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別れた恋人・・

好きだった・・


山と別れ・・


趣味をゴルフに移して・・


・・・もう、10年以上・・・




今趣味のゴルフをしていたら・・・


もと趣味の山が、


「帰って来てください!」と、


私に呼びかけていました。。


・・・残雪の化粧を、輝かせながら・・・










山とは、きっぱり別れたつもりでいましたが・・・



とても懐かしくて、、、、


すっかり、、、


あの日、あの頃に、、、


心は帰っていました。




この日は。。。。


今趣味と・・・

もと趣味を・・・

両手にいただけた・・・


。。。至福の一日でした。。。


親友の命日・・・

明日、5月2日・・・高校時代からの山仲間で、親友だった、外山林生(とやましげお)君の命日がやってきます。



彼は、41年前、残雪の白馬岳で、700M滑落してなくなりました。

それ以来、5月2日を忘れたことは一度もありません。



昨年の、5月1日の私のブログに詳しく書きました。

私のブログの左・・「バックナンバーはこちら!!」をクリックして・・・

2007年5月1日 「白馬岳」を参考にしてください。




春爛漫の白馬岳の麓

満開のさくら

彼を焼く、だびの煙

残雪に輝いていた白馬岳

山仲間と涙で歌った、「雪山賛歌」




私の青春の清らかな、思い出です。

今でも、彼に、、、

思い出をありがとう!と感謝しています。



50回忌までには、必ず、、、

弔い登山をしようと思っています。





交通事故・・

最近、大きな事故をされるお客様は、めっきり少なくなりました。


でも、まだまだ、ユーズネットの各店には、目を背けたくなる程ひどい事故車が時々運び込まれてきます。





今朝も、水曜日で休みの豊田店へ、事故で、ひどい状態になった車が、運び込まれて来ました。


この車・・・今年入社したばかりの、新人スタッフI君の車です。







本人、今日は、休みで、どこかへ出かけようとした、や先の、事故だったようです。

幸い、たいした怪我もなかったようで、まずは、不幸中の幸いでした。



I君が入社してきて、すぐに感じていました・・・・

(車は、違法改造していたわけでもないので注意はしませんでしたが・・・)

自家用車の雰囲気、行動、ともに、いかにも事故を起こしそうな、予感がしました。



入ったばかりだから・・・

直属の上司がいることだから・・・

法に背いているわけではないから・・・




「君は、、、高い確率で、間もなく事故を起こすゾ!!!」

「だから・・・〇〇しなさい」

はっきり注意して、あげるべきだった。


「注意をしない。。。。見てみぬ振りをする。。。」

ダメな大人・・・ダメな上司・・・

わたしも、そんな、だめな大人・上司でした。




      「反省!!!」、、しています。


バトン・・

Q1 ハンドルネーム

A  井上政彦

Q2 ハンドルネームの由来

A  明治生まれの、父母がつけてくれた名前、そのまんま。

Q3 ブログ歴

A  9月が来て、2年になります。

Q4 趣味、特技

A  山歩き・写真(但し、ただ今は強制休眠中)

Q5 好みの異性のタイプは

A  日本的な方で、自分に反論しない人。

Q  タイプの方に街で声をかけられました。どうする?

A  外観がそのような人でも、内面はわからないので・・・
    声をかけた、目的を知ろうとする。


Q6 宝くじで100万円あたりました。どうする?

A  グループ内で生活が苦しい、又は、お金に困っている人(5人くらい)に分けて、全部差し上げる。

Q7 一週間の休みができました。どうする?

A  いつも、休みと仕事の区別がないのでそのまま仕事をする。
   どうしても休まなければならないなら、どこかの山小屋でゆっくり読書でもする。


Q8 このバトンに質問をひとつ増やしてください。

Q  1年だけ、過去の自分になれます。何歳?何がしたい?

A  22歳、遊びも、仕事も、学びも、今の自分に影響しています。もっと気合を入れてやり直したい。

Q  もし海外に住むとしたらどこの国

A  マレーシア、

Q  一週間おなじものを食べるとしたら何をたべますか?

A  あんかけスパ

Q  配偶者の浮気が発覚!あなたならどうする?

A  お好きにどうぞ!と関知しない。

Q  一日だけ違う職業に就くとしたらどんな職業?

A  観光ヘリのパイロット

Q9 このバトンの送り主にひとこと

A  ボウとしていて、バトンに気づくのが遅れました。申し訳ありませんでした。

Q10 このバトンを誰にわたしますか?

