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今だから言えること・第5弾

「●●さんが、四国で死亡事故を起こしました。」


車が横転して、同乗していた女性が社外に放り出されて、車の下敷きになって亡くなった・・・

忘れもしません。昭和53年8月・・トヨタ自動車の夏休みの出来事でした。

当時のルートは、スタッフなし、私一人ですべてをこなしておりました。

あの日、夕方までの1~2時間、親しい人に留守番をたのんで、書類の仕事か、仕入れのため、外出しておりました。

●●さんのお車は、翌日がお渡しの予定で準備はできておりました。

当時のルートは、自動車保険の代理店資格は無く、保険加入はお金のみ預かり、正規の代理店にお願いしておりました。

対人1億・対物200万・搭乗者傷害500万という内容でお金は事前にお預かりしておりました。

お渡し予定の明日、保険の加入手続きはお願いしようと思っておりました。

留守番の人の報告も無く、そのお客さんが乗って行ったなんて思ってもいませんでした。

翌日の朝・・「●●さんが死亡事故を起こした!」と言う代理人からの電話でびっくり!!

まさかと思って、裏へ車を確認に行き、初めて乗っていかれたことを知り、血の気が引きました。

「500万円の搭乗者保険に加入しているはず。すぐ手続きをしてほしい・・・」

保険加入が出来ていなかった旨をはなし、平謝りの上、何とか月々の支払いで堪忍してもらうのに1ヶ月を要しました。

この一件が無くとも、当時の自分にとっては、天文学的金額の借金を負っていました。

その上、搭乗者保険の賠償分、月々 170、000円、30ヶ月払いが、づっしりと、のしかかりました。

「憂きことの、尚、この上に積もれかし、限りある身の力試さん」

この事故の約半年前、どうにもお金が回らなくなり、亡くなった母親に、お金を借りに行きました。
(後でわかったことですが、当時母親は、3、000万円以上持っていました。)

その時母親は、頑として1円のお金も貸してくれませんでした。でもお金のかわりに、この言葉をくれたのでした。

これは、江戸時代の、熊沢蕃山という人の言葉だそうです。

この、憂きことの・・・を唱えながら歯を食いしばったものでした。


あの時の、私のつらかった経験から学んだ、保険に対する心がグループ全体に受け継がれております。

そして、今では・・・
くるまは、ユーズネット・・・保険もユーズネット・・・として、お客様に安心をしていただいております。

今朝、母親のお墓参りをしてきました。
私に力を与えてくれた、「憂きことの・・」に改めて感謝をささげました。

今だから言えることでした。


変化に戸惑います・・

今年も間もなく、8月15日の終戦記念日を迎えます。

私は、終戦後間もない、昭和24年に小学校に入学しました。

鳴海町立鳴海小学校、東分場でした。

おばあさんが編んでくれた、「わらじ」で通学していました。

雨が降ると、ジョウリはべちょべちょになって、とても重かったです。

教室が足らなくて、一年生は「朝から学校」・二年生は
「昼から学校」でした。

あのころから、昭和40年頃に至るまでと、現在とで、言われる事が反対になっている事があり戸惑います。


〇夏は水分をしっかり補給しなさい。。。。?


(のどが渇いても、辛抱せよ!水分は取るな!余分に疲れる。でした)
登山が好きだった私は、水筒は持っていても、とことん飲まずにがんばったものでした。

〇日に当たるな!日焼けは皮膚がんの元。。。。?

小学校の夏休み前に先生は、「9月には、真っ黒に日焼けした皆さんと会えるのを楽しみにしています。」
朝のうちに宿題を済ませて、太陽の下、外で大いに遊びましょう・・・でした・・・

〇食べ過ぎに注意しましょう!太ってしまいます。。。。?

(たくさん食べましょう!まるまる太った健康なよい子になりましょう!)・・・と、言われていました・・・



今でも私は、炎天下のゴルフで迷います。

水分を補給すべきか、せざるべきか?

日焼けは良いのか、悪いのか?

よく食べるべきか、小食にすべきか?


