出会いと別れ・・パートⅡ
私は、過去に役員をしていた会社から、
出たこと・出されたことが2回あります。
私の人生の大きな屈折点、通過点、として記憶に刻まれております。
2年程勤務した、カローラ愛豊を退社して、お客さんであった自動車部品会社の専務さんの勧めがあって、
その部品会社の子会社として中古車販売会社の代表取締役社長になりました。26歳でした。
カローラ愛豊を退社する時は、強く引き止められましたが夢を達成すべく、振り切って退社しました。
その1・・・
設立時、若干26歳の私が率いる中古車販売会社でしたが、どんどん成長して、
間もなく愛知県ではトップクラスの販売台数になっていました。
車検工場を作り、板金工場を吸収して、
5年後には従業員も35名以上の会社に成長しました。
急成長過ぎた為、組織がしっかりしておらず、外部から見ても不安定さは、歴然としていたと思います。
そこで、親会社は、組織を強固にして将来に備えることと、対外的に信用度を増すことを目的として、
親会社の専務が社長に、私を取締役営業部長にと言う人事を決定しました。
今思えばすばらしい戦略的判断だったと思いますが、若かった私は、社長から部長への降格と言うことのみを見て、
会社の全体や将来を見ずに、頭へ来てしまい、辞任、退社してしまいました。
今から36年前のことで、私は31歳でした。
自動車部品販売の親会社は、10年以上前から、
日本一の自動車部品販売会社として毎年すばらしい業績を出しておられます。
少し年月が経ってから、遅ればせですが・・・
この親会社の当時の専務から学んだことがすばらしいことばかりだったことに気がつきました。
その当時学んだことを、今でも経営に多く生かしております。
現在、ユーズネットグループの自動車部品仕入れの90%以上はこの部品会社からのものです。
今は息子さんが社長になっておられ、ご本人は相談役としてまだまだ元気にしておられます。
私の浅い考えで、一方的に不義理をしてしまった過去ではありましたが、
10年少し前のこと、相談役は、私をハワイのゴルフに招待して下さいました。
とてつもない器の大きさを実感させられました。
その後、今でも私が名古屋の本社へ立ち寄ると、
「井上君はうどんが好きだから」と、夏でも、鍋焼きうどんを取ってご馳走して下さる・・・
と言う親しい関係を続けさせてもらっています。
今だから言えることですが、
「良い出会いと別れ」を経験させてもらいました。