175ページ目

5パット!!!

台風9号の接近により、今日の天気予報は、朝から雨、午後は暴風雨・・・

今日は、中京ゴルフ倶楽部の取引先のコンペ、SUPPORTERS CUP 2007 に参加させていただきました。

心配した程の悪天候ではなく、小雨が時折・・程度でした。

天気は、予報がはずれ、まぁまぁでしたが、スコアーの予測はもっと大きく外れ、大荒れでした。

INスタート、10番ミドルホール・・・まず2オン、10ヤードほど上につけてしまいました。

結果は、2オン・5パット、7でなんと3オーバーでした。

ゴルフを始めて、10年半になります。

月に3回ゴルフをしたとして、約、360回のラウンドです。

その360回のラウンドで、5パットは記憶にありません。(ホールイン、ワンは1回ありました)






5パットは、ホールインワン以上に・・・

珍しいことなのです。



スコアーは当然、メタメタでした。


人生最後のくるま

「くるまをかえようと思っているんだよ。今度が最後のくるまになるなー」
今日来られたお客様の言葉です。

20年以上お付き合いをいただいた、私と同じ年(今年で65歳)のお客様です。
この「最後のくるま」と言われると、とても寂しいです。

ご自身で、「最後のくるま」と言われる、お客様の年齢は、若い人で60歳少し前です。

逆に御家族から、くるまに乗らないよう説得され出すのは、70歳を越してからが多いです。

ローン会社が、高年齢を理由に、引き受けに難色を示す、又は子供さんを保証人に要求してくるのは、75歳くらいからのようです。

当然「最後のくるま」になってしまうのには個人差があります。

私の記憶では、93歳まで事故無く、軽トラックに乗っておられたお客様がありました。

私のくるまは、2年前に買い換えました。
又、2~3年経てば、買い換えたいと思っています。
これが「最後のくるま」とは思ってもいません。

私が周囲に心配されて、乗るのをとめられてはいけません。
だから、心身共に健康でなければいけません。

「最後のくるま」と言われる年齢を、私が率先して引き上げなければ、と今は思っております。


くるまのある人生を少しでも永く楽しんでいただく・・・

これが、くるまを扱うユーズネットグループの、リーダーとしての大きな役目だと思っております。



地元って?

自宅の近くに、一年ほど前喫茶店ができました。
そのお店は、自宅からの出勤途上にあり一度は寄ってみたいと思っていました。

お店の名前は「すぎうら」と言います。
生まれ育った「地元」の喫茶店・・・「懐かしい何かを」・・期待して入ってみました。

日曜日の朝と言うことで、「地元」の若いご夫婦数組で賑わいを見せていました。
一人も知った地元の顔はありませんでした。お店の人も知りませんでした。
当然、私が求めた・・・「懐かしい何か」・・のかけらもありませんでした。

コーヒーを黙って飲んで、お店を出ました。
名古屋市内とは言え、東の一番外れの喫茶店・・コーヒー¥480はとても高く感じました。
生まれた、育った、今も住んでる、だけで、そこは私の「地元」ではなくなっていました。





一週間前に立ち寄って寂しい思いをした「喫茶店」の斜め前に、華厳宗「聖願寺」と言うお寺があります。
私の小学校時代の同級生が住職をしております。

住職は地元では人望が厚く、ご自身が住職になられてから檀家をたくさん増やして、とても忙しい人と聞いていました。
お寺へ行けば住職に会える。懐かしい本堂へあがってお参りしよう・・・

参拝者用の砂利の駐車場に車を止めて、本堂へ向かおうとして、変な気持ちになりました。
屋根つきの立派な駐車場が2台分あり、レクサスともう一台は最終型のセルシオ両方とも黒いくるまでした。
きっと、住職のくるまと、ご家族のものでしょう。

