有松の町並み・・

私の住まいは・・
名古屋市緑区鳴海町有松裏です。

鳴海町ではありますが、有松町に接した場所です。

生まれも育ちもこの近くです。

緑区は人口 231,000人 今では名古屋市16区の中で
一番人口の多い区となりました。


愛知郡鳴海町が名古屋市と合併して
初めて緑区が誕生したのは、1963年昭和38年のことでした。
その翌年、知多郡有松町と大高町が合併して緑区になりました。


平日、月・火・水・木 は、豊田にいます。

週末、金・土・日には緑区の家へ帰り、そこから通勤しています。

家の近所の人に知り合いはなく、
お互いに会話を交わすことも全くありません。
誰も知らないのです。

私の住民登録は、
10年以上前から豊田市に移していました。
子供3人共、すべて豊田市に住んでいます。

変則的な暮らしを、30年以上続けてきましたが、
今月、豊田市に引っ越すことにしました。


引っ越しを前に、
自分の育った町を改めて
ゆっくり歩いてみました。




有松の町の西のはずれにある、
有松天満社です。
神殿は 1798年に建立されたもので、
学問の神様、菅原道真を祭っています。


この神社の近くに、鳴海小学校東分校がありました。

その東分校に、私は昭和24年に入学しました。

当時は終戦直後で校舎不足のため

1年生は午前中のみ、2年生は同じ教室で午後始業という2部授業でした。

「朝から学校」「昼から学校」と言っていました。

通学の足も、ワラジ、ゴムぞうり、ゴム靴、ズック靴と変わっていきました。

その東分校に1年生から3年間通いました。

その分校跡地は、今、東綾中学になっています。

4年生からは、

有松から鳴海まで二駅、名鉄電車に乗って

鳴海小学校本校に通いました。



私が住んでいたところは、鳴海と有松が混在していました。


住所は、  鳴海町(鳴海町は愛知郡、有松町は知多郡)

学校は、  鳴海 (有松小学校がずっと近かった)

電車の駅は 有松駅(鳴海駅までは名鉄二駅あった)

買物は、  有松 (有松駅の住所は鳴海町にあった)

お祭りは  有松 (有松天満社祭りなのですが、
           有松天満社は鳴海町にあった)








旧東海道、江戸時代には、 
絞り商家がならんで活気があった、有松の町並みです。
朝6時前ということで、通る人もなく静かです。





1784年 天明4年
大火で全戸焼かれた後に建造されたものだそうです。





子供のころよく買い物に来た商店街です。

当時と同じ商店名の看板も見受けられます。

今も地元の人のための商店街として機能しているのでしょうか?
それとも、町並みみ観光に訪れる人々目当てのお店になっているのでしょうか?



「名古屋市有松町並み保存地区」昭和59年3月26日と記してありました。





この旧東海道の町並みを、
一方通行にしようという計画があったと思われます。


町並みを保存して残すことは、
住んでおられる方々にとって、
我々では知りえない大変なご苦労があると思います。
とはいえ、今まで先人の努力で残してきた町並みです・・
是非、努力を受け継いで、
後世に残してほしいと願っています。



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