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還暦祝い

昨夜、「山路」で、私の友人二人の合同還暦祝いをしました。

以前豊田で、おのおの別々の仕事をしていた二人ですが、二人とも今でも「山路」のファンです。

千葉からと名古屋の守山から一泊で来てくれました。


昨夜の二人の笑顔は、「還暦」の文字どうり、童顔そのものでした。

二人とも、豊田で仕事をしていた、数年前の、あの・・厳しい、鋭い顔の名残は、少しもありませんでした。






















一夜明けて・・・
今日は、「山路」のゴルフコンペでした。還暦のお二人はわたしと同組でプレーしました。

懇親会の席で、参加者を代表しての、豊田生協の金井専務の言葉が心に残りました。

「山路」は今や豊田を代表する、存在感のある店になった・・・本当にそのとうりだと私も思っています。

いい出会いがあり・・・・・残念ですが、いつかは別れが来ます。

でも、お蔭様で、いつまでも「山路」が、心の故郷になってくれて・・又集うことが出来ます・・・

私は、今回還暦祝いをさせていただいた、お二人より5つ先輩です。

これから、団塊世代の人たちがどんどん還暦を迎えます。

今回のお二人を初め、後に続く「後輩」のみなさんにとって、大変おこがましいですが・・・
良きお手本としての自分にならなければと、思っております。

今、お手本にと言えることは・・・

健康で・・生涯青春・・常に前を向いて、と言うことでしょうか?







視聴用CD

ある通販会社から、視聴用のCDが送られてきました。

ムード歌謡・ベストコレクション200曲・全12巻のうち、5曲が試聴できる、CDでした。

早速、聴いてみることにしました。

最初の曲は、「東京ナイト・クラブ」フランク永井と松尾和子・2曲目は「赤坂の夜は更けて」和田弘とマヒナスターズ
3曲目は、「港町ブルース」森進一、「伊勢佐木町ブルース」青江三奈

5曲目は、「有楽町で逢いましょう」フランク永井でした。すべて、昭和30年代後半~昭和40年代の曲でした。

たった15分の、しかも試聴用CDに、私は、どんどん吸い込まれてしまいました。

曲を聴きながら、私は、すっかり、あの頃にタイムスリップしていました。

胸が熱くなり・・涙がこみ上げてきてしまいました。


















名古屋の繁華街、東新町の「ナイト・クラブ青い城」で・・・

キャンドルライトのやわらかい灯りのもと・・・

ブランディーグラスを両手で暖めながら・・・

ムード曲にお洒落な、大人のひと時を、味わっていたものでした。

忙しかったあの頃・・でも、充実していました。


あの頃の、私を熱くしてくれた、あのムード曲が、200曲・・・

全12巻・・¥28、900-すぐ購入を決めました。


私に視聴用CDを送り、ここまで熱くさせてくれた、「通販会社の企画力」は、すばらしいと思いました。

お客様に熱くなっていただけるような・・・・・・・ご案内・お知らせ・・・・・・

学ばせていただきました




今だから言えること・第7弾

「あなたのお店に勤めている、O君を逮捕します・・・」


今まで当社には、いろんな人がスタッフとして入り、そして出て行きました。

でも、社内で逮捕されたのは彼だけでした。


今から28年前・・・・

当時の当社は、販売台数がどんどん伸びておりました。

「雇っていただけませんか?」まだ二十歳位の小柄な感じの良い子でした。

履歴書と免許証、そして彼の感じの良さのみで、採用を決めました。

名古屋にいて、こちらでは住むところが無いとのことでアパートも手当てしました。

「住所を変えて住民票をください」と言っておきましたが、なかなか持ってきません。

きつく催促してやっと住所が変わりました。

住所が変わって数日後に、あえなく、「社内での逮捕劇」となってしまいました。

名古屋にいた頃、同居していた男友達の健康保険証を使ってサラ金10社程から
借りれるだけ借りて、ドロンをしてきたのでした。

以前自衛隊にいたとかで非常に行動的で快活な子でした。
私が、O君と呼ぶと、「ハイッ」と快活な返事と共に、両手を腰にきちっとあてがい、
必ず駆け足で来てくれました。私はO君が大好きになりました。

