創業当時のルート
54年1月・・・大変なことになってしまいました。
130万ほどで買った、セリカリフトバックの支払いが、約束の日に出来なくなってしまいました。
その車の代金は、あるお客さんが、トヨタカローラ名古屋で新車に乗り換えるための頭金でした。
お客さんは、真っ青・・困惑するディーラーは・・新車が納まらず、大変な問題になってしまいました。
お客さんの代理で、ディーラーの課長さんが支払いの催促に来られました。
どなたが来られようが、お金がないので払えません。一週間待ってほしいと頼みましたが、答えは、「NO」でした。
ディーラーの課長さん、らちがあかないと思い、「明日中に支払ってもらえなければ、ここの商品車全部もらって行く!」
なかば、捨て台詞のように言われました。その時当社には、安い車ばかり7台ほどありました。
私は、その課長さんの話に「しめた!全部持っていってもらおう」と、心の中で決めました。
翌日、課長さん率いる、何人かのスタッフが、私を見下したような態度を取りながら、意気揚々と全部の車を持っていきました。
一日にして、7台の車が、130万円で売れました!!!
一台も商品車はなくなりましたが・・・支払う予定にしていた、130万円は2~3日後に用意できました。
お蔭様で、願ってもないチャンス・・・いやな思いはしましたが、再出発することが出来ました。
よし!再出発だ・・・
〇 売値の幅を、昨年のヒトケタ車に加え十万円台のものまで拡げました。
〇 男性スタッフを入れて、3人体制にしました。
〇 クレジットが取り扱えるようにしました。
〇 折り込み広告を出すことにしました。
売値の幅は、毎年10万円ずつ上げていこうと、計画しました。(この計画で、新しい商品車を入れることにしました。)
取り扱い車種も毎年拡げていこうと思い、軽・ライトバン・クラウンクラスは来年以降に温存しました。
黄色いちらしで、赤一色の写真と文字、片面のチラシを月に3回、地域を絞って折り込むことにしました。
(裏は、メモにお使いくださいと書きました。)
このチラシ作戦は、お金の用意があってしたものではなく、全くの「ばくち」でした。
田岡信夫著、ランチェスター戦略を読み、参考にして勝負をかけたものでした。
外れれば、もとのもくあみでした。
一回目、反応なし・・
二回目、3~4人の来場・・売り上げ 0台
3回目、なんと、20人ほどのご来場で、10台売れました。
この成功によって、この年、月の売り上げ12~13台から始まって、12月には40台ほどに成長できました。
今だから言えることです。
又、つづきをかきます。