本堂の前に立って、また、変な気持ちになりました。
木造だった本堂が、コンクリート作りになっていました。
山の中にあった、「地元」の懐かしい・・あのお寺の筈が・・・


小銭入れの中に、1円玉・5円玉・10円玉・50円玉・100円玉・500円玉いろいろ入っていました。
お賽銭箱には、「5円玉」を入れました。
それ以上は私の気持ちが許してくれませんでした。


場所は確かに同じ場所・・・

地元の、あのお寺が・・・

どうにも納得できない、そういう私は、すっかり・・「地元の人」ではなくなっていました。


地元
と思っていたところが地元ではなくなっていました。



自分はよそから来た、「しんざんもの」と思っていた豊田市が、私の「地元」なのでした。





8月31日

8月31日は私の誕生日です。

幼いころ、この日は一年で一番いやな日でした。夏休みが終わってしまう日なのです。

でもうれしいこともありました。母親が好きなものを食べさせてくれました。

〇  どんぶり一杯の、サトイモの煮っ転がしの年

〇  イカ一匹丸ごとのしょうゆ焼きの年

〇  きんぴらごぼう腹一杯の年

〇  さんまの塩焼き丸ごと一匹の年

〇  ライスカレー腹一杯の年
・・・・・・・・・・・・・ 9月1日は、毎年下痢の日でした。でも良い思い出でした・・・・・・・・・・・・


株式会社ルートの決算は8月31日です。

常に不足感の強い私は、決算日を迎えて満足な気持ちになったことは、過去一度もありません。

今期もおかげさまで、当初立てた売り上げ、利益の最低目標はクリアーすることが出来ました。

でも、「・・・タラ ・・レバもっと・・なっていたのに・・・」たら・ればで、満足感はまったくありません。

見方・思い方を変えれば、非常に満足できる結果のはずなのです。



今年の8月31日は、        満足と感謝の誕生日          にしようと今は思っています。



その満足と感謝の中から、今期の反省と来期の目標を構築して行こうと思っています。

食糧難のときに、おいしいものを腹一杯食べさせてくれた、亡き母親はじめ先祖に感謝!

一年間、厳しい毎日に耐えてくれたスタッフに感謝!

毎日を支えて下さったお取引先に感謝!

そして、たくさんのお客様に感謝!


よし!来期もがんばるぞ!!!





今だから言えること・第5弾

「●●さんが、四国で死亡事故を起こしました。」


車が横転して、同乗していた女性が社外に放り出されて、車の下敷きになって亡くなった・・・

忘れもしません。昭和53年8月・・トヨタ自動車の夏休みの出来事でした。

当時のルートは、スタッフなし、私一人ですべてをこなしておりました。

あの日、夕方までの1~2時間、親しい人に留守番をたのんで、書類の仕事か、仕入れのため、外出しておりました。

●●さんのお車は、翌日がお渡しの予定で準備はできておりました。

当時のルートは、自動車保険の代理店資格は無く、保険加入はお金のみ預かり、正規の代理店にお願いしておりました。

対人1億・対物200万・搭乗者傷害500万という内容でお金は事前にお預かりしておりました。

お渡し予定の明日、保険の加入手続きはお願いしようと思っておりました。

留守番の人の報告も無く、そのお客さんが乗って行ったなんて思ってもいませんでした。

翌日の朝・・「●●さんが死亡事故を起こした!」と言う代理人からの電話でびっくり!!