逮捕後警察から連絡がありました。
金融会社各社と、名前を使われた友達は、「勤務先がお金を立て替えてくれれば告訴を取り下げる」
とのことでした。

本人からは「助けてください・・・お願いします!お願いします!!」の手紙も届けられました。

私は名古屋の町の金融やさんを、お金を払いながら回りました。合計170~180万円だったと思います。
苦しいときでしたが、彼のために・・・が、自分にとって、とてもさわやかな気持ちにしてくれました。

その後、1年か1年半で、立て替えたお金は、がんばって返してくれました。

そして間もなく残念なことに、彼は実家へ帰ると言うことで退社してしまいました。

実家のある神奈川県で運送会社に就職したとの手紙が最後でした。

その後の連絡はまったくありません。


両手を腰に駆け足をしている・・彼が・・今でも懐かしく思い出されます。


今だから言えることでした。









今だから言えること・第6弾

平成12年9月11日・この日、当地を豪雨が襲いました。

東海豪雨でした。

当社の西の展示場(現在の、ユーズネット錦)が、すっかり、濁流に浸かってしまいました。

すぐ西を流れる、安永川が氾濫してしまったのでした。

その日、夜11頃、心配で、見回った時は、一番低い位置の車でもタイヤ幅の半分くらいでした。

これくらいなら大丈夫、と思ったのが大きな間違いでした。

うとうとして、激しい雨の音で目を覚まし、恐る恐る展示場を見てびっくり!

な・なんと!<strong>屋根が少ししか見えていないくるま・・・窓の半分までつかったくるま・・・

もう手のつけようがありませんでした。
 
お客様から預かったくるまが30台ありました。

買っていただいて、お渡し待ちのくるま・・車検でお預かりしたくるま・・修理でのお預かりのくるまなどなど・・でした。

展示していた、中古車も20台~30台水に浸かってしまいました。

お客様のくるまをどうしようか・・・一番の悩みでした。

ちょうどその頃、雪印が不祥事を起こし、経営者の姿勢が厳しく問われていました。

そうだ、天災とは言え、お客様にとっては大切なくるま・・・

決断しました・・・買っていただいてから何年経過していようが、買っていただいた値段で引き取ろう・・・

その中には、200万円で買っていただき、5~6年経過していたくるまもありました。

計算したら、お客様のくるまのみで、約3、000万円の負担になります。

ちょうど、この年の秋に、ユーズネット豊田北、翌年1月に、ユーズネット美里の出店計画とかさなってしまいました。

「こんな時期だから、2店の計画を白紙に戻すべきではないか」・・・お金はどうする?・・・大変悩みました。
 
被害にあって、悩んでいた私のところに、朗報が届きました。

豊田市から、水害の被害を受けた企業に緊急融資の話でした。

感謝をしながら融資を、3、000万円受けることになりました。

難産ではありましたが、おかげさまで、ユーズネット4号店のユーズネット豊田北、5号店ユーズネット美里は産まれました。

今ではこの時に産まれた2店が核となり、ユーズネットグループは成長することが出来ました。
 
緊急融資で早い対応をしてくれた、豊田市にいまでも大変感謝しております。


豊田市民にとって無くてはならない、良い会社にすることが、「恩返しになること」と思っております。

今日は9月11日、あの日からちょうど7年の今日・・・

・・・今夜も、あの日を思い出させるように、雨が激しくなってきました・・・・

もう、浸水はまっぴらです・・・・


今だから言えることでした・・・・


















5パット!!!

台風9号の接近により、今日の天気予報は、朝から雨、午後は暴風雨・・・

今日は、中京ゴルフ倶楽部の取引先のコンペ、SUPPORTERS CUP 2007 に参加させていただきました。

心配した程の悪天候ではなく、小雨が時折・・程度でした。

天気は、予報がはずれ、まぁまぁでしたが、スコアーの予測はもっと大きく外れ、大荒れでした。

INスタート、10番ミドルホール・・・まず2オン、10ヤードほど上につけてしまいました。

結果は、2オン・5パット、7でなんと3オーバーでした。

ゴルフを始めて、10年半になります。

月に3回ゴルフをしたとして、約、360回のラウンドです。

その360回のラウンドで、5パットは記憶にありません。(ホールイン、ワンは1回ありました)