最近ではこんな当たり前の常識で迷う人なんていませんよ・ネ・・


今だから言えること・第4弾

「おとうさん!ゆうべ、誰と、どこへ行っていたの?」



株式会社ルートを設立するまでは、こんな電話が、自宅からよく掛かりました。


株式会社ルートを設立したのは、創業から7年後の、昭和58年10月でした。

会社設立までは、すべてに個人(井上政彦)の名前が出てきました。

銀行・警察の古物営業許可・車の登録等々・・・

今は、くるまを買ってきたり、下取りをしたりすると、全車両(株) ルートの名義にしております。

個人営業の当時は、すべて、井上政彦名義にしており、住所は緑区の自宅でした。

車検、修理などでお貸しする代車もすべて、私、個人の名義になっていました。

駐車違反・放置車輌・スピード自動取り締まり等、すべて自宅へまず電話が掛かりました。



あの事件も、まず自宅へ掛かった静岡県警の電話からでした。

昭和57年12月26日だったと思います。
妻から、電話が掛かってきました。

「お父さん、ゆうべ誰と、どこへ行っていたの?」と言う電話でした。


「昨日、自分がどこでどんな仕事をしていようが、いらんこった!」と、思いはしたものの、何か疑われているな、と直感で分かりました。


電話の内容をよく聞くと・・・

愛知県との県境に近い国道1号線沿いのラブホテルを利用したカップルが、帰りにテレビを持ち帰った!
ナンバー照会をしたところ、井上政彦さんのくるまでした。というものでした。

「本人との連絡が取りたい」・・・と言うことで、びっくりした妻から私への電話となったのでした。

一生懸命働いていると信じていた夫が、どこかの女性とラブホテルへ・・・

事もあろうに、そのホテルから、テレビを盗んで逃げた!

警察から電話を受けた、妻がびっくりするのも当然です。

テレビを盗んだ車は、当社が代車としてお客さんに貸したものでした。

静岡県警にはお客さんの、名前と連絡先を教え、間も無く逮捕となりました。

お客さんの中にはひどい人もあります。

すべてのお客様が神様であって欲しいと願ってはいますが・・・思いどうりにはなりません。

お客様はよい店を選ばれます。
当社もよいお客様のために、「お客様を選ばなくては」と、思っています。

「ラブH・テレビ窃盗事件の犯人」に対し、私は厳しく対応しました。

このような人は必ず言います。

「お客に向かって、どういう言い方をするんだ!」・と・・

お客さんは何しても、店側はぺこぺこするものだとでも思っているのでしょう。

その後、例の犯人の顔を見た事は一度もありません。


「ラブH・テレビ窃盗事件」



今だから言えることでした。



















コメントくださった皆様、ごめんなさい!

