中日新聞にミラ青パトが掲載されました
ユーズネットが東海学園大学に寄贈した、
ダイハツ ミラ の青パトが
今日(11月9日)の中日新聞朝刊に大きく掲載されました。
ユーズネットが寄贈した、
小さな車が・・・
大きな仕事をしてくれています。
ユーズネットが東海学園大学に寄贈した、
ダイハツ ミラ の青パトが
今日(11月9日)の中日新聞朝刊に大きく掲載されました。
ユーズネットが寄贈した、
小さな車が・・・
大きな仕事をしてくれています。
ユーズネットは、
東海学園大学へ、ダイハツミラの「青パト」を寄贈しました。
今朝、大学内でその「青パト」の出発式が盛大に執り行われました。
警察のパトカーのすぐ後ろで、
ミラの「青パト」が出発を待っています。
出発を前に式典が行われました。
私も来賓として壇上に呼ばれました。
来賓席は、左から 豊田警察署長 みよし市長 なんとその隣が私です。
壇上で、私から学生さん代表へ模擬キー贈呈のセレモニーもありました。
今日は、ユーズネットが寄贈した、
ダイハツ ミラ「青パト」が主役です。
来賓や地元代表のみなさん・・
そして、多くのテレビ局や新聞社など、取材カメラが、
主役「青パト」の門出を撮っていました。
今日の主役ユーズネットが寄贈した
ダイハツ ミラ 「青パト」の
雄姿です。
この小さなクルマが、
みよし市の安全に貢献してくれる・・・
贈った側としてありがたい限りです。
がんばれ!「青パト」!!!
がんばれ!東海学園大学!!!
「山路、20周年謝恩の集い」が11月3日に開催されました。
オープン当初からのお客さまを中心に、
40名以上が集まりました。
日頃よくお会いする方、
久しぶりにお会いできた方、
和気あいあいのひと時を過ごさせていただきました。
競争の激しい飲食業界にあって、
20年・・・は・・
時は移れど、自分のお店として
集う良いお客様
人は変われど「山路」にぴったりの
歴代と現スタッフ
時は移れど
経営方針のぶれないママ
3者3強が揃わなければ、
出来ないことと
改めて思いました。
豊田市に無くてはならない
和食の店「山路」として、
これからも、3者3強で・・
ずっとがんばって行ってほしいと
願っています。
今日の昼は・・
久しぶりに、からめ亭へ
ミラカンスパのLサイズ
石川遼君の彼女のこと・・
遼君とお父さんとのこと・・
週刊誌を見ながら、
至福のひと時でした。
ダイハツ工業主催
販売店感謝の集いが
今年、2月7日 震災前に開催されました。
開催場所は東京品川
プリンスホテル ニュー高輪でした。
その席上
ダイハツ工業の伊奈社長は
5年以内に、国内の販売台数を
トヨタに次ぐ 第二位にすると宣言されました。
昨年は第4位でした。
今年1月1日の業界誌(日刊自動車新聞)で
ガソリン車でリッター30キロ、
価格は100万円以内の車が計画されていると報じていました。
まさかと思ったら現実になりました。
ダイハツのミラ・イース
マツダのデミオです。
9月ダイハツから発売された
ミラ・イースは、
予想を上回るハイペースで売れ出しました。
今年10月の国内販売台数が発表されました。
何とダイハツが10月度単月ではありますが、
トヨタに次ぎ第2位になっています。
2月7日の
ダイハツ工業
伊奈社長の言葉が思い出されます。
「5年以内に、トヨタとダイハツは、国内販売において、
ワン・ツーを形成します!」
これぞ、まさしく有言実行・・です。
さすがです。
名古屋キャンピングカーフェアー2日目
開場時間の10時には、
会場、なごやポートメッセに行く車で、
高速道路本線上まで渋帯しています。
ここから、料金所まで1・3キロ
料金所から、駐車場まで1キロ
ずっと渋滞・・・
名古屋キャンピングカーフェアーに
お客様が押し寄せています!!