5パットは、ホールインワン以上に・・・

珍しいことなのです。



スコアーは当然、メタメタでした。


人生最後のくるま

「くるまをかえようと思っているんだよ。今度が最後のくるまになるなー」
今日来られたお客様の言葉です。

20年以上お付き合いをいただいた、私と同じ年(今年で65歳)のお客様です。
この「最後のくるま」と言われると、とても寂しいです。

ご自身で、「最後のくるま」と言われる、お客様の年齢は、若い人で60歳少し前です。

逆に御家族から、くるまに乗らないよう説得され出すのは、70歳を越してからが多いです。

ローン会社が、高年齢を理由に、引き受けに難色を示す、又は子供さんを保証人に要求してくるのは、75歳くらいからのようです。

当然「最後のくるま」になってしまうのには個人差があります。

私の記憶では、93歳まで事故無く、軽トラックに乗っておられたお客様がありました。

私のくるまは、2年前に買い換えました。
又、2~3年経てば、買い換えたいと思っています。
これが「最後のくるま」とは思ってもいません。

私が周囲に心配されて、乗るのをとめられてはいけません。
だから、心身共に健康でなければいけません。

「最後のくるま」と言われる年齢を、私が率先して引き上げなければ、と今は思っております。


くるまのある人生を少しでも永く楽しんでいただく・・・

これが、くるまを扱うユーズネットグループの、リーダーとしての大きな役目だと思っております。



地元って?

自宅の近くに、一年ほど前喫茶店ができました。
そのお店は、自宅からの出勤途上にあり一度は寄ってみたいと思っていました。

お店の名前は「すぎうら」と言います。
生まれ育った「地元」の喫茶店・・・「懐かしい何かを」・・期待して入ってみました。

日曜日の朝と言うことで、「地元」の若いご夫婦数組で賑わいを見せていました。
一人も知った地元の顔はありませんでした。お店の人も知りませんでした。
当然、私が求めた・・・「懐かしい何か」・・のかけらもありませんでした。

コーヒーを黙って飲んで、お店を出ました。
名古屋市内とは言え、東の一番外れの喫茶店・・コーヒー¥480はとても高く感じました。
生まれた、育った、今も住んでる、だけで、そこは私の「地元」ではなくなっていました。





一週間前に立ち寄って寂しい思いをした「喫茶店」の斜め前に、華厳宗「聖願寺」と言うお寺があります。
私の小学校時代の同級生が住職をしております。

住職は地元では人望が厚く、ご自身が住職になられてから檀家をたくさん増やして、とても忙しい人と聞いていました。
お寺へ行けば住職に会える。懐かしい本堂へあがってお参りしよう・・・

参拝者用の砂利の駐車場に車を止めて、本堂へ向かおうとして、変な気持ちになりました。
屋根つきの立派な駐車場が2台分あり、レクサスともう一台は最終型のセルシオ両方とも黒いくるまでした。
きっと、住職のくるまと、ご家族のものでしょう。

本堂の前に立って、また、変な気持ちになりました。
木造だった本堂が、コンクリート作りになっていました。
山の中にあった、「地元」の懐かしい・・あのお寺の筈が・・・


小銭入れの中に、1円玉・5円玉・10円玉・50円玉・100円玉・500円玉いろいろ入っていました。
お賽銭箱には、「5円玉」を入れました。
それ以上は私の気持ちが許してくれませんでした。


