創業当時のルート
「おとうさん、大変!!裁判所の人が、勝手に、家の中のものに紙をぺたぺた貼っていった!」
最悪時から、3年経ち、当時の負債はほとんど終わったつもりでいた、昭和56年のことでした。
ある、県外の同業者から仕入れた、車両代金500万円を手形で支払っておりました。
その手形代金を不渡りにしてしまっていましたが、その買戻し金は、数回にわたりましたが、全額支払いは終わっていました。
その手形と、買戻しの現金とを引き換えにせず、自分としては終わったものと思っておりました。
ところが、その同業者は、長野日産からの仕入れにその手形を使い、私の買い戻し金を他に流用してしまっていました。
結果、その同業者は、倒産してしまい夜逃げをしてしまったのでした。
長野日産から請求はありましたが、支払い済みだからと、放置していたものが、欠席裁判となり、差し押さえとなってしまったのでした。
娘からの電話で、自宅へ帰ってみてみました。
たんす、テレビ、テーブル家の中のありとあらゆる物に、差し押さえの紙が張ってありました。
全部持って行って貰おうかとも思いましたが、泣いている娘にとっては大切なものばかりです。
かと言って、とても、500万なんて現金はないし・・・途方にくれてしまいました。
ちょうどその頃、岡信の上挙母支店がオープンして、私の事情など知らない支店長があいさつに来ていました。
普通預金・積み立てなどと言っておられましたが、そのままになっていたことを思い出しました。
支店へ行ってその支店長に、すべてを話し、500万の融資を、と言ってみました。全く、ダメもとのつもりでした。
「事情はよくわかりました。協力しましょう」
2・3日して、融資をしますから、印鑑を持ってきてください。
お願いした私のほうが、びっくりしてしまいました。
500万の融資を受け、差し押さえは解除されました。
岡崎信用金庫、上挙母支店、初代の支店長、簗瀬さんでした。
足を向けて寝れない、とは、こういうことだと思いました。
その後支店長は変わり、取引は発展しませんでした。
最悪期53年1月には、多分、5,000万円くらいの負債だったものが・・・
〇 53年に、保険の手続き前、死亡事故で、保険金500万円払ったり・・・
〇 以前勤めていたものが、給料の未払いのみならず、賞与の未払いなんていうことを言ってきて支払ったり・・
〇 未払い先の同業相手より、当方が経営上元気になり、高い利息を支払わされたり・・・
〇 今回のように、ダブル支払いをしたり・・・
その他もろもろで、結果、8、000万~9、000万円支払うことになってしまいました。
いろいろありましたが、おかげをもって、56年には、岡信分を除き、すべてを返し終わることが出来ました。
今だから言えることです。
「創業当時のルート」は次回でとりあえず終えます。