「いなご」の思い出
昨日八ヶ岳山麓のお客様宅へ納車の際
すぐ近くにあった 「たてしな自由農園 原店」が気になっていて
帰りに寄ってみました。
近くで栽培されたと思われる 野菜類がいっぱいありました。
そんな中で 目にとまったのは
なつかしい「いなご」でした。
「いなご」は 昔 自宅裏の田んぼに一杯いて
好きなだけ捕ってきて
七輪で 焼いて しょうゆをかけて 食べていました。
いなごは、私に取って 少ない食料事情の中
とても おいしいものだった思いが
強く残っています。
「いなご」を「山路」へ自分の土産として持って行って
酒のつまみに なつかしく おいしくいただこう・・・と
カウンターの隣の席におられた 常連の70歳くらいの
二人連れのお客様に おすそ分けのつもりで
どうぞ と 差し出したら
昔いやと言うほど食べたので
欲しくない 絶対食べたくないっ!と
あっさり拒絶されてしまいました。
私は・・・あの頃(終戦前後)おいしく いただいたのですが
昭和30年前後に育った人たちからすると
終戦から10年近く経過しています。
日本の食糧事情も良くなってきており
他に もっとおいしいものが口に入ったのだなぁ と気づきました。
いなごは きっと いやいや食べさせられていた
思いが強いのだと判断しました。
終戦前後の食糧難時代を経験した私とは、
すこしの歳の差が
大きな違いになっていたのです。
今になって改めて時代の差を感じた
「いなご」 でした。
田んぼで・・・春は つぼ(タニシ) 夏から秋はいなご、
川・池で・・・ドジョウ・フナ
道端で・・・ 芹・よもぎ・タンポポ 等々
家の近くで食べられるものを とって来ては 食べ育った私たちの年代
今は懐かしく思い出されます。
自分への「土産のいなご」が
昔の食糧事情をなつかしく思い出させてくれた。