場所は確かに同じ場所・・・

地元の、あのお寺が・・・

どうにも納得できない、そういう私は、すっかり・・「地元の人」ではなくなっていました。


地元
と思っていたところが地元ではなくなっていました。



自分はよそから来た、「しんざんもの」と思っていた豊田市が、私の「地元」なのでした。





8月31日

8月31日は私の誕生日です。

幼いころ、この日は一年で一番いやな日でした。夏休みが終わってしまう日なのです。

でもうれしいこともありました。母親が好きなものを食べさせてくれました。

〇  どんぶり一杯の、サトイモの煮っ転がしの年

〇  イカ一匹丸ごとのしょうゆ焼きの年

〇  きんぴらごぼう腹一杯の年

〇  さんまの塩焼き丸ごと一匹の年

〇  ライスカレー腹一杯の年
・・・・・・・・・・・・・ 9月1日は、毎年下痢の日でした。でも良い思い出でした・・・・・・・・・・・・


株式会社ルートの決算は8月31日です。

常に不足感の強い私は、決算日を迎えて満足な気持ちになったことは、過去一度もありません。

今期もおかげさまで、当初立てた売り上げ、利益の最低目標はクリアーすることが出来ました。

でも、「・・・タラ ・・レバもっと・・なっていたのに・・・」たら・ればで、満足感はまったくありません。

見方・思い方を変えれば、非常に満足できる結果のはずなのです。



今年の8月31日は、        満足と感謝の誕生日          にしようと今は思っています。



その満足と感謝の中から、今期の反省と来期の目標を構築して行こうと思っています。

食糧難のときに、おいしいものを腹一杯食べさせてくれた、亡き母親はじめ先祖に感謝!

一年間、厳しい毎日に耐えてくれたスタッフに感謝!

毎日を支えて下さったお取引先に感謝!

そして、たくさんのお客様に感謝!


よし!来期もがんばるぞ!!!





今だから言えること・第5弾

「●●さんが、四国で死亡事故を起こしました。」


車が横転して、同乗していた女性が社外に放り出されて、車の下敷きになって亡くなった・・・

忘れもしません。昭和53年8月・・トヨタ自動車の夏休みの出来事でした。

当時のルートは、スタッフなし、私一人ですべてをこなしておりました。

あの日、夕方までの1~2時間、親しい人に留守番をたのんで、書類の仕事か、仕入れのため、外出しておりました。

●●さんのお車は、翌日がお渡しの予定で準備はできておりました。

当時のルートは、自動車保険の代理店資格は無く、保険加入はお金のみ預かり、正規の代理店にお願いしておりました。

対人1億・対物200万・搭乗者傷害500万という内容でお金は事前にお預かりしておりました。

お渡し予定の明日、保険の加入手続きはお願いしようと思っておりました。

留守番の人の報告も無く、そのお客さんが乗って行ったなんて思ってもいませんでした。

翌日の朝・・「●●さんが死亡事故を起こした!」と言う代理人からの電話でびっくり!!

まさかと思って、裏へ車を確認に行き、初めて乗っていかれたことを知り、血の気が引きました。

「500万円の搭乗者保険に加入しているはず。すぐ手続きをしてほしい・・・」

保険加入が出来ていなかった旨をはなし、平謝りの上、何とか月々の支払いで堪忍してもらうのに1ヶ月を要しました。

この一件が無くとも、当時の自分にとっては、天文学的金額の借金を負っていました。

その上、搭乗者保険の賠償分、月々 170、000円、30ヶ月払いが、づっしりと、のしかかりました。

「憂きことの、尚、この上に積もれかし、限りある身の力試さん」

この事故の約半年前、どうにもお金が回らなくなり、亡くなった母親に、お金を借りに行きました。
(後でわかったことですが、当時母親は、3、000万円以上持っていました。)

その時母親は、頑として1円のお金も貸してくれませんでした。でもお金のかわりに、この言葉をくれたのでした。

これは、江戸時代の、熊沢蕃山という人の言葉だそうです。

この、憂きことの・・・を唱えながら歯を食いしばったものでした。


あの時の、私のつらかった経験から学んだ、保険に対する心がグループ全体に受け継がれております。

そして、今では・・・
くるまは、ユーズネット・・・保険もユーズネット・・・として、お客様に安心をしていただいております。

今朝、母親のお墓参りをしてきました。
私に力を与えてくれた、「憂きことの・・」に改めて感謝をささげました。

今だから言えることでした。


変化に戸惑います・・

今年も間もなく、8月15日の終戦記念日を迎えます。

私は、終戦後間もない、昭和24年に小学校に入学しました。

鳴海町立鳴海小学校、東分場でした。

おばあさんが編んでくれた、「わらじ」で通学していました。

雨が降ると、ジョウリはべちょべちょになって、とても重かったです。

教室が足らなくて、一年生は「朝から学校」・二年生は
「昼から学校」でした。

あのころから、昭和40年頃に至るまでと、現在とで、言われる事が反対になっている事があり戸惑います。


〇夏は水分をしっかり補給しなさい。。。。?


