昭和17年8月31日


昭和17年8月31日

私の生まれた日です。



朝、あるメーカーのトップの名前で、祝電が届きました。

「電報です」の声が聞こえ、最近では、電報は珍しいので、とても違和感を覚えました。

むかしは、「● ● キトク スグカエレ」と言うような電報が多かったと思います。

最近の電報は、結婚式か、葬式くらいのものになっています。


昔の冗談に、「シンダイシャタノム」と言うのがありました。

「寝台車 頼む」なのですが、「死んだ、医者頼む」と言って、

楽しんだことを思い出しました。


昭和17年8月31日、同じ生年月日の人がおられます。

ゴルフの 青木 功さんです。


昭和17年8月文部省国語審議会が、発音と文字を変えることを決めたそうです。

私の母親が使っていた文字です。

ゐ ⇒ い  ゑ ⇒ え 

ぢ ⇒ じ   


書き方も変わりました。

てふ てふ ⇒ ちょうちょ(蝶ちょ)

けふ     ⇒ きょう (今日)

かふふ   ⇒ こうふ (甲府)

くゎ     ⇒ か

ぐゎ     ⇒ が 

せう     ⇒ しょう



今日が甲府のおじいちゃんの誕生日です。お祝いに行きましょう。
(けふぐゎかふふのおぢゐちゃんの誕生日です。お祝いに行きませう)


平成の時代にも、亡くなるまでこのような書き方をしていた、
明治43年生まれの母親を思い出します。



昭和17年は第二次世界大戦、真っ只中でした。

はるか、日本本土から、7000キロ南東 

昭和17年8月からソロモン諸島で、日本軍と連合国軍が ガダルカナルを巡って

死闘を繰り広げておりました。

負け知らずの帝国陸軍はこの戦いで、

明治以来初めて敗北をしました。

この戦いで日本軍は、

戦死者、5000人 餓死、病死者 15000人と言われています。

ガダルカナル島のことを、「餓島」と呼ばれるようになりました。

それ以来、戦況は一気に変わり、、、

3年後昭和20年8月15日の敗戦の日(いつから終戦に変わったのでしょうか?)を迎えるに至りました。



この頃生まれた私は、

母親が、竹槍での戦時訓練していた背中で育ちました。

割烹着で、近所のおばさんたちと横一列に並び、、、

白くて丸い綿帽子をかぶせた竹槍を正面斜めに構え、

「マエ、マエ”・・アト、アト”」の掛け声をかけながら、

前進、後退を繰り返しておりました。


昭和19年頃のことだと思います。

今でも思い出されます。


ガダルカナルから・・68年

日本はすっかり変わりました。

今、日本の政治家は、身内で変な戦いをしています。


あれから、68年、今の私・・

自分の中に、もう一人の自分がいます。

弱くて、すぐ後ろ向きになろうとする自分です。

本来の私は、前向きで、戦闘的な自分なのです。

二人の自分は、いつもいつも戦っています。


弱い自分なんかに・・・・

負けていられません!

勝たねばなりません!

69歳に向けて、


これからの1年で決着をつけます!!!


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