まさかと思って、裏へ車を確認に行き、初めて乗っていかれたことを知り、血の気が引きました。

「500万円の搭乗者保険に加入しているはず。すぐ手続きをしてほしい・・・」

保険加入が出来ていなかった旨をはなし、平謝りの上、何とか月々の支払いで堪忍してもらうのに1ヶ月を要しました。

この一件が無くとも、当時の自分にとっては、天文学的金額の借金を負っていました。

その上、搭乗者保険の賠償分、月々 170、000円、30ヶ月払いが、づっしりと、のしかかりました。

「憂きことの、尚、この上に積もれかし、限りある身の力試さん」

この事故の約半年前、どうにもお金が回らなくなり、亡くなった母親に、お金を借りに行きました。
(後でわかったことですが、当時母親は、3、000万円以上持っていました。)

その時母親は、頑として1円のお金も貸してくれませんでした。でもお金のかわりに、この言葉をくれたのでした。

これは、江戸時代の、熊沢蕃山という人の言葉だそうです。

この、憂きことの・・・を唱えながら歯を食いしばったものでした。


あの時の、私のつらかった経験から学んだ、保険に対する心がグループ全体に受け継がれております。

そして、今では・・・
くるまは、ユーズネット・・・保険もユーズネット・・・として、お客様に安心をしていただいております。

今朝、母親のお墓参りをしてきました。
私に力を与えてくれた、「憂きことの・・」に改めて感謝をささげました。

今だから言えることでした。


変化に戸惑います・・

今年も間もなく、8月15日の終戦記念日を迎えます。

私は、終戦後間もない、昭和24年に小学校に入学しました。

鳴海町立鳴海小学校、東分場でした。

おばあさんが編んでくれた、「わらじ」で通学していました。

雨が降ると、ジョウリはべちょべちょになって、とても重かったです。

教室が足らなくて、一年生は「朝から学校」・二年生は
「昼から学校」でした。

あのころから、昭和40年頃に至るまでと、現在とで、言われる事が反対になっている事があり戸惑います。


〇夏は水分をしっかり補給しなさい。。。。?


(のどが渇いても、辛抱せよ!水分は取るな!余分に疲れる。でした)
登山が好きだった私は、水筒は持っていても、とことん飲まずにがんばったものでした。

〇日に当たるな!日焼けは皮膚がんの元。。。。?

小学校の夏休み前に先生は、「9月には、真っ黒に日焼けした皆さんと会えるのを楽しみにしています。」
朝のうちに宿題を済ませて、太陽の下、外で大いに遊びましょう・・・でした・・・

〇食べ過ぎに注意しましょう!太ってしまいます。。。。?

(たくさん食べましょう!まるまる太った健康なよい子になりましょう!)・・・と、言われていました・・・



今でも私は、炎天下のゴルフで迷います。

水分を補給すべきか、せざるべきか?

日焼けは良いのか、悪いのか?

よく食べるべきか、小食にすべきか?


最近ではこんな当たり前の常識で迷う人なんていませんよ・ネ・・


今だから言えること・第4弾

「おとうさん!ゆうべ、誰と、どこへ行っていたの?」



株式会社ルートを設立するまでは、こんな電話が、自宅からよく掛かりました。


株式会社ルートを設立したのは、創業から7年後の、昭和58年10月でした。

会社設立までは、すべてに個人(井上政彦)の名前が出てきました。

銀行・警察の古物営業許可・車の登録等々・・・

今は、くるまを買ってきたり、下取りをしたりすると、全車両(株) ルートの名義にしております。

個人営業の当時は、すべて、井上政彦名義にしており、住所は緑区の自宅でした。

車検、修理などでお貸しする代車もすべて、私、個人の名義になっていました。

駐車違反・放置車輌・スピード自動取り締まり等、すべて自宅へまず電話が掛かりました。



あの事件も、まず自宅へ掛かった静岡県警の電話からでした。

昭和57年12月26日だったと思います。
妻から、電話が掛かってきました。

「お父さん、ゆうべ誰と、どこへ行っていたの?」と言う電話でした。


「昨日、自分がどこでどんな仕事をしていようが、いらんこった!」と、思いはしたものの、何か疑われているな、と直感で分かりました。


電話の内容をよく聞くと・・・

愛知県との県境に近い国道1号線沿いのラブホテルを利用したカップルが、帰りにテレビを持ち帰った!
ナンバー照会をしたところ、井上政彦さんのくるまでした。というものでした。

「本人との連絡が取りたい」・・・と言うことで、びっくりした妻から私への電話となったのでした。

一生懸命働いていると信じていた夫が、どこかの女性とラブホテルへ・・・

事もあろうに、そのホテルから、テレビを盗んで逃げた!