ちょいCam(きゃん)葵、回りは人・人・人
とても全部のお客様に、
ご説明することはできません。
この、「ちょいCam葵」・・は・・
勿論、ご成約となりました。
軽自動車キャンピングカーブームが・・・
今回の、キャンピングカーフェアー会場から、
勢いをつけて、なだれのように、
拡がりそうです。
名古屋キャンピングカーフェアー会場
「ポートメッセなごや」
昨日、出展準備完了の様子です。
開場を待つのみになっています。
ちょいCam(きゃん)ブースは・・
西の一番隅っこです。
いよいよ開場です。
ちょいCam(きゃん)は
二段ベッド仕様の
「ちょいCam葵」を展示しました。
こんな隅っこで、大丈夫かな??
お客さん来てくれるかな??と思って心配したのは、
オープンから10分間くらいのみでした。
一番隅っこで・・
超地味な、ちょいCamブースでしたが・・・
心配無用!!!
次から次へと訪れてくださるお客様に、
応対スタッフ3名・・
うれしい悲鳴の一日でした。
昼の食事は、
1人20分程度で済ませて終了の5時まで、
元気・元気・・笑顔・笑顔で頑張りました。
明日は、応対担当スタッフは交代して、
気合を入れて臨みます。
熱心に見られ、具体的な質問が多かったお客様は・・
小さなお子さん連れのファミリーと、
60歳以上と思われるシニアご夫婦の二極に分かれました。
軽キャンパーブームに
本格的に火が付くのは、
まちがいない!!
また期待が膨らみました。
逆輸入新車、
USトヨタ・4RUNNER(4ランナー)
今日、ナンバー登録のため長崎県陸運支局に向かって出発いたしました。
今年3月震災前のご注文で、
約7ヶ月かかって、お渡しまで間もなくとなりました。
オーナーさんは
長崎県諫早市のNさんです。
ユーズネット豊田の三原景子君が書いている・・
逆輸入車・外車探しますブログのアクセスは、
毎日全国から500以上集まっています。
お問い合わせもほぼ毎日のようにいただいております。
逆輸入車の取り扱いを始めて、ご成約もたくさんいただき、
もう何台も納車させていただいております。
今回の、USトヨタ・4ランナーで改めていろいろ感じました。
長崎県からお問い合わせくださり
ご成約いただいたのは今年3月大震災前でした。
すぐに大震災でトヨタの生産がストップとなりました。
ハラハラしたこともありましたが、
Nさんの心深いご協力をいただき、
間もなくお渡しとなります。
豊田市のユーズネットと長崎県のお客様とがネットを介して信頼で結ばれ、
くるま、4ランナーは、日本 ⇒アメリカ ⇒日本 長旅の後・・
日本に着いて・・ユーズネット ⇒長崎県陸運支局 ⇒長崎県のNさんにお渡しとなります。
このようなケースがユーズネットでは多くなってきました。
まだまだ、くるま販売全体からすればほんの一部かもしれません。
でも時代の変化とともに、
くるま販売のしくみと流れが、変化と多様化していることを
このたびのUSトヨタ・4RUNNERで
改めて実感させてもらいました。
今週末29日(土)・30日(日)
なごやポートメッセで、
名古屋キャンピングカーフェアーが開催されます。
ユーズネットは、
二段ベッドの軽自動車キャンピングカー、
ちょいCam(きゃん)葵を展示します。
主催者公式サイトは、
コチラをポチっとどうぞ・・
今夏から販売開始した、
二段ベッドのちょいCam(きゃん)葵
2万5千人(主催者予測)の来場者に、
高い評価を与えるものと楽しみです。
18日から22日まで、
長野市のちょいCam販売店 カイワ自工さんが
近くのガソリンスタンドとタイアップして、展示会をしておられました。
「ちょいCam豊 」と2段ベッドの「ちょいCam葵」も展示されていました。
21日に激励に行ってきました。
特急「しなの号」に乗ったのは初めてです。
フェアー3日間で、中古車、新車あわせて4台
成約があったとのことです。
別に、ちょいCamも固い話が3台ほどあるとのこと、
フェアーはまだ2日あります。
成約の報告が入るのを楽しみにしています。
私が訪ねたとき、ちょいCamを熱心に見ておられるご夫婦がおられました。
