あえて、絶壁に立つ・・
ハワイから帰ってきて、間もなくの春でした。
トヨタカローラ愛豊、社内の新車拡販キャンペーンがありました。
1ヶ月間と言う、短期のキャンペーンでした。
1ヶ月間で、1番は、表彰状と、現金八万円、2番は、五万円 、3番は、三万円でした。
もう、勝手に、八万円は会社から、私に約束されたお金も同然と決めていました。
丸栄百貨店と、明治屋の間の道を南に少し行ったところ、住吉町に、「ココボ」と言うクラブがありました。
ここに、中学校、高校と同じだった、暎子と言う人が勤めておりました。
「ココボ」と言う名前は、経営者が、太平洋戦争のとき、ラバウルにいて、そこの港の名前をつけたとのことでした。
社内キャンペーンが発表になって、間もなくです。
一生に一度でいいから、クラブなるところで、豪遊を経験してみたいと常々思っていました。
「ココボ」へ暎子さんを訪ねて行って、支払いは、キャンペーンが終わって賞金のもらえる日にと先ずお願いして・・・
飲めヤ、唄えのドンちゃん騒ぎをしてしまいました。24歳で、初めてクラブでの豪遊でした。
暎子さんはじめ、数名の女性に、同席してもらいどんどん飲んでもらいました。
8万円分全部使うつもりでしたが、一人では、8万円は使えませんでした。
確かな金額は覚えていませんが、5万円ほどの借金を作ったと思います。
一夜明けて、自分のしたことが、馬鹿らしく、しきりに反省はしましたが、もう後の祭りです。
社内キャンペーンが始まりました。先ず自分の車をパブリカからカローラに換えました。
その後が続きません。なかなか、注文書にならないのです。
まだセールスになって、7~8ヶ月しかたっていない私ですが、行動パターンを、訪問件数優先から、、
効率優先に変えていました。セールスになったばかりの時は、1日、100軒以上の訪問を繰り返していましたが・・・
狙いを定め、大口優先で、1日12・3軒の訪問に変えていました。
あせりの毎日でした、あせればあせるほどうまくいきません。
その日も、売れず、夕方しょぼしょぼと事務所に帰ってきました。
課長がにらめつけるように座っておりました。大野芳春と言う課長でした。
にらめつけるように、と言ったのは、その課長、四角い、ごつい顔で、あだ名を「鬼瓦」と言われていたほどです。
「井上君、何だ、君の成績は、恥ずかしくないか?」
「ハワイへ行った、優秀セールスが、今は、こんなんで、課長として、俺が恥ずかしいわ!!」
「む・・・!!」 そのとき私の顔は引きつっていたと思います。
「悔しいか!!??悔しかったら、注文書を束にして、殴りかかって来い!!」
・・・・顔は真っ赤、頭に血が上りました・・・・
悔しくても、そのとうりだったんで何も返す言葉はありませんでした。
私の、腹の中は、煮えくり返っていました。
「みておれ!!!」久々に、私の頭は、悔しさで、血管が爆発しそうでした。
8トラのステレオで、毎日、朝・移動時間・・鶴田浩二の、軍歌を聞きながら唄いながら、自分を奮い立たせました。
気合が入ったからか、たまたまか?大口の企業から電話が連続で入りました。
その週、土曜日の夕方・・・・4台分の注文書を丸めて・・・
「課長””殴らせてもらいますヨ!!」と言って、「鬼瓦」の前へ行きました。
鬼瓦課長・・「おう、、井上君うれしなー・・思う存分殴ってくれや!!」
私の性格をとても良くわかって、ぎりぎりまで私を追い込んだ、あの課長・・・すばらしい上司でした。
結果、、その月の終わりまでに・・・私の数字が頭を出しました。
「ココボ」の借金は、約束どうり、無事支払えました。
ところがです。翌月の給料から、給与分+賞金分の所得税を引かれ、四苦八苦しました。
「自分を敢えて、絶壁に立たせる!!
絶壁に立つと、強力な力が出せるもの」
「私の販売の原点」
続き又書きます。
毎日、全社の成績リストが届きますが、一週間過ぎた頃、まだ中位の成績でした。