警察から電話を受けた、妻がびっくりするのも当然です。

テレビを盗んだ車は、当社が代車としてお客さんに貸したものでした。

静岡県警にはお客さんの、名前と連絡先を教え、間も無く逮捕となりました。

お客さんの中にはひどい人もあります。

すべてのお客様が神様であって欲しいと願ってはいますが・・・思いどうりにはなりません。

お客様はよい店を選ばれます。
当社もよいお客様のために、「お客様を選ばなくては」と、思っています。

「ラブH・テレビ窃盗事件の犯人」に対し、私は厳しく対応しました。

このような人は必ず言います。

「お客に向かって、どういう言い方をするんだ!」・と・・

お客さんは何しても、店側はぺこぺこするものだとでも思っているのでしょう。

その後、例の犯人の顔を見た事は一度もありません。


「ラブH・テレビ窃盗事件」



今だから言えることでした。



















コメントくださった皆様、ごめんなさい!

今日まで、コメントの見方、承認の方法をを知りませんでした。

自分のブログにはコメントがないなーといつも思っておりました。

今日、ルーコさんに教えてもらって、読ませていただきました。

私のつたないブログにコメントを下さった皆様にお詫びと、感謝申し上げます。

これからも覗いてやってください。

コメントもお待ちしております。


Boo-log ファンの皆様へ
井上 政彦 拝


今だから言えること・第3弾

私の席の後ろに、犬の写真が飾ってあります。

昭和54年2月にお客様から生まれたばかりのオスの小犬をもらってきました。

ナッキーと言う名前をつけてもらいました。

いじめたり、可愛がったり、自分自身の気分で付き合っていました。

お風呂も一緒に入りました。嫌がっていたようですが、きれいに洗ってあげました。

そして、夜はいつもいっしょの布団で寝ていました。

でも必ず朝になると彼は布団の外にでていました。

きっと、私のねぞうが悪かったのを嫌ったのだと思います。

夜、喫茶店や食堂へ残飯をもらいに行っておりました。

残飯をもらって帰ってくると、しっぽを振って、喜んで食べてくれました。




昭和54年2月生まれ


平成5年8月11日没、享年14歳





当時「ルート豊田」と言う名前で、貸し店舗の前に数台のくるまを並べて営業していました。

くるまの整備は、店舗裏の空き地でしておりました。

裏で整備をしている時に、お客様が来られてもわかりませんでした。

昼間、ナッキーは事務所の中にいてもらいました。

お客様が来られたら「わん、わん」と、吠えて知らせてもらうように教え込みました。

私が事務所の中にいる時は絶対に吠えないようにする。

私が外にいて、吠える声を聞いて事務所へ入ったら吠えるのを必ず止める。

私がお客様と商談している時は、伏せているようにも教えました。

ナッキーは犬とは思えないほど利口でした。

ナッキー本人も自分が犬だとは思っていなかったようです。

その彼が亡くなる少し前に、住み慣れた貸し店舗を壊して、今の店舗を作り、引越ししました。

新店舗に彼はなじめず、嫌がっておりました。

環境の変化が元で、以前から患っていた癌が進行して、間も無く亡くなってしまいました。

亡くなる前日の夜、「くーん・くーん」と私を呼びました。

頭を抱いてやるとほっとするのか泣き止みました。その夜は一睡もせず彼を抱いていました。

抱いてやりながら、ナッキーとの14年間を思い出し、涙があふれて止まりませんでした。

ナッキーの目からも涙があふれていました。

次ぎの日は私の長男の結婚式でした。

朝心配しながら来てくれた苅谷部長に後を頼み、後ろ髪を引かれる思いで結婚式に臨みました。

ナッキーが亡くなったと聞いたのは結婚式が終わった後でした。