ちょいCamは、趣味で使うというのではなく・・
長野に大震災が来たときのために、
「非常食・非常用グッズをちょいCamに常時用意しておくのだ」とのことでした。
「すわっ!!大震災!!」となったとき、
安全な場所まで移動して、少しの間生活するのだ、と、
話しておられました。
ちょいCamの新しいニーズが長野にありました。
実際に買っていただいたら、
どんなものをご用意されるのか・・
是非訪ねて見せていただきたいと思っています。
一時間ほど時間にゆとりがあったので、
善光寺へ案内してもらいました。
平日ながら、参道はたくさんの人でにぎわっていました。
参道入り口に、
有名な根元八幡屋磯五郎(こんげんやわたや いそごろう)という
七味屋さんがありました。
お客さんの好みに合わせて、
まるで、薬のように七味の「香り」「辛さ」などを調合してもらえます。
カイワ自工の社長さんが、
私にと調合した七味を、お土産に渡してくれました。
帰りに、松本から大糸線に乗り換えて
安曇野市のホタカオートさんを訪問。
東京から、コンサル会社の3名と合流
ホタカオートの社長さんと5人で
業界事情の情報交換とプチ勉強会・・
安曇野の割烹温泉旅館「山のたこ平」へ送ってもらったのは
夜10時を回っていました。
せっかくの温泉旅館でしたが、
素泊まりとなってしまいました。
先日、「軽大会」の抽選会で、
二等の「安曇野ペアー一泊」は、
この旅館「山のたこ平」です。
私は、泊まったことがなかった旅館でしたが、
設備、温泉、スタッフの対応すべて安心できることを
今回確認させてもらいました。
そして、この旅館の辻谷社長に、
ユーズネットのご招待者をよろしくとお願いして
翌朝五時起きに備えることにしました。
朝、6時少し前にタクシーが迎えに来てくれました。
大糸線、有明駅
高校1年生の夏、燕岳登山をした時、この駅で降りました。
何と、53年ぶりです。
JRの制服を着ていない
パートか、バイトの「おじいちゃん?」かな??が、
切符を売ってくれました。
「全部手書き・・」で、本当に乗れる切符なのか少し不安も・・・
松本から、多治見は、特急しなの2号です。
「指定席を」という私に・・
「こんな朝早く、きっとすいてるよ、指定席なんかもったいないよ」
で、取り合ってくれませんでした。
松本で乗り換えた、
特急しなの2号は、
なんと満席で、席は一つもあいていませんでした。
でもあのおじいちゃんを、
恨む気にはなりませんでした。
松本から約2時間、
9時には多治見に到着しました。
大糸線・・
信濃路・・
安曇野・・
何ともいえない響きが好きです。
昨日、名鉄豊田ホテルで
「豊田スタジアムオープン十周年感謝の夕べ」が開かれました。
私も、ご招待を受け、出席させていただきました。
日本サッカー協会 川淵三郎名誉会長 の記念講演・・
無名だった、「なでしこジャパン」が今日までたどった、表と裏の足取りを、
エピソードを取り混ぜて話され、
参加者をくぎ付けにしてわかせました。
懇親会の冒頭に
主催者である 株式会社豊田スタジアム 小幡 鋹伸社長が、
参列者に10年間の感謝の意を述べられました。
日本体育協会 張 富士夫会長(トヨタ自動車 会長)の祝辞・・
その他祝辞は、鈴木公平 豊田市長
小倉純二 日本サッカー協会 会長
池淵浩介 名古屋グランパス 社長
溝畑 宏 観光庁 長官 と続きました。
ストイコビッチ 名古屋グランパス監督 が通訳を交え、
グランパスチームの今後を力強く語られました。
懇親会会場の模様です。
そうそうたる企業、団体のトップが240名・・
私は、最初から、緊張しっぱなしでした。
小幡 社長が常々語っておられた、
スタジアムを劇場空間へとの思いが、
今、ここに具現化されてきました。
74歳、の小幡 社長が10年先をイメージされ、
「知的観光4点セット+ワン」(豊田スタジアム・スカイホール・美術館・
能楽堂、コンサートホールの参号館プラストヨタ自動車の最新鋭工場見学)で、
新たな「感動」を作り出して行こうと提唱しておられます。
私と同年代の経営者がどんどんリタイアーされていく中で、
74歳、町のリーダーは、これからの10年を目指されている!