今日まで、コメントの見方、承認の方法をを知りませんでした。

自分のブログにはコメントがないなーといつも思っておりました。

今日、ルーコさんに教えてもらって、読ませていただきました。

私のつたないブログにコメントを下さった皆様にお詫びと、感謝申し上げます。

これからも覗いてやってください。

コメントもお待ちしております。


Boo-log ファンの皆様へ
井上 政彦 拝


今だから言えること・第3弾

私の席の後ろに、犬の写真が飾ってあります。

昭和54年2月にお客様から生まれたばかりのオスの小犬をもらってきました。

ナッキーと言う名前をつけてもらいました。

いじめたり、可愛がったり、自分自身の気分で付き合っていました。

お風呂も一緒に入りました。嫌がっていたようですが、きれいに洗ってあげました。

そして、夜はいつもいっしょの布団で寝ていました。

でも必ず朝になると彼は布団の外にでていました。

きっと、私のねぞうが悪かったのを嫌ったのだと思います。

夜、喫茶店や食堂へ残飯をもらいに行っておりました。

残飯をもらって帰ってくると、しっぽを振って、喜んで食べてくれました。




昭和54年2月生まれ


平成5年8月11日没、享年14歳





当時「ルート豊田」と言う名前で、貸し店舗の前に数台のくるまを並べて営業していました。

くるまの整備は、店舗裏の空き地でしておりました。

裏で整備をしている時に、お客様が来られてもわかりませんでした。

昼間、ナッキーは事務所の中にいてもらいました。

お客様が来られたら「わん、わん」と、吠えて知らせてもらうように教え込みました。

私が事務所の中にいる時は絶対に吠えないようにする。

私が外にいて、吠える声を聞いて事務所へ入ったら吠えるのを必ず止める。

私がお客様と商談している時は、伏せているようにも教えました。

ナッキーは犬とは思えないほど利口でした。

ナッキー本人も自分が犬だとは思っていなかったようです。

その彼が亡くなる少し前に、住み慣れた貸し店舗を壊して、今の店舗を作り、引越ししました。

新店舗に彼はなじめず、嫌がっておりました。

環境の変化が元で、以前から患っていた癌が進行して、間も無く亡くなってしまいました。

亡くなる前日の夜、「くーん・くーん」と私を呼びました。

頭を抱いてやるとほっとするのか泣き止みました。その夜は一睡もせず彼を抱いていました。

抱いてやりながら、ナッキーとの14年間を思い出し、涙があふれて止まりませんでした。

ナッキーの目からも涙があふれていました。

次ぎの日は私の長男の結婚式でした。

朝心配しながら来てくれた苅谷部長に後を頼み、後ろ髪を引かれる思いで結婚式に臨みました。

ナッキーが亡くなったと聞いたのは結婚式が終わった後でした。

長男の結婚式に、仲人がドタキャンと言う前代未聞の、考えられないことがおきました。

結婚式はなんとか、代理の仲人で、とどこうりなく終えることは出来ました。

今思えば、ッキーが亡くなる時、必死に私をそばにいさせようとしたのだろうか?・・・・

今年8月11日・・・
15回忌を迎えるに当たり、天国のナッキーに改めて、感謝の意を届けたいと思います。

合掌



人件費も払えない、苦しい時、犬に「店番」をしてもらっていた!


今だから言えることでした。



少 子高齢化に歯止めを・・

今日、ホテルフォレスタで結婚式があり、出席させていただきました。

6月12日に結婚披露ゴルフコンペを、京和カントリーですまされた、カップルです。

新郎は私と同年齢の64歳・・・ 新婦は昭和48年生まれの33歳です。

ご参加の知人・友人は55歳以上、70歳位のかたばかりでした。

○「おい、今日は、還暦のお祝いか?」

○「今日ネクタイを黒いのと間違えてしてしまった!気がついたでよかったけど!」

○「俺なんか、礼服のポケットに数珠を入れて来てしまったぞ!」

我々の年代になると、礼服着用の機会は、葬式10に、結婚式1くらいの割合になっています。

●知人のあいさつです。「あと短い人生ではありますが、末永くおしあわせに・・・」?なんかおかしかったです。
でも、実感がこもっていました。冗談だったのでしょうか?

●別の方は、「新郎はライオンズクラブでいろんな奉仕活動をしてこられ・・・・その奉仕の心が、今、日本で問題になっている、少子高齢化に歯止めをかけなくては、と言う、気持ちになったのでしょう。」
「未来の日本に奉仕・・・? 本当かいな?」は私が思ったことでした。

●ある来賓の言葉です。「われわれ世代に夢をあたえてくれた。」「やれば出来る。」
「少し前、上原 謙は70歳で子供を作った。新郎も、上原 謙の年を越すまで頑張れ!」

新郎はわれわれ60歳代に夢を与えてくれました。





おめでとう・・・

60代は、心の持ち方で、
青春真っ只中



少子化に歯止めを・・・

末永く、お幸せに・・・・・・


おいでんまつり

今年も、「おいでんまつり花火大会」の日がやってきます

貸し店舗のお店で、一人で営業していた、昭和53年夏に始めて豊田の花火を見ました。

同業の提供する花火に、悔し涙を流しながら、 「今に見ていろ!俺は仕掛花火を出してやるぞ!」・・・・・・・当社の仕掛花火が現実になったのは、悔し涙のあの日から、15年を要しました。