長男の結婚式に、仲人がドタキャンと言う前代未聞の、考えられないことがおきました。

結婚式はなんとか、代理の仲人で、とどこうりなく終えることは出来ました。

今思えば、ッキーが亡くなる時、必死に私をそばにいさせようとしたのだろうか?・・・・

今年8月11日・・・
15回忌を迎えるに当たり、天国のナッキーに改めて、感謝の意を届けたいと思います。

合掌



人件費も払えない、苦しい時、犬に「店番」をしてもらっていた!


今だから言えることでした。



少 子高齢化に歯止めを・・

今日、ホテルフォレスタで結婚式があり、出席させていただきました。

6月12日に結婚披露ゴルフコンペを、京和カントリーですまされた、カップルです。

新郎は私と同年齢の64歳・・・ 新婦は昭和48年生まれの33歳です。

ご参加の知人・友人は55歳以上、70歳位のかたばかりでした。

○「おい、今日は、還暦のお祝いか?」

○「今日ネクタイを黒いのと間違えてしてしまった!気がついたでよかったけど!」

○「俺なんか、礼服のポケットに数珠を入れて来てしまったぞ!」

我々の年代になると、礼服着用の機会は、葬式10に、結婚式1くらいの割合になっています。

●知人のあいさつです。「あと短い人生ではありますが、末永くおしあわせに・・・」?なんかおかしかったです。
でも、実感がこもっていました。冗談だったのでしょうか?

●別の方は、「新郎はライオンズクラブでいろんな奉仕活動をしてこられ・・・・その奉仕の心が、今、日本で問題になっている、少子高齢化に歯止めをかけなくては、と言う、気持ちになったのでしょう。」
「未来の日本に奉仕・・・? 本当かいな?」は私が思ったことでした。

●ある来賓の言葉です。「われわれ世代に夢をあたえてくれた。」「やれば出来る。」
「少し前、上原 謙は70歳で子供を作った。新郎も、上原 謙の年を越すまで頑張れ!」

新郎はわれわれ60歳代に夢を与えてくれました。





おめでとう・・・

60代は、心の持ち方で、
青春真っ只中



少子化に歯止めを・・・

末永く、お幸せに・・・・・・


おいでんまつり

今年も、「おいでんまつり花火大会」の日がやってきます

貸し店舗のお店で、一人で営業していた、昭和53年夏に始めて豊田の花火を見ました。

同業の提供する花火に、悔し涙を流しながら、 「今に見ていろ!俺は仕掛花火を出してやるぞ!」・・・・・・・当社の仕掛花火が現実になったのは、悔し涙のあの日から、15年を要しました。

そして、今年で15回を数えます。

その間何度も止めようかと悩みました。

○バブルがはじけて、販売がひどく落ち込んだ時・・・・
○平成11年の豪雨で、展示場が浸水し、預かっていた車、商品車合計50台が被害にあった時・・・
他にも止めたいと思い悩んだことが幾度かありました。

そんな時、
「ルートは無理して~ いい格好して~」
「あの仕掛けは、1年か2年で終わる、線香花火だ!」
と言われた外野席の声が思い出され、歯を食いしばって今まで続けてきました。







プログラムを見ますと、ユーズネットの仕掛けは、7時44分とのことです。











ユーズネットを支え続けてくださった、創業来延べ約40、000台のお客様にまず感謝!・・・
そして、過去の苦労や悔しさを常に忘れず、強力なバネとして・・・
グループ60余名、力を合わせて未来へ羽ばたきます・・・

その心を花火に託して、・・・
ユーズネットグループは、明日の夜、矢作の川面を照らします・・・


2024

12

1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

最新記事

カテゴリー

アーカイブ

ハッシュタグ