(のどが渇いても、辛抱せよ!水分は取るな!余分に疲れる。でした)
登山が好きだった私は、水筒は持っていても、とことん飲まずにがんばったものでした。

〇日に当たるな!日焼けは皮膚がんの元。。。。?

小学校の夏休み前に先生は、「9月には、真っ黒に日焼けした皆さんと会えるのを楽しみにしています。」
朝のうちに宿題を済ませて、太陽の下、外で大いに遊びましょう・・・でした・・・

〇食べ過ぎに注意しましょう!太ってしまいます。。。。?

(たくさん食べましょう!まるまる太った健康なよい子になりましょう!)・・・と、言われていました・・・



今でも私は、炎天下のゴルフで迷います。

水分を補給すべきか、せざるべきか?

日焼けは良いのか、悪いのか?

よく食べるべきか、小食にすべきか?


最近ではこんな当たり前の常識で迷う人なんていませんよ・ネ・・


今だから言えること・第4弾

「おとうさん!ゆうべ、誰と、どこへ行っていたの?」



株式会社ルートを設立するまでは、こんな電話が、自宅からよく掛かりました。


株式会社ルートを設立したのは、創業から7年後の、昭和58年10月でした。

会社設立までは、すべてに個人(井上政彦)の名前が出てきました。

銀行・警察の古物営業許可・車の登録等々・・・

今は、くるまを買ってきたり、下取りをしたりすると、全車両(株) ルートの名義にしております。

個人営業の当時は、すべて、井上政彦名義にしており、住所は緑区の自宅でした。

車検、修理などでお貸しする代車もすべて、私、個人の名義になっていました。

駐車違反・放置車輌・スピード自動取り締まり等、すべて自宅へまず電話が掛かりました。



あの事件も、まず自宅へ掛かった静岡県警の電話からでした。

昭和57年12月26日だったと思います。
妻から、電話が掛かってきました。

「お父さん、ゆうべ誰と、どこへ行っていたの?」と言う電話でした。


「昨日、自分がどこでどんな仕事をしていようが、いらんこった!」と、思いはしたものの、何か疑われているな、と直感で分かりました。


電話の内容をよく聞くと・・・

愛知県との県境に近い国道1号線沿いのラブホテルを利用したカップルが、帰りにテレビを持ち帰った!
ナンバー照会をしたところ、井上政彦さんのくるまでした。というものでした。

「本人との連絡が取りたい」・・・と言うことで、びっくりした妻から私への電話となったのでした。

一生懸命働いていると信じていた夫が、どこかの女性とラブホテルへ・・・

事もあろうに、そのホテルから、テレビを盗んで逃げた!

警察から電話を受けた、妻がびっくりするのも当然です。

テレビを盗んだ車は、当社が代車としてお客さんに貸したものでした。

静岡県警にはお客さんの、名前と連絡先を教え、間も無く逮捕となりました。

お客さんの中にはひどい人もあります。

すべてのお客様が神様であって欲しいと願ってはいますが・・・思いどうりにはなりません。

お客様はよい店を選ばれます。
当社もよいお客様のために、「お客様を選ばなくては」と、思っています。

「ラブH・テレビ窃盗事件の犯人」に対し、私は厳しく対応しました。

このような人は必ず言います。

「お客に向かって、どういう言い方をするんだ!」・と・・

お客さんは何しても、店側はぺこぺこするものだとでも思っているのでしょう。

その後、例の犯人の顔を見た事は一度もありません。


「ラブH・テレビ窃盗事件」



今だから言えることでした。



















コメントくださった皆様、ごめんなさい!

今日まで、コメントの見方、承認の方法をを知りませんでした。

自分のブログにはコメントがないなーといつも思っておりました。

今日、ルーコさんに教えてもらって、読ませていただきました。

私のつたないブログにコメントを下さった皆様にお詫びと、感謝申し上げます。

これからも覗いてやってください。

コメントもお待ちしております。


Boo-log ファンの皆様へ
井上 政彦 拝


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