そして、今年で15回を数えます。

その間何度も止めようかと悩みました。

○バブルがはじけて、販売がひどく落ち込んだ時・・・・
○平成11年の豪雨で、展示場が浸水し、預かっていた車、商品車合計50台が被害にあった時・・・
他にも止めたいと思い悩んだことが幾度かありました。

そんな時、
「ルートは無理して~ いい格好して~」
「あの仕掛けは、1年か2年で終わる、線香花火だ!」
と言われた外野席の声が思い出され、歯を食いしばって今まで続けてきました。







プログラムを見ますと、ユーズネットの仕掛けは、7時44分とのことです。











ユーズネットを支え続けてくださった、創業来延べ約40、000台のお客様にまず感謝!・・・
そして、過去の苦労や悔しさを常に忘れず、強力なバネとして・・・
グループ60余名、力を合わせて未来へ羽ばたきます・・・

その心を花火に託して、・・・
ユーズネットグループは、明日の夜、矢作の川面を照らします・・・


今だから言えること・第2弾

二十何年ぶりに「ユーズネット豊田」へ来られたお客様は、必ずおっしゃいます。
ここは、昔「1日1万円値下げ」をやっていた、ルート豊田かね?と。
それ程「1日1万円値下げ」のくるまやとして浸透しておりました。



当社は創業から7年間、R248沿いの貸し店舗3店の北端の一店のみでの営業でした。

店舗は二階建てで、一階が事務所でその前の駐車場に4~5台並べて営業しておりました。

二階で私は寝起きしておりました。

小さな店で、超低価格のくるまばかりを扱っておりました。

月に3~4台の販売から始まり、創業4年で月に40台ほど売れるようになりました。

創業から6年経った、昭和57年の12月には1ヶ月で100台の販売を達成するまでになりました。

その間、いくら安いくるまと言えども、どうしても売れないくるまが出てしまいました。

安いくるまで、いつまでも売れなければ、解体屋さんで処分してもらうより方法はありませんでした。

何とかしなければ・・・と、いろいろ考えてやってみました。

○5円・10円の価格表示で売る。

○月が変る毎に、1万円づつ値下げしていく。

○10日ごとに1万円づつ値下げしていく。

○日曜日に、1時間1万円値下げもやりました。

◎そしてたどりついたのが「1日1万円値下げ」でした。

「1日1万円値下げ」を始めてから、長期在庫がなくなり、おまけに知名度も上がりました。
びっくりしたことに、ほとんど、赤字にならず3~4日で売れたことでした。
今日は何が出てる?いくらか?

通りすがりのくるまが急ブレーキを踏むことにより、頻繁に追突事故がおきました。

おまわりさんがどうして、ここでいつも事故が起きるのか?と、不思議に思っていました。

おまけに、事故を起こされた人に親切にすることによって、販売台数はどんどんあがりました。

おまけの第2に、事故で困っている人に親切なお店だと言って、警察官も何人か買ってくれるようになりました。

おまけ第3もありました「交通警察の運営に寄与」と豊田警察署長から感謝状をいただきました。

実は、事故を起こされた双方のくるまを見て、古いくるまの方を選んで大切に手助けしていました。

当時の私にとっては、新車を数年で乗り継いでいる人は、お客様予備軍ではなかったのです。

「1日1万円値下げ」は業界紙で紹介され全国で取り組まれましたが、3ヶ月も続いたと言うはなしは聞いたことがありません。

ユーズネット豊田は、新車にシフトするまで、約25年間続けました。
継続は力なり! どんな広告より知名度を上げる効果があったようです。

「1日1万円値下げ」で、タダになってしまったこともよくありました。
このくるまタダ!、諸経費のみ!

