自分は絶対やれる・・
「ドラムの魔術師」と呼ばれるほど、ドラム缶の扱いはうまくなりました。
21歳の夏でした。
トラックでオイルを配達する仕事を2年も、続ければ、当然うまくなります。
でも、慢心から、、、トラックの荷台から、うつ伏せに、落ちてしまい、
ひざを強打して、ひざの皿が割れてしまいました。
1・2ヶ月全く仕事は出来ない状態なってしまいました。
長いこと休み、何とか歩けるようになって、出社はしたものの、自分の仕事はありませんでした。
「とりあえず、スタンドで無理をしないようにやってくれ・・」で、
またスタンドへ戻されることになりました。
再度復帰したスタンドは、主任が変わっていました。森 と言う主任でした。
挨拶に行くと、「おー井上君、まっとたよ、気に入らんかも知れんが、
俺が是非と、指名してきてもらったんだよ・・」と言ってくれました。
私のやんちゃは、百も承知、きっと行き場がないから引き受けてくれと、
上に言われたのだとは思いましたが、とてもうれしく思いました。
最近、スズキのオートバイを買いましたが、森 主任も昔、
オートバイが好きだったそうで、とても話があいました。
一番うれしかったのは、私に良く仕事の話で、相談をしてくれたことでした。
石油ストーブが世に出て間もない頃でした。
11月のある日・・・
森 主任から、「会社で、トヨトミの石油ストーブの販売キャンペーンが始まる、スタンドへは一人5台あて、
10人いるから50台の割り当てが来ている。なんとしても達成したいから、俺に力を貸して欲しい」
と、話がありました。
その顔が、本当に私を頼っているように見えました。
そして、自分が頼られたことでとてもうれしくなりました。
物を売ると言うことで、うまくいった経験のない私ですので、自信はありませんでした。
でも、 「何とかしたい」 「いや・何とかしなければ」と言う気持ちが強くなりました。
スタンドで接客する、お客さんすべてに声をかけ販売を開始しました。
2ヶ月間の私の個人目標、5台は、3~4日で達成しました。
他のスタッフは、なかなか、進行しません。
一生懸命になっている主任が少し売れただけでした。
主任は私に、「井上君、頼りにしてるよ。5台で終わらんでくれよナ」
初めて物を売ると言う仕事で認められた私は、
「任せてください、スタンドの目標以上になるまで頑張ります」と言い切っていました。
もう私の頭の中は、ストーブ、一色になっていました。
自宅・親戚・友達はじめ、自分が利用しているお店は全部声をかけはじめました。
週末、鈴鹿の山へ登山に行った時など、山であった人にも、声をかけたほどでした。
親戚、友達などの協力を得て、出来たことですが、、
2ヶ月間で私個人のストーブ販売台数は、56台でした。
当然、スタンドの目標は大きく上回りました。
あの時の、森 主任のうれしそうな顔が今でも忘れられません。
私が頑張って、上司が喜んでくれる・・・初めての経験でした。
森 主任に言われれば、火の中へ突っ込め、水の中へ飛び込め、
全部やってしまいそうな気分になっていました。
その森 主任が、係長に昇進しました。我がこと以上にうれしく思いました。
昭和41年8月から愛知トヨタのグループ会社、愛豊でパブリカ800、の販売をはじめることになりました。
愛知トヨタのベテランセールスと、部品、サービス、油部門の新車販売未経験者の混成部隊、
120人ほどが、愛豊へ転出する、という人事に、森係長が、私を推薦してくれました。
「頼むよ、君を推薦した俺の目が間違いなかったことを証明してくれ”」が、私を送り出す言葉でした。
森 主任との出会いで、自分はすっかり変わりました。
そして、私は、新車の、セールスに転進しました。
「出会いで人生が変わる」
「せっかくの出会い、生かすも殺すも自分しだい」
「自分は絶対やれる・・つよく、つよく思うと・・
やる方法はかならず見つかる」
森 敏 さん 昭和10年生まれ愛知トヨタ入社すぐは整備を担当されその後、
スタンドを経験されてから、中古車販売で、豊田の寿町展示場の所長
新車の豊田・岡崎営業所長を歴任 定年退職後、身体を悪くされ、
残念なことに、3年ほど前にお亡くなりになりました。
・・・合掌・・・
私の販売の原点
続き書きます。