北海道の人も拘置所の人も「今だから言えること」
今年の夏・・北海道キャンピングカーショー出展を終えて
帰りに見つけた「花いっぱいの道
苫小牧で中古車販売業に失敗した K君を豊田へ連れてこようと
北海道へ行った折も 支笏湖を訪れていました。
北海道で行方不明の人も、拘置所の人も
「今だから言えること」第10弾
2008年04月12日 20:12
北海道の人
ユーズネットグループのくるま販売に携わるスタッフは、本年度入社3名を加え、45名になりました。
創業来、32年・・・・いろんな、スタッフが入社し、そして、退社していきました。
私が最初に就職したのは、愛知トヨタのガソリンスタンドでした。
北海道から、名古屋の大学に来ていたK君は、そのスタンドでバイトをしていました。
私が新車の販売に転進して、名前が売れるほどの成績を上げるのを、憧れの目で見ていたようでした。
だから、彼も大学卒業と同時に、札幌のトヨタディーラーのセールスマンになりました。
その年、彼は、そのディーラーで新人賞を取ったと報告がありました。
その後、彼は、5年ほどで優秀な成績を残して退社しました。
彼の地元、苫小牧で独立して中古車販売店を始めるためでした。
店を開いて、4~5年経ち、「経営状態が良くない、どうしよう」と、相談の電話が入るようになり心配していました。
心配になった私は、苫小牧まで出かけて指導したこともありました。
その甲斐なく、彼の会社は倒産、本人は身を隠してしまい、連絡が取れなくなってしまいました。
昭和55年のことでした。
「どうしているかなー」
最初は心配してましたが・・・・
月の販売台数100台を、「何が何でも達成するぞ!」と、決めていた、当時の私です・・・
彼の販売パワーを埋もれさせるのはもったいない!!
「なんとしても探し出し、当社へつれてこよう!」と、心のなかで決めました。
北海道で身を隠している人を・・さあ、どうやって探そうか?
まず、業界専門の月刊誌の伝言ページに、「尋ね人」として出してみました。
発売されてから、数日で反応がありました。彼の友達からでした。
居所がわかりました。
奥さんの実家で、札幌でした。
さっそく、札幌へ行きました。
いろんな問題が未解決で・・・今は動けない、とのことでした。
それから、約一年の間に、3回ほど訪ね、やっと彼を豊田へつれてきました。
落ち着いたら、家族も、豊田へとの約束でした。
K君がスタッフに加わったのは、昭和56年でした。
拘置所から出てきた人
もう一人強力なスタッフが、57年に加わりました。
前取引先の整備工場の社長で、名古屋拘置所から出てきた、O氏でした。
O氏の会社も経営が行き詰まり、倒産末期に、「法に背いたこと」をしてしまったのでした。
(O氏の件については、昨年秋、わたしのブログに書きました。)
53年に、行き詰って再建を果たした、私・・・
55年に、苫小牧で中古車会社を破産させた、K君・・・
57年に、整備工場を倒産させてしまった、O氏・・・
今日生きる事に命を懸けている、最強の3人が揃ったことにより、、、、
昭和57年12月に、中古車展示5台で、念願の100台販売、が、達成できたのでした。
それからのK君はホームシックなのか、販売意欲は下がってしまい、ついには北海道へ帰ってしまいました。
その後、一度も音沙汰はありませんでした。
たまに、北海道へ行くと、「どうしているかなー」と、思い出すくらいでした。
1年半前のことです・・・
愛知トヨタのガソリンスタンド勤務の時、お世話になった当時の森所長が亡くなられました。
そのお通夜が瀬戸でありました。K君と23年振りに再会しました。札幌から駆けつけたとのことです。
その後ずっと、車とは全く関係のない仕事をしているとのことでした。
顔色もよくとても元気でした。
仕事で行き詰まり、どん底以下になっていた彼に対して・・・・
救いの手を差し伸べたように見せかけて・・・・
当社が100台達成の為に、犠牲にしてしまったのかなーーー
当社の歴史を駅伝にたとえるなら・・・
K君も立派に、タスキをつないだ、ランナーの一人でした。
「今だから言えることでした」