ハワイのお土産・・・
昭和42年があけました。。この年、私は、24歳でした。
1月早々から、ハワイへ行くための勉強会がありました。
● エレベーターとか乗り物では、後ろから、女性が来たら、「プリーズ」と言って先をゆずる。
● 風呂では、部屋へ水が流れ出てくるから、外では洗わない。
● ホテルの部屋から寝巻きで外へ出ない、廊下は公道である。
● トイレは水を流すようになっている。一回一回、確実に流すこと。
など・・など・・など・・当時の私は何も知りませんでした。
いろいろ勉強しましたが、新幹線にも乗ったことがない私には、びっくりすることばかりでした。
前日、品川のホテルへ集合して、一泊し、ここでも、実地研修が行われました。
昭和42年1月30日、、
パンアメリカン航空チャーター便にて、憧れのハワイへと旅立ちました。
機内での食事の豪華さと、お酒類の飲み放題には、ぶったまげました。
ワイキキのホテルは、ヒルトン、ハワイヤンヴィレッジでした。
ここで又、食事にびっくり!! 太い大きな肉(ステーキ)が、食べ放題!!
あの頃の自分には、食べ放題は(バイキング)は驚き以外の何物でもありませんでした。
椰子の木は、写真では見たことがあっても本物は初めてでした。
真夏の太陽・・・きれいな海岸と、砕ける波、葉巻と香水のにおい、、すべてが感動でした。
初めて、波乗り(サーフィン)なるスポーツを知り、挑戦もしました。うまく波に乗ると気持ちよく滑りました。
(きょろ?きょろ?びっくり”感動!!の連続で)・・・1週間は瞬く間に過ぎて行きました。
この1週間、、同じテリトリーを担当している、トヨタカローラ名古屋のトップセールス、石黒 肇さんと同部屋でした。
彼はハワイへ来てから、自分の上司と、会社の、批判と愚痴ばかり言っておりました。
逆に私は、上司が非常によいこと、会社もとても社員を大切にしてくれて、やりがいのあることを話しました。
所得も、大きな開きがあることがわかりました。
両社の差がわかればわかるほど、彼の愚痴はひどくなりました。
彼の愚痴を聞きながら、あることを、計画しだしました。 それは・・・・
「石黒セールスがいなければ、俺はずっと車が売りやすくなる!!自分の会社へ引き抜いてやれ!!」でした。
「居なくなるだけでなく、協力者になってもらえば、自分はこの先安泰だ!!」
ハワイでの日程もあとわずかになり、本人から、移籍したい旨、私にはっきりと依頼してきました。
私は、帰ったら部長に話すなど、協力を惜しまないと約束しました。
ハワイへ行く時は全くの敵であった人が、帰りには、すっかり身内で味方に変わっておりました。
敵会社のトップセールスと言う、大きなお土産をもって、ハワイから帰ることが出来ました。・・
いろいろありましたが・・春になって、トヨタカローラ愛豊の、石黒セールスが誕生しました。
あれから、42年の月日が過ぎました。
その石黒さんも、定年を迎える前に身体をこわし退職されたと聞きました。
ずっと、このこと(引き抜き)は、口外してはいけないと思っておりましたが、
もう時効を迎えたと思い、かきました。
「今だから言えることです」
もっと売るぞ!!
「もっと売りたい!!
と・・常に意識を強く持っておれば・・
売るための・・
売れるようにするための方策は見えてくる」
私の販売の原点
続き又書きます。