豊田の運転代行先駆者
豊田市で最初に 運転代行業を始めたのは
さんゆう代行の 田貝さんでした。
平成13年2月のことです。
私は当時 豊田店事務所の2階で寝泊まりしていました。
あの日、夜10時ころ
夕食を済ませて帰ってきたら
展示場で車を見ている人がいました。
「今晩は・・」と 声をかけました。
その人が群馬県からはるばる 豊田の地を選んで
この豊田で 初めて運転代行業を始められた
田貝さんでした。
その田貝さんが
間もなく・・・11月20日を最後に
娘さんたちの待つ群馬へ帰られるとのことです。
最初に当社の展示場で お会いした日は
運転代行の随伴車を探しておられたのでした。
平成12年の暮れのことでした。
豊田で運転代行の仕事を始めるんだと
目を輝かせておられました。
翌年2月運転代行業を創業された
あの当時田貝さんは
55~6歳だったと思います。
すでに70歳が近くなった年齢になっておられます。
「飲んだら運転代行」
「豊田の街から・・飲酒運転を絶対なくさなければいかん!」
と田貝さんは口癖のように言っておられました。
その心意気に賛同した 私も含め 飲み助仲間 7~8人が
「さんゆう代行 田貝さん支援協力会」のような会を作って応援しました。
田貝さんのがんばりによって
さんゆう代行は軌道に乗って
その会も 1~2年後には 必要がなくなり
自然消滅となりました。
とは言え 豊田市初の 運転代行業と言うことで・・
大変苦労をされたと聞きます。
使用していた人がやめたり、
病気で休んだりした時も、
自分は 仕事を休まれませんでした。
お客さんの車を届けたのち・・
近くの駅まで歩き 電車で帰ったり
10キロ以上の道のりを
もくもくと歩いて帰られたこともあったと聞きます。
豊田市での代行業先駆者の田貝さんは
12~3年かけ、苦労に苦労を重ねて
立派に・・「飲んだら運転代行」を定着させました。
先駆者である 田貝さんが苦労の末
運転代行業を豊田市に定着させて・・
間もなく豊田を去られます。
7~8社ある豊田市の運転代行業者さんが、
先駆者 田貝さんの豊田市の運転代行業に賭けた一途な思いと
苦労を理解して 業界発展に尽くしてほしいと願っています。
見慣れた、屋根の明かりも・・
間もなく見られなくなります。
さんゆう代行をこよなく愛して、
毎日の生活の一部にしておられた・・Y社長始め
たくさんのおなじみさん。
きっと 私以上に さみしいでしょう。
今後、夜の足はどうされるのかと
他人ごとながら心配になります。
願わくば、もう2~3年続けてほしいと願うのは
私だけではないと思います。
とは言え・・・
群馬では、娘さんをはじめ御家族が田貝さんの帰りを
心待ちにしておられます。
私が勝手なわがままを言うわけにはまいりません。
群馬に帰られたのちも 健康に留意され
その後の人生が健やかなものになりますように
祈リたいと思います。