自分のブランドが大切・・

 
志望の名古屋市立桜台高校へ入学が決まりました。

志望の理由・・・

    ① 自宅から一番近い公立高校だから

    ② 姉・兄ともこの高校だったから

    ③ 自分は将来、自動車屋になりたいから、
       県立愛知工業高校へと志願したら、
       自動車屋になるのなら、先ず普通高校へと、
       担任の岡田先生に奨められ
            、

           






● 高校に入って、クラブは小学校当時から得意だった、水泳部に入りました。

● 一時やめていた、サイクリングを復活しました。

● 登山も又復活しました。


と言うことで・・・また、またお金を稼ぐ必要に迫られておりました。


高校へ入ってからは、サイクリング・登山・水泳部と忙しく

全く勉強などはしなくなり、

どんどん成績は落ちてしまっていました。

1年生の時は、クラス 45人中25番くらい、

2・3年生の時は 40番くらいだったと思います。




そんな、高校では、劣等性の私でしたが、、

自宅の周囲は狭い地域ですので、

私が鳴海中学で、生徒会長をしていたこと、、、

全校で1番の成績をとったことで、

とても優秀な学生として見られていたと思います。




近所の人から、「子供の勉強を見てくれないか」と言う話が舞い込みました。

一瞬は、現在の自分の学業成績からお断りしようと思いましたが、、、

小学生・中学生なら大丈夫と言うことと、どうしてもお金が必要であったことから、

お受けすることにしました。

2人から始まって、生徒8人の小・中二部制の、小さな塾に発展しました。
  
月、1人 500円 だったと記憶しております。

塾からの月収入は、、4000円ほどになりました。




別に、夏休みの午前中だけでしたが、知多半島、新舞子近くの海岸で開催されていた、

知多水練学校の講師のアルバイトもしておりました。

これは、私が中学校3年生の時、有松小学校のプールで開かれた

有松、鳴海、大高地区合同水泳大会の、50メートル自由形で優勝したことで、

声がかかったものでした。

この水練学校からも収入があり、、月の収入は塾とあわせて、合計は、5~6千円ありました。

この金額は、中学校を卒業して働いている、私と同じ年齢の人達の、月収とおなじくらいでした。



収入が増えたことにより、

高校1年の秋からは、毎週のように、三重県の、鈴鹿山脈へ登山に出かけるようになりました。

登山の回数増と反比例して、成績は落ちていきました。



反対に、塾へ来ている子供達は、まじめないい子ばかりでしたので、

成績は、親さんがびっくりするほど、どんどん上がっていきました。

特に中学生の子は、最近私が歩んだ道、私が勉強した方法を教えるだけなので、

非常に教えやすく楽しかったです。

その上、成績が急上昇したからと、親さんからとても感謝され、

特別に謝礼などをもらうほどでした。













塾に通っていた子供達・・・・

1番 年上の子は、酒井さんという女の子でした。

私より3学年下でしたから・・・

もう、すでに、63~64歳になっておられます。

そういえば、その酒井さんは、私と同じ高校へ入学されたと聴きました。

やんちゃだった、1番年下の男の子でも、もうすぐ、60歳になられます。








水泳部員で山が好きだった私は、冬のトレーニングでよく天白川の堤防を走っていました。

学校で私は、水泳部として泳ぐことより、走ることの方が得意だったし、認められていました。

特に、5キロ・10キロを得意としていて、陸上部員でも私には勝てませんでした。

高校最後の冬、毎年恒例の、名岐駅伝に学校代表で陸上部員と共に出場しました。

写真は、そのときの、、ゼッケンです。


そんなに駅伝に強い高校ではなかったので結果の順位は覚えておりませんが、

笠松町から一宮市までの区間を走りました。


私が、たすきを受け取った時に、500メートルほど前を行く他校のランナーがいました。

このランナーを途中で抜いて、順位を一つ上げることが出来ました。


走りながら、 塾の子供達、学校の同級生・・・

みんなの応援してくれている顔が、浮かんできて頑張れました。



高校最後の良い思いでになっています。









あのかわいかった、こどもたちも、いまでは、きっと、
みんな、みんな、いいおじいちゃん・・おばあちゃんになっておられることと、おもいます。







高校時代に経験した2つのアルバイトから・・・

・・・「まず先に、個人のブランドイメージをあげておくことが大切!」・・・と言うことを学びました。

(先に、人に認めてもらうことがとても大切で、
いかに仕事につながっていくかと言うこと)

(そして個人のブランドイメージが本物の自分より上に行ってしまっていたら、
ブランドレベルまで自分をあげるように努力すればよいと言うこと)





私の販売の原点

    又、続きを書きます。




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