出来て当たり前の自分・

 白樺の木立の向こう、雲の上に、南アルプスの山々が望めました。

「この世に、こんな景色のよいところがあったのか!!」

茶臼山は私の脳裏に強烈な印象を残してくれました。


茶臼山から帰ってきても、強烈な印象が忘れられず

「来年も山へ行きたい!絶対行く!」

そのために、朝は、新聞配達 ・・

午後は、米屋さんの配達手伝いを始めました。



2年生の夏は、中央線の夜行列車に乗って、

蓼科高原から蓼科山へ登ってきました。


そのころ、自分の生活費、学費はなんなく稼げるようになっていました。

でも、中学校へ行くようになってから、、、、

山だけでなく、いろんな所へ行って見たいと言う好奇心が止まらなくなりました。

そのために働いているような状態になりました。



毎週のように、自転車で出かけるようになっていました。

日帰りで片道60キロの範囲でした。

知多半島一周・湯ノ山・養老の滝・金華山・犬山城・入鹿池・

定光寺・岩屋堂・猿投山・足助・三ケ日・新箱根・蒲郡・など等、、、



学校、アルバイト、サイクリング、繰り返しのまま、中学校3年生の夏を迎えました。

来年は、高校進学を控えておりました。

にもかかわらず、勉強なんて、一度もしたことがないと言う中学生でした。

その頃、私の姉の婚約者が、私の通っていた鳴海中学校のとなり、有松中学校で、3年の担任をしておりました。

澤田 堅と言う 先生でした。

当時、どの学校も3年生には、「中部統一テスト」と言う、業者テストを受けさせていました。

先生は、この成績を見て、他校生徒との学力レベルを比較して、指導していました。


澤田先生が宿直の日でした。

私は、となり校である有松中学校へ呼ばれました。

円形の校舎でした。

中部統一テストの結果を見て、「何だこの成績は!”・・・」


鳴海中学校の、3年生は9クラス、約600人でした。

その中で、170番くらいの成績だったと思います。

「こんなんでは、公立校は無理だよ」

「おねぇさんと、きょうだいだから、井上家の同じ血が流れているはずだろぅ」

「君なら、鳴中でベスト3以内にいて当たり前だろう・・」「おかしいよ・・考えられないヨ・」


「どの科目が特にダメなんだ?」

「歴史です・・・」

「地理は?・・・」

「いつも地図ばかり見てるんで、好きです。」

「あっそう・・」

「じゃー、歴史からだね1ヶ月みっちりやって、満点を取れるようにすればいいじゃないの?」


「出来て、当たり前!出来てない、今がおかしいのだ!・・・」

「不得意な科目を優先して、徹底的にやれば後が楽・・・」



そうだ、俺は学年で、1番の成績で当たり前なんだ。

ヨォーシがんばって、本来の俺になるぞ!

すっかりその気になって帰ってきました。



夏休み以後は、一切のバイトを止め・サイクリングも止め、、

本来の自分に戻るために集中しました。

先ず気持ちは、当然の自分になりきりました。

試験毎に成績は上がっていきました。


冬休みが終わってすぐにまた、中部統一テストがありました。

信じて止まなかった、本来の自分になりました。



鳴海中学校全校で、

第1位の成績を取ったのは・・・私でした。

ほっとはしましたが、あまりうれしくはありませんでした。

それは、当たり前の自分に帰ったのが、遅かっただけだから・・








「1番でない自分がおかしいのだ!!! 」

澤田先生は、その後姉と結婚して、良き相談者になってくれました。

残念なことに、15年ほど前に亡くなりましたが、、、




身内にすばらしい教育指導者がいてくれたので、


その後の自分があるのだと今も感謝しています。




私の販売の原点・・・


また、つづきを書きます。














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