伝説の人??
カローラ・ルミオン店頭発表会に、トヨタカローラ愛豊・豊田店へ行ってきました。
カローラ愛豊は、私が昭和41年から43年まで、2年だけですが、新車セールスとして勤めていた会社です。
ショウルームの入り口で、豊田地区の営業部長が私を見つけ、笑顔で迎えてくれました。
今日は本社から、専務が来ているから紹介すると言われ、紹介してもらいました。
専務さんの顔を見てびっくり、私の在籍時代の後輩だったのです。約40年ぶりの、懐かしい再会でした。
その専務さんが今度は、私をたまたま来られていた、トヨタ自動車の、カローラ店営業本部長に紹介してくれました。
「カローラ愛豊の、伝説の人」と私を紹介してくれました。
勝手にやめて、しかも40年も経った今、私を「伝説の人」と言ってもらえた事に、私は非常にうれしく思いました。
愛知トヨタに入社して、ガソリンスタンド勤務5年
グループ会社のトヨタカローラ愛豊が、パブリカ・カローラの新車の販売を始めると言うことで、転籍となりました。
愛知トヨタから新車販売経験者と私のような、未経験者含め、約120名で販売が始まりました。
その120名の中で、自分は根拠もなく、絶対1番になろう・いや、なるんだと・とおもってい
ました。
〇 昭和41年8月 トヨタカローラ愛豊の新車販売、第1ヶ月目に新人の私が13台で、1番になりました。
先輩セールスの人たちは、「あんなものは、”線香花火だ”続くはずがない!」と、陰で言っていたようです。
〇 翌月、9月から、3ヶ月間の、「オールトヨタ、ハワイキャンペーン」が始まりました。
全国のトヨタ販売店から優秀セールスを選抜して、初めて海外へ招待するキャンペーンでした。
全国から、約100名ほどと聞きました。
当時ハワイへ行くには、1,000ドル必要でした。1ドル360円の時代です。36万円・当時の私の年収分です。
発表されて即座に私は、「ハワイへ行くぞ!」と、勝手に決めていました。
全国から、約100名ほどと聞きました。
当時ハワイへ行くには、1,000ドル必要でした。1ドル360円の時代です。36万円・当時の私の年収分です。
発表されて即座に私は、「ハワイへ行くぞ!」と、勝手に決めていました。
● 9月からキャンペーンは始まりました。
がんばり過ぎた私は、25日頃、急性腎炎で倒れてしまいました。
見舞いに来てくれた人の話で、9月も14台販売した私が1番だったと聞きました。
10月は1ヶ月間寝たきりでした。
11月10日頃、出勤の許可がやっとでました。短時間のデスクワークなら、との、条件付きでした。
キャンペーンが終わって、10日ほどで発表になりました。
期間中37台達成で、私のハワイ行きが決まりました。
愛知県のカローラ店5社、セールスマン数、1、300人の中から4人が憧れのハワイへ行くことになりました。
見舞いに来てくれた人の話で、9月も14台販売した私が1番だったと聞きました。
10月は1ヶ月間寝たきりでした。
11月10日頃、出勤の許可がやっとでました。短時間のデスクワークなら、との、条件付きでした。
キャンペーンが終わって、10日ほどで発表になりました。
期間中37台達成で、私のハワイ行きが決まりました。
愛知県のカローラ店5社、セールスマン数、1、300人の中から4人が憧れのハワイへ行くことになりました。
● ハワイで他社のセールスマンの引き抜きに成功!
ハワイで同室になったのは、私と同じ地域を担当していた、他社の優秀セールスマンでした。
私にとっては、死んでほしいくらいの「敵」でした。
ハワイでの一週間でその「敵」を引き抜くことに成功して、会社への「おみあげ」にしました。
会社ではびっくりされ・・・わたしにとっては、昨日までの敵が味方に変わって、おおいに、協力して貰いました。
〇 3月1ヶ月間の社内キャンペーン開催
● ハワイから帰ってすぐ、3月に販売キャンペーンを行うと発表がありました。
● 1番・・・8万円 2番・・・5万円 と言うものでした。(当時私は、基本給3万円手当て込み8万円位でした。)
早速その夜、私は、高校当時の同級生が勤めていた、住吉町の、クラブ「ココボ」へ行きました。
4月〇日に必ず支払うと言う約束で・・すいていたお店ほぼ貸切で、8万円使ってしまいました。
● 1番になり約束どうり、支払いをすることはできました。でも次の給料で多額の所得税には悩 まされました。
〇 1年が終わり年間順位が発表されました。
● 年間160台で私が1番でした。2位は確か、110台にも達していなく、差は、50台以上ついたと思います。
翌年、昭和43年春、出勤途上、鶴舞交差点で追突事故にあってしまいました。
その時の、保険会社からの賠償金、と、退職金をもって退社して、中古車会社を設立しました。
バックアップしてくれる親会社があってのことでした。
あんな、こんなで・・・私は「伝説の人」なのです。
今だから、言えることでした。