたのは、パブリカ、バンでした。
私の、車販売人生の、第1号車となりました。
この第一号車販売により、自分のダメさ具合が良く見えました。
車の説明は出来て、お客さんにその気になってもらえても、最後の詰めである、
クロージング(商談締結)がまるでダメと言うことが痛いほどわかりました。
商談内容に了解をいただいても、最終的に・注文書にサイン、印鑑をいただくことが、がまるで出来ない。
これでは、いくら商談がうまくても、車は売れません。
会社に帰りすぐさま、自分の強みと弱みを分析してみました。
強みは・・・・
スタンドのお客さんと、スタッフの協力がある。
弱み・・・・
全く商談なれしていないため、普通のお客さんの商談締結は出来ない。
この弱みを克服するにはどうしたらよいか・・・
結論は、「商談が煮詰まったら、その先は、上司に同行してもらうこと」が
今の自分にはベスト、と結論を出しました。
ベテランの上司の商談で実績に結びつけることと、
自分が上司の商談から現場で学べる、二兎を追う戦略で臨むことにしました。
8月は盆休みがあります。
会社の休みの日は、
スタンドに勤務していた時は休まなければならない日でした。
セールスは、休んでも良い日であって、休まなければならない日ではないのです。
並のセールスは休みを取っていたと思います。
訪問件数を増やすことが商談件数に結びつく・・・
休みの日も、他人との差をつけることができるチャンスでした。
休日の朝は、自宅で洗車している人が多く、
心を開いて、話を聞いてもらえる確率が非常に高かったのです。
上司に同行願って、商談を締結する・・・
このやり方で、どんどん、車の注文がもらえるようになりました。
注文をいただくと言うことは、その分、時間がかかり、
訪問件数が減ることになってしまいます。
訪問件数を減らしたら、次へつながらなくなる・・・
考えて、夜の訪問もふやすことにしました。
会社からは、6時から7時頃お疲れ様と挨拶して、又訪問に行きます。
夕方から夜は、しめる前の個人商店、
夕涼みをしている個人宅、の軒下・・・
夕方から、だけでも、10件ほどは 訪ねたと思います。
同僚にも上司にもナイショでした。
8月の締め切り前日までに、私の販売台数がトップになっていました。
12台でした。ところがその日、ベテランセールスに並ばれてしまいました。
万事休すと思い最終日は、あきらめて、デスクワークをしていました。
そこへ、私の友達から電話がかかりました。
「パブリカを買うんで今から行くけど、いる?何をもって言ったらいい?」でした。
笹戸温泉 「とうふや」さんで長いこと、支配人をしておられた、
丸田 昌生 さんが24歳の時のことでした。
今も親しくお付き合いいただいておりますし、
ユーズネットのお客様でもあります。
この丸田さんの、1台により、
私の販売台数は、13台になりました。
120人のセールスの中で、、、
新人ながら、1番になることが出来ました。
会社全体の8月の目標台数は、、
240台、一人平均2台、だったと思います。
この8月、私は、トヨタカローラ愛豊で、、
後々まで、「伝説の人」と言われるスタートを切ったのでした。
「自分の能力を、よく見極め
強みは徹底して生かし・・・
弱みの補完、修正を怠らない」
私の販売の原点
続き書きます。