時代の変化と共に・・
その後、父親は、「絞り加工請負」の仕事を、
東は、三河の、宇頭地区、上郷地区・
南は知多の姫島地区・北は天白の島田地区に協力店を作り、
そこから周辺の技術を持った人に仕事を依頼してもらうと言う方法に
切り替えました。
「傷物帯揚げ」ができた場合は、各地の協力店の責任にしました。
これにより、私の「傷物帯揚げ行商販売」はなくなりました。
次は、各地の協力点(片道、20K~30K)へ自転車に仕事の荷物を積んで・・・
往復すると言う、大変な仕事をすることになりました。
今でも忘れられないのは、、、
矢作の宇頭からの帰り、北風ビュウビュウの冬でした。
旧東海道の狭い松並木、大型トラックの恐怖と、向かい風の約30Kは、、、
小学生の私にとって、とてもつらかったですが・・・
「体力では人に負けないぞ!」と言う・・・
自信がついたことも事実です。
間もなく父親が、オートバイを購入して、、、
機動力が格段に上がり、私の出番はなくなりました。
家業の小さな、絞り加工請負業は、私の小学校時代の2~3年で、、、
時代の変化の波とともに、変化を繰り返しておりました。
私の販売の原点・・・
またつづき書きます。