「もってけ!!どろぼう!!」 と、くるまに書きました。

今では、非常に懐かしく思い出されます。

今だから言えることです。





震度2

ユーズネット豊田の南隣、R248を挟んで、東と西で2・3日前から工事が始まりました。

こわして整地したのは一年ほど違ったのに、ほぼ同時に次ぎの工事は始まりました。

東のキャッスルあとは、マンション。

西の、アクセスあとは、輸入雑貨のお店だそうです。

完成すれば、ユーズネットの南側は一変します。



先週末から、2階の事務所は、工事の振動で揺れつづけています。

街がどんどん新しく変っていきます。

今月のユーズネット豊田の成績を見ていると、生まれ変る近辺に、ぽつんと、取り残されてしまうのではと心配になります。

いやいや、これから新しいマンションの住民が沢山くるまを買ってくださる筈です。

輸入雑貨を見に来られる沢山のお客様が、ユーズネットへも来てくださいます。

今、感じている震度2は、新しい街が出来る前の「胎動」と、思って次に備えたいと思います。

ユーズネット豊田を親として、子供・孫会社を10社産み、育てて、ちょっと肥立ちが悪いようです。

でも、今は、その後入社の新しい女性スタッフの活躍で、店には活気があります。

美鹿店長率いる、ユーズネット豊田の若い女性軍団は日々成長しています。

産後の肥立ちが悪いなんて言っていません。

きっと、新しい街の人気店、ユーズネットグループのリーダー店に成長してくれるものと、期待しています。

これから、毎日つづく、震度2は、

新しい街が生まれる、そして、新しい「ユーズネット豊田」に生まれ変る、心地よい胎動として、受け入れたいと思います。


今だから言えること・第1弾

私の生年月日・昭和17年8月31日・午年

最近、ブログを書いていますと、昔のことがよく思い出されます。
あんな事もあった、こんな事もあった
間も無く65歳を迎えるにあたって 「今だから言えること」
思い出すまま、書いてみたいと思います。


30年近く前になります。

お金と時間のなかった私でも、月に1度か2度は、大衆食堂へカップ酒を飲みに行っていました。
その日も、焼きそばと、1合の大関カップを、2・3杯飲んだと思います。
殿様のような気分になり、自分の店(創業した時の貸し店舗)までR248を歩き出しました。
たぶん、久保町のあたりで、飲んでいたと思います。

少し歩いたところで、はっと気がついたことがありました。
何と、どこからもってきたのか、大売り出し ののぼり旗を右肩にかついでいるではありませんか。
かついだまま気分よくR248の西側の歩道を、豊田警察前まできました。
そこへ、運悪くか、運よくか?パトカーが帰ってきました。

「ちょっと、署のなかへ入って」
「この旗は何処から持ってきたね?」

「わかりません・・・」

「あんた、どこのひとだね?」
「名前は?仕事は?」

「すぐ南で、中古車を売っています。名前は ・・・・ ・・・・と言います」

「このままだと窃盗になるよ・・」
「隣組の人だから、返せば無かったことにするから・・・」
「一緒にどこから持ってきたか、探しに行こうか?」
「さー、パトカーに乗って!」

まだ酔いの残っていた私は、パトカーにお客さんの気分になって、旗を返しに乗り込みました。

返し終わって、おまわりさんは、親切に私の店まで送ってくださいました。

窃盗で捕まらずにすみました・・・・・

「親切なおまわりさん、ありがとうございました。」

今だから言えることでした。


台風

今日、中日新聞の西三河版に、マイカーリース「スーパー乗るだけセット」の広告を出しました。
カラーの1ページ広告です。
掲載費用は・・・・百○十万円です。

半年前から、準備に準備を重ねてきました。
スタッフを集めての勉強会も行い今日からに備えました。
お客様にとって、非常にわかりやすく安心して新車に乗っていただける仕組みです。
スタッフも自信を持って今日を迎えました。

台風接近・・
今日は朝から雨です。
明日の日曜日、東海地方には、午前中に一番接近するとの情報です。
当然お客様の足が止まります。
「広告により、一気に沢山のお問い合わせ、ご来場で、スタッフがなれない説明で混乱し、お客様にご迷惑をおかけするより良いのでは・・」
「我が社にとって台風の接近は、文字どうり追い風かも・・」

何はともあれ、各地での被害が少ないことを祈りたいと思います。
そして、ユーズネットのマイカーリース「スーパー乗るだけセット」が当地に早く受け入れられますように・・・・・


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