販売の天才と言われ・・・

トヨタのセールスマンだった頃から、、

誰が言い出したのかは定かではありませんが、、

私は、販売の天才とよく言われました。

でも自分では、今まで天才だなんて、思ったことは、ただの一度もありませんでした。






写真は、昭和56年頃、ある雑誌の記事です。

昭和51年、国道248号沿い、今のユーズネット豊田のある場所

貸し店舗の一店を借りて「ルート豊田」と言う中古車店をはじめました。

創業後大変な思いを経験させてもらい、何とか立ち直った頃の取材でした。



私は決して天才ではありません。

人並み以上にお客様の為に行動した結果だと言うことだと思います。




昨年秋から、極度に景気が落ち込み

車だけでなくものが売れなくなりました。

車のディーラーでは、年始にあたりトップから、

「車販売の原点に戻れ」とはっぱがかかているとか聞きます。

原点とは、お客様を店で待つのではなく、

お客様の方へ出向けと言うことだと思います。

車の訪問販売は、第一次オイルショック前、

昭和四十年代の販売スタイルです。

そんな話を聴き、自分の物売り、販売の原点を、、

もう一度思いだして、ブログで書いていこうと思いつきました。


これから、何回かにわたり、私が経験してきた、通ってきた・・

販売の道を振り返ってみようと思います。





私の人生で初めて物を売ったという経験は・・・

小学校の4年生の時です。

親の商売がうまくいかず、とても貧乏だった私は、、

鉛筆、消しゴムを買うお金も親からはもらえませんでした。

道路、ゴミ捨て場、空き地、ありとあらゆる場所から

鉄くずを拾ってきては、当時の鉄くずやさんへ売りに行っておりました。

そのとき初めて、あか(銅のこと)や、真鋳(しんちゅう)が高く売れることを知りました。


高く売れるモノを沢山集めたい・・・・

毎日そんなことを考えておりました。

ある日気がつきました。

自宅近くの山に、廃屋があり、そこから、、

スジカイに使っている、長いボルト

電気配線の銅をとることにしました。

毎日、毎日、、廃屋にもぐっては、沢山の売り物を集めてきました。

鉄くずやさんのおじさん、最初の頃は大変喜んでくれました。

お金をもらって、人に喜んでもらうことを初めて経験しました。


でも、しまいに、鉄くずやさんが怪しみ、親に忠告され・・・

「泥棒を育てた覚えはない」と、父親に往復びんたをはられ、、、

この商売はやめることにしました。

このとき、初めて物を売るという経験をしました。

小学校4年生の時、昭和27年のことでした。


今だから言えることでした。



私の販売の原点、、又続きを書きます









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