創業当時のルート
借金返済と、仕入れ・経費支払い、毎日が地獄でした。
約束した日に支払いが出来ないことが、たびたびでした。
約束の支払いが出来ないときは、朝一番で謝りの電話をするようにしていました。
いやな・・言いにくいことは先に済まさないと、一日中憂鬱で仕事になりません。
そんな苦しい時、ある人から、楽になるからと、シャブ(麻薬)を薦められました。
楽になりたい!でも・・・
シャブには手を出しませんでしたが、とても良い、勇気の出ることを発見しました。
それは・・・
言いにくいことを、言う前・電話する前に、「冷や酒」をコップ一杯グィッと一気に飲み干します。
すると、顔が暖かくなる寸前に非常に勇気が出るということでした。
あの頃は常に、一升瓶を用意しておりました。
商談している最中に、電話が鳴り、支払いの催促されると、商談はこわれてしまいます。
考えて、電話機のベルにテープを巻きつけ、音は出ない・・かすかに振動するのみにしました。
電話のベルが鳴らなくなって、商談に力が入るようになりました。
お客様から犬をもらってきました。
事務所の中において、私が裏で整備などしている時、表にお客様がいらっしゃったら、「ワン、ワン」とほえる・・・
私がその鳴き声で、来客を知り、事務所に入ると、ぴたっと、鳴き止むようにしつけました。
一人の人件費が節約できました。名前は、ナッキーといいました。
13~14年生きて亡くなりましたが、その時の悲しみから、もう・・犬を飼うのは絶対いやだと思いました。
ナッキーには、仕事上と、癒しの両面で助けてもらいました。
必死の日々を送っていましたが、その頃、自宅へは一円も持ってはいけませんでした。
妻は子供たちに食べさせるため・・・
朝、3時か4時に家をでて・・牛乳配達・それを済ませてすぐに新聞配達・・
家へ帰って、子供たちを学校に出し・・スーパーでレジのパート・・
いくら頑張ったとはいえ・・・
子供たちには、とても人並みにはしてやれなかったはずです。
おかげでそんな中にありながら、子供たちはまっすぐ以上に育ってくれているようでした。
迷惑だけかけて何にもしてあげれていない、だめな父親に、「お父さん、いつもお仕事ありがとう!」の手紙・・・
涙なくして読めませんでした。
時折もらう手紙が励みとなり、歯を食いしばることが出来ました。
数日の電話番、と言うことで来て貰い、間もなく30年になる、苅谷部長
初めの頃は、約束の給料も一度には支払えませんでした。
支払えるときに1万・2万と支払っていました。
その少ないお金から、最初に買ったのは、お米ではなく・・
通勤のバスの回数券であったと聞き、ジーンと来てしまいました。
お客様に恵まれ、周囲に支えられて、最悪から1年経ちました・・・
54年2月~3月で一気に勝負に出ることにしました。
文字どうり、「ダメもと!で」
今だから言えることです。
つづきはまたかきます。