創業当時のルート
月のきれいな夜でした。
右手に見えかくれする、矢作川の川面は、月の明かりで、キラキラと輝いていました。
自分を死に至らしめるための、ひも・ホースなど、すべを持っていないことに気づき、通りにあったガソリンスタンドへ乗り入れました。
「待てよ、俺は今、びた一文、持っていない!」
あわててスタンドを出て又走り出しました。
月原の手前か、藤沢あたりだったか・・・道路と矢作川の間に竹やぶがありました。
その空地に車を止めて、矢作の川面を、ぼうと眺めておりました。
今まで、本物でなかった自分のために、迷惑をかけてしまった、いろいろな人々が、浮かんでは消えていきました。
まるで、走馬灯のように・・・
家では、満足な食事もない子供たちが、今夜もさみしく”ひもじい食卓”についていることだろう。
「ごめんなさい」「がんばって立派な大人になって・・・」
車ごとダムに突っ込むか・・高い場所を見つけて車ごと・・
死に至るための、方法がきまりました。
いざと思い、バックしようと思った・・その時・・私の後ろから、「お・と・う・さーん!!」
子供たちの、「呼び声」が聞こえてきました。
「はっと」・・・・この呼び声で・・・われに帰ることができました。
「そうだ、俺には、子供たちがいる・・・文字どうり、死んだつもりで・・子供たちのためにがんばろう!」
「死んだつもりで・向かえば怖いものはないはずだ!」
「ようし!どんなことがあろうが・・・何年かかろうが・・・」
来た道を今度は、下っていきました。
帰り着いた「ルート豊田」の事務所は、もぬけの殻になっていました。
15坪の事務所には、床に、黒い電話機がぽつんと置いてあるだけになっていました。
助けを求めて、相談に行った協力会社の整備工場が、トラックで来て、すべてを持って行ってしまったのでした。
相談に行ったとき、事務所のキーを忘れて来てしまいました。
外には、だれも持っていかなかった、車が2台だけありました。
翌日、義理の兄の紹介で弁護士さんに、この先のことを相談に行きました。
私の話を一通り聞いた弁護士さん、「あんたのケースは、ことが小さくて、いわゆる倒産の仲間には入らないよ」
「3000万や、5000万は頑張って仕事をして行けばどうにでもなる筈。」
「ましてや、債権者が、30人そこそこなら、明日から、いや、今からでも謝って回ればいいではないか。」
「そして、頑張った中から、少しづつ返していけばいい・・」
3000万・5000万は計算ができていなかった数字で、結果は、8000万から9000万の返済になりました。
あまり取り合ってももらえませんでした。
帰り際に、「一本吸っていきなさい」と、確かロングピースを差し出されました。
「今日のこのタバコの味を忘れないようにしなさいよ」といわれました。
おいしいピースでした・・・味は忘れましたが・・・おいしかったことは忘れられません。
今だから言えることです・・
・・・・・・・・また、時間が許されるときを見計らって、 つづきをかきます。・・・・・・・・