豊田の町のリーダーとして、
誇りに思っているのは私だけではなく、
少なくとも昨日の参加者全員が思っていられることと思います。
「青春とは年齢ではなく、心の若さだ」
改めて思いました。
トヨタカローラ愛豊 今日のチラシです。
トヨタカローラ愛豊の新車累計販売台数が、間もなく100万台とありました。
トヨタカローラ愛豊本社、愛豊ビル、名古屋市昭和区
豊田市元宮町 国道248沿いに豊田営業所があります。
トヨタカローラ愛豊が新車の販売を開始した
昭和41年8月から、2年間、私はこの会社で
新車販売の新人セールスマンとして、勤務させていただきました。
最初の月は、全社で確か、2百数十台の販売台数でスタートしたと記憶しています。
その後、累計新車販売台数、100万台に至るのに45年を要しています。
この45年の間に、一台、一台のドラマが100万回演じられた・・
たった2年間とは言え、この中で、演じた私のドラマも約300回、あるのだと思うと、感無量です。
私がカローラ愛豊在籍中のことを
2年半前・・2009年1月14日から
私のブログ「私の販売の原点」で書かせていただきました。
16回に渡ったシリーズでした。
読んでいただいた方も多いとは思いますが、
自分も懐かしく、読み返してみました。
(1)2009年1月14日 縮められたバネ・・
(2) 1月15日 健康管理も仕事の内・・
(3) 1月16日 決してあきらめない・・
(4) 1月18日 ハワイのお土産・・
(5) 1月19日 あえて絶壁に立つ・・
(6) 1月20日 確率を目標にする・・
(7) 1月21日 初心に帰る・・
(8) 1月22日 貸しを作る・・
(9) 1月23日 上司の態度で部下の人生が変わる・・
(10) 1月24日 40年かかっても答えは出ません・・
(11) 1月25日 自分から学ぶしかない・・
(12) 1月26日 理由では飯は食えない・・
(13) 1月27日 高原列車は行く・・
(14) 1月28日 鬼瓦(鬼所長)のひとこと・・
(15) 1月29日 原因のない結果はない・・
(16) 1月30日 私の販売の原点 ありがとうございました・・
たかだか2年、300台ほどの販売で、
これだけ、たくさんのドラマがありました。
嬉しかったドラマ・・
悲しかったドラマ・・
辛かったドラマ・・
積もり積もって、
100万回のドラマ・・
過去を支えて、後進にしっかりバトンを渡して退職された、
多くの先輩スタッフに・・
しっかりバトンを受け取って
現在を支える、現役スタッフに・・・
はるか昔、45年前・・
ひと時、籍を置かせていただいた者として、
心から、讃辞を送りたいと思います。
わずかな期間ではありましたが、
素晴らしい会社に在籍させていただき、
多くを学び、貴重な経験をさせていただけたことを
今も誇りに思っています。
ありがとうございました。