地元の大先輩逝く

太田勝美さん

私共と、ご同業であった、

地元の大先輩が亡くなられました。


昭和 8年12月10日

現、豊田市司町で生まれ、

地元で育ち、

地元で商売をし、

地元で悠々自適の生活を送り

76年 9ヶ月の人生を閉じられました。



若い頃、自転車屋さんで自転車修理販売を覚えて独立、

自転車やさんを開業

その後、オートバイ屋さんになり、

そして、自動車の販売会社 (株)太田モータースを設立、

15年前(平成7年)に同社を清算されるまで、

社長として手腕を発揮されました。


葬儀式場で、ナレーションで太田さんの歩まれた人生を聞き、


すごい人だったんだ、と改めて感心いたしました。

時代のうねりをしっかりととらえておられました。

自転車からオートバイ、そして、

自動車販売へ・・・

過ぎ去った過去を語るのは容易です。

でも太田さんの、時代の読みは的確でした。

その上、時代ごとに柔軟に業種転換していかれた行動力は、

すばらしいものがありました。


今、また大変化の時代です。

先輩が現役なら、今の時代をどうとらえ、

そしてどんな行動を起こされたのでしょうか?

聞いてみたい気がします。

先輩太田社長のすごいことは、、、

バブルがはじけて、間もなく、なんと会社を清算してしまわれたことです。

62歳でした。その後は、好きなゴルフと好きな酒という、

悠々自適の人生を送っておられました。

会社は息子さんが、新会社を作ってお客様を引き継ぎ、

現在に至っておられます。

私にはとてもまねは出来ません。

でも太田先輩社長から、

多くを学ばせていただきました。





私が、豊田で創業したのは、今から34年前でした。

国道248号線沿いの、貸し店舗で開店しました。

15坪の事務所と4~5台の展示スペースのみでした。

南となり 約 300メートル先に 先輩の会社(株)太田モータースはありました。

500~600坪の敷地に、展示場と事務所、工場がありました。

当社との比較は、さしずめ、戦艦大和といかだ舟でした。



当社の創業から数年経過した頃、、、

ある夜のお店で、従業員と3人ですっかり出来上がっている

太田社長とぱったり出くわしました。

私を見つけ、いきなりです・・・

「おいっ!井上っ!」

「よそ者がおおきい顔するなよぉ!」

「挨拶がおそいっ!」

「お前なぁ、豊田では新参者だろう・・」

「新参者は、新参者の態度を取れ!」

「新参者には、俺が教えてやる”」

いきなり、私の胸ぐらをつかんできました。

気の短かった私ですが、

酔っ払い社長と、もみ合う気にもなりません。

すぐその店を出てしまいました。


自分は、この豊田の町では、

よそ者・・・

新参者・・・


いくら酔っ払っておられたとはいえ、

私に対して心のどこかにあった事を教えてくれたのだ。

それ以来、

よそから来て、この町で商売をさせていただいている、「よそ者だ」

豊田の町では、まだ数年の「新参者だ」と、、

自分に言い聞かせ、挨拶は、常に先に、、、態度は低く、、、

を徹するようにしました。

その数年後に、住民票を豊田市に移しました。

やっと、晴れて豊田市の住民になることが出来ました。


酔っていなければ言ってもらえなかったことだとは思いますが、

私を厳しく戒めてくれた、先輩の一言、二言でした。


会社を清算されてから、ゴルフ場でお会いすることがありました。

まさしく、先輩が子飼いの後輩を気遣ってくれるような感じで、

「ひさしぶりだなぁー、井上君 頑張っとるかぁ、」と声をかけてくださいました。

いい感じで年を重ねておられるなーと、私は思っておりました。



2年前になくなられた、

八重子奥様のいる天国へ

急いで行かれたようです。

好きなように生き、

好きなように逝かれた

太田先輩の人生、

ドラマよりすばらしいと、

思いました。


           合掌










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