鬼瓦(鬼所長)のひとこと・・
昭和42年5月2日・・ゴールデンウィークのなか日でした。
いつもの喫茶店で、軽い昼食を取っていました。
「今朝、白馬岳で、名古屋市職員山岳会の、メンバーが足を滑らせ、700メートル滑落・・
現在捜索中!外山林生 24歳・・」ラジオから聞こえてきました。
そのニュースを聞いて、私は全身から、血の気が引いていくのがわかるほどでした。
この外山林生(とやましげお)君は、高校時代から、いつも山へ一緒に行っていた、親友でした。
同じ高校を出て、彼は名古屋市の職員になり、私と同じ、夜間の大学も一緒でした。
この度、山へ行く前、私のところへ、アイゼン(雪/氷の時靴につける金具)を借りに来ました。
冗談に、「自分は死んでも、アイゼンだけは返してくれヨナ”」と言って貸しました。
ラジオを聴いて、仕事は手につかず、いてもたってもいられなくなってしまいました。
すぐ会社に帰り、例の鬼瓦所長に理由を話し、今からすぐ白馬へ行きたい旨了解を求めました。
その時の、鬼瓦所長の言葉は、私にとって終生忘れられないものになりました。
「井上君が行けば、友達は、助かるのか?」 「今から飛んで行くのは、君の気休めでしかない!」
結果は、、、仕事中は行ってはだめ、と言うものでした。
翌日からの3連休を利用して、その日の夜徹夜で、走っていきました。
朝、白馬の麓へたどり着いて、変わり果てた遺体との対面になってしまいました。
現地ですぐ火葬となりました。
彼をのんだ「白馬岳」の麓は桜が満開でした。
真っ青な空に、残雪の白馬岳がまぶしく光っておりました。
彼を天に運んだ、だびの「けむり」に向かって・・・・
我々、山の仲間で唄った、あの「雪山賛歌」
山よ、さよなら、
ごきげんよろしゅう
又来る時にも、
笑っておくれ・・・・
山の仲間みんな、、涙でくしゃくしゃでした。
その、外山君を、私の、2歳年下の妹が好きでした。(この妹は、10年ほど前に脊椎癌で亡くなりました)
少し前、兄の私に、キュウピット役を頼んできたので引き受けておりました。
そのことを伝える前に、彼は、帰らぬ人となってしまいました。
その日以来、弔いのつもりと、寂しさから、山をやめました。
再開したのは、あれから、16年経ってからのことです。
「井上君が行けば友達は助かるのか?」
あの、鬼瓦所長の言葉を、今も忘れられません。
時には鬼になって、
情に流されない・・
冷静な判断が部下を育てる。
「悔しかったら、注文書を束にして俺を、殴ってみろ!」
「700メートル滑落、井上君が行けば、助かるのか?」
鬼瓦、大野 芳春所長・・
定年後、平成になってから間もなく、病気でお亡くなりになったとうかがいました。
私の販売の原点
又続き書きます。