A  紫翠閣 とうふや  中村 社長 にお願いします。



「ふるさと」再発見・・4

私が、小学校1年生の時・・・



春の遠足は、「二村山」と「濁池」でした。


現在の、中京競馬場の近く、藤田学園の東にあります。


戦争が終わって、間もなくの、昭和24年5月だったと思います。



当日、熱を出してしまった私は、父親の自転車に乗せてもらって参加しました。




二村山頂上の、「切られ地蔵」です。。。。。

胴体部分が、ばっさりと、切られた地蔵さんです。

昔・・鎌倉街道を行き来していた、信心深い旅人が、この二村山で、盗賊の襲撃を受けました。


信心深い旅人に変わって、このお地蔵さんが身代わりになって、旅人を救ったと言う、言い伝えがあります。





二村山への遊歩道は、よく整備されておりました。


頂上の、標高は、、、72Mです。


昔は山頂から、知多の海が見えたそうです。

名古屋のトリトン、、鈴鹿山脈、養老山脈、伊吹山、名古屋駅周辺、御岳、木曽山脈、南アルプス、豊田、刈谷、中京競馬場・


今も、山頂展望台から、360度パノラマのように見渡せます。



















   左・・・なるみ   右・・・みかわ     とありました。


この地は、鎌倉街道が通っていて、現在も昔をしのばせてくれます。

後になって、すぐ南に、東海道が出来るまで、旅人でにぎわったそうです。











      「濁池」です。。。自然がそのまま残っています。。。。とてもうれしかったです。


盗賊が、お地蔵さんを切った後・・・この池で、血の付いた刀を洗ったそうです。

刀を洗って濁ってしまったので、「濁池」と言われるようになったそうです。



今日の散歩も、また「ふるさと」の再発見ができました。


     小学校1年生になったのは、59年前です。

当時の小学校の遠足は、文字どうり、遠・足 でした。

学校から、二村山までは、片道約、4キロ以上あります。

小さな子供達が、よくも、8キロ以上の山道を、歩いたものだと改めて感心しました。


「ふるさと」再発見・・3

緑区の自宅から、歩いて20分くらい・・・


名鉄、名古屋本線、中京競馬場前駅からすぐのところに、



真言宗・高野山・「高徳院」と言うお寺があります。


8年前に亡くなった、私の母親の葬儀はここでしました。



ここは豊明市の西端に位置する、桶狭間古戦場です。




今川義元公の本陣跡です。


1560年5月19日・・・織田信長の奇襲に、今川義元は、率いていた、沢山の家来と共に命を奪われ、今川軍は敗退した。

と、碑に刻んでありました。(織田信長を、どちらかと言えば、卑怯な人として記録、表示されていました)



私は、中学生の頃・・
織田信長を善・・・  今川義元を悪と言う見方をするように指導をされてきたと思います。

でも、ここでは、、、全く逆で、今川方を善・・織田方を悪として、とらえています。



歴史だけでなく、ものの見方は・・見る位置で逆にもなるんだと、改めて教えられました。





















    この地区では、大変珍しい、仁王像が立っています。





願い事、、叶えられます。お地蔵さんの前には、沢山のお賽銭がありました。





境内から本堂です。さすがに、きれいに掃除されていました。





鐘楼がありました。






今川義元公は、この位置で、、、戦死したとありました。






義元公のお墓です。


竹やぶの中でした。筍が沢山ありました。




「ふるさと」再発見・・私の散歩でした。。。。。



「ふるさと」再発見・・2

名古屋市緑区有松町・・・・

有松は、今年開村、400年だそうです。

詳しくは知りませんが、400年前に村になったとのことです。



天満宮に、開村400年の、のぼり旗がたくさん並んでいました。


 

