長者町繊維問屋街
今日の昼です。
名古屋、錦3丁目で約束があり、昼食も一緒にということで行って来ました。
豊田の人たちも、夜、、よく行くよ、と話には聞いていた、、、
かの有名な町・・・錦三(きんさん)です。
蕎麦屋さんへ食事に行ったのは、昼の12時頃でしたが思いのほかすいていました。
昼だけでなく、夜もひと時の賑わいは無いと同行の人が言っていました。
我々の、若かった頃は、名古屋の盛り場と言えば・・・女子大小路だったんですが、
でも、私達の先輩達は・・・今池だったと言います。
盛り場は、時代とともに、20年~25年で移動するんだと納得しました。
とすると、次なる時代、名古屋の盛り場はどこかに移る、今が前兆?
と、勝手に思いながら、錦三丁目一方通行の道を西へ行くと、
次の道はなんと懐かしい・・・
長者町繊維問屋街でした。
今から、35年ほど前の数年間
長者町近くの錦通り北側で、
喫茶「タヒチ」と言う、60席ほどの当時としては、きれいな明るい喫茶店を経営していました。
昼は近所のオフィスから、イッパイ女性が来てくれて並んでいたものでした。
他の時間は、長者町の繊維問屋さんの商談でいつも賑わっていました。
でも責任者の支配人であった私の弟にとっては、初めての仕事でしたので苦労したと思います。
このお店「タヒチ」は、私が豊田で仕事(ルート)をするようになって顔も出せなくなり、
残念ながら手放すことになってしまいました。
「懐かしいなー!」と昔を思い出しながら・・・・
一枚写真を撮ってきました。
古い話なので、今いる私の周囲の人たちでも、、、、
「タヒチ」の話を知っている人は、極わずかと思います。
過ぎ去った、古い、古いお話ですから・・・・・