私達の厄年に、鳥居を奉納しました。

すっかり、忘れていたんですが、名前が載っていました。

そういえば、25年前・・・
いやいや、35、000円お付き合いで出したっけ・・・

今では、あの時「断らなくて良かった」と、思っています。


「ふるさと」再発見、私の散歩でした。


「ふるさと」再発見・・1

私の自宅は、名鉄、有松駅から東へ、歩いて5分くらいのところにあります。

有松駅はすっかり、近代的になりました。

でも、旧東海道沿いは、町並みが昔のまま保存されております。

一度ゆっくり歩いてみたいと思って、何十年か過ぎてしまいました。

今朝、思い切って実行しました。

改めてみる、有松の町並みは、江戸時代にタイムスリップしたかのようでした。


名古屋市と地元の人々の努力で、町並みは保存されています。



















自分は、良い町に住んでいたんだーーー









もっと、もっと育った町を見直そうと、改めて思いました。


「ふるさと」再発見・・私の散歩でした。







お客様の声


ユーズネットグループでは、買っていただいたすべてのお客様に、アンケートをお願いしております。

お答えの回収率は、20%~40% 最近の平均は28%です。


このアンケートでは、13項目について、非常に良い~非常に悪いまでを、5段階でお答えいただいております。

最高点を、5とし、最悪点を1として、個人と店の評価を出し、悪いところを修正するように努力しています。

グループで最高点の店は、ユーズネット三好、その次は、ユーズネット五ヶ丘です。

三好は平均4・6~4・8です。五ヶ丘は、4・5~4・7です。

今年に入って、ユーズネット豊田東が急上昇しています。

グループの中では、平均4・2を切るお店はありません。

実際に買っていただいたお客様の満足度は、非常に高いと自負しております。


でも、どんどんお客様の、期待度は上がっています。

今の評価に慢心することなく、より高いところを、目指していかなければ、と思っています。





アンケートと共に、コメントもお願いしています。

そのコメントでお客様の自由なご意見をいただいております。


ユーズネット豊田のお客様のコメントで、「駐車場に車が止めにくい」とご指摘いただきました。


最初は、「そんなこと、言われても」・・・お客様が「少し協力してくだされば」・・・「少し辛抱してくだされば」と思っていました。

その後、お客様が、止めにくそうにきりかえしをしておられのを見ていて、決断しました。

「お客様の駐車場を、思い切って、一番止めやすい特等席にしよう、国道から入ってすぐ右に移そう!」



展示場を持つ自動車販売店は、一番前の特等席に、今、一番売りたい車を展示します。

「ユーズネット豊田」は、お客様の声で、特等席を、お客様の駐車場にしました。





 
ユーズネット豊田の・・・
お客様駐車場は、国道248から入って、すぐ右です。

ゆったりの駐車場を、ご用意して、ご来社、お待ちいたしております。


北海道の人

ユーズネットグループのくるま販売に携わるスタッフは、本年度入社3名を加え、45名になりました。

創業来、32年・・・・いろんな、スタッフが入社し、そして、退社していきました。



私が最初に就職したのは、愛知トヨタのガソリンスタンドでした。

北海道から、名古屋の大学に来ていたK君は、そのスタンドでバイトをしていました。

私が新車の販売に転進して、名前が売れるほどの成績を上げるのを、憧れの目で見ていたようでした。

だから、彼も大学卒業と同時に、札幌のトヨタディーラーのセールスマンになりました。

その年、彼は、そのディーラーで新人賞を取ったと報告がありました。

その後、彼は、5年ほどで優秀な成績を残して退社しました。

彼の地元、苫小牧で独立して中古車販売店を始めるためでした。

店を開いて、4~5年経ち、「経営状態が良くない、どうしよう」と、相談の電話が入るようになり心配していました。

心配になった私は、苫小牧まで出かけて指導したこともありました。

その甲斐なく、彼の会社は倒産、本人は身を隠してしまい、連絡が取れなくなってしまいました。

昭和55年のことでした。


「どうしているかなー」

最初は心配してましたが・・・・
月の販売台数100台を、「何が何でも達成するぞ!」と、決めていた、当時の私です・・・

彼の販売パワーを埋もれさせるのはもったいない!!
「なんとしても探し出し、当社へつれてこよう!」と、心のなかで決めました。

北海道で身を隠している人を・・さあ、どうやって探そうか?


まず、業界専門の月刊誌の伝言ページに、「尋ね人」として出してみました。
発売されてから、数日で反応がありました。彼の友達からでした。

居所がわかりました。

奥さんの実家で、札幌でした。

さっそく、札幌へ行きました。

いろんな問題が未解決で・・・今は動けない、とのことでした。


それから、約一年の間に、3回ほど訪ね、やっと彼を豊田へつれてきました。
落ち着いたら、家族も、豊田へとの約束でした。


K君がスタッフに加わったのは、昭和56年でした。


もう一人強力なスタッフが、57年に加わりました。
前取引先の整備工場の社長で、名古屋拘置所から出てきた、O氏でした。

O氏の会社も経営が行き詰まり、倒産末期に、「法に背いたこと」をしてしまったのでした。
(O氏の件については、昨年秋、わたしのブログに書きました。)


53年に、行き詰って再建を果たした、私・・・

55年に、苫小牧で中古車会社を破産させた、K君・・・

57年に、整備工場を倒産させてしまった、O氏・・・


今日生きる事に命を懸けている、最強の3人が揃ったことにより、、、、

昭和57年12月に、中古車展示5台で、念願の100台販売、が、達成できたのでした。



それからのK君はホームシックなのか、販売意欲は下がってしまい、ついには北海道へ帰ってしまいました。


その後、一度も音沙汰はありませんでした。

たまに、北海道へ行くと、「どうしているかなー」と、思い出すくらいでした。



1年半前のことです・・・
愛知トヨタのガソリンスタンド勤務の時、お世話になった当時の森所長が亡くなられました。

そのお通夜が瀬戸でありました。K君と23年振りに再会しました。札幌から駆けつけたとのことです。

その後ずっと、車とは全く関係のない仕事をしているとのことでした。

顔色もよくとても元気でした。


仕事で行き詰まり、どん底以下になっていた彼に対して・・・・
救いの手を差し伸べたように見せかけて・・・・

当社が100台達成の為に、犠牲にしてしまったのかなーーー


当社の歴史を駅伝にたとえるなら・・・

K君も立派に、タスキをつないだ、ランナーの一人でした。




今だから言えることでした。

















春爛漫・・・

「ユーズネット豊田東」へ行ってきました。


店の中も展示場も、見違えるようにきれいになっていました。

昨年秋口、業績低下と、管理不足から、スタッフはすべて入れ替えとなりました。

入れ替えによって、お客様には、ご迷惑をおかけしましたが、大きな混乱はなかったようです。

その後、少しずつですが業績が上向いてきました。

今回、久しぶりに行ったら・・・花壇が、きちんと手入れされていて、きれいに花が咲いていました。




花壇の花を見て、「ユーズネット豊田東」の春爛漫はもう近いぞ!と感じました。


これからが楽しみなお店の一つになりました。





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