私のバレンタインデー
2年前のバレンタインデーの日、
サンクス元宮店がオープンしました。
もう1日早ければ、バレンタインデーの前日と言うことで、
チョコレートがもっと売れたのにと思ったものでした。
昨日 2月14日 「サンクス元宮店」の様子です。
あれから2年、「サンクス元宮店」はすばらしいスタッフと良いお客様に恵まれ、
お蔭様で、順調な経営を続けています。
わたしの高校1年の時、1958年・昭和33年
東京の百貨店で、日本で初めて・・・
バレンタインデーにチョコレートをプレゼントしましょう!と言うキャンペーンを仕掛けた会社がありました。
1950年創業の、メリーチョコレートカンパニーと言う会社でした。
仕掛けた張本人は、青山学院大学を卒業して入社したばかりの、創業者の息子さんでした。
原邦生さんで、1986年社長になられ、現在は会長職についておられます。
12~3年前、東京のホテルで開かれた、講演会でご本人から、直接この話を聞き、
とても感銘を受けました。
今でも、バレンタインデーが来ると必ずこのときの話を思い出します。
仕掛けた最初の時に売れたのは、
板チョコ 3枚 売り上げ 170円だったそうです。
普通これであきらめてしまいますがやはり思いがちがっていました。
その後懲りずに歯を食いしばって毎年続けられました。
2年目・3年目どんどん売り上げを伸ばし、
その後、他社も参入して現在のように、日本中でバレンタインデーは、
「チョコレート」になったと言うことです。
小学校の4年生の時、名古屋港へ社会見学に行きました。
そのとき停泊していた、大きな黒い外国船の上から、
金髪で鼻の高い外人の船員さんが、食糧難の日本の子供達(私達)に
チョコレートやガム・キャラメルを投げ与えてくれました。
誰が教えてくれたのか?みんな大きな声で「ギブミー・チョコレート」と言って
お菓子を投げてくれるのを手を広げて待っていました。
私も何とか一つ拾ったのが、
分厚い、4センチ 2センチくらいのチョコレートでした。
チョコレートを口にしたのは、生まれてはじめてで、
当時この世のものと思えないほどおいしかった記憶があります。
バレンタインデーのチョコレートが私のところまで届いたのは、
原邦生さんが、バレンタインチョコレートを仕掛けて4年目、20歳の時だったと記憶しています。
東京で3枚しか売れなかったものが、
年に1回だけのキャンペーンで、
4年目にはすでに、名古屋の私にまで届いたのでした。
その後年が経過して、当社ではバレンタインデーに義理のチョコレートを配らないように私から指示を出しておりました。
私の周囲では、チョコレートは行きかわなくなって何年かになりますが、
それでも私は、毎年どこかからいただいてはおりました。
でも今年は、14日が日曜日と言うこともあって、1個も届きませんでした。
今年は、バレンタインチョコ ゼロと思っていたら、
今日、15日午後になって、私宛親展の封書が届きました。
あけてみたら・・・・
大きな封筒の中に、ほんの気持ちですと書かれた 小さな「のしぶくろ」、、
その中に小さな、ハートのチョコレートが。
「ギブミー・チョコレート」でやっと手にしたときのものと同じくらいの大きさでした。
地獄の特訓でおなじみの、管理者養成学校の当社担当の方からでした。
「ギブミー・チョコレート」の時のような、感動はありませんでしたが、
地獄の特訓!を思い出し・・・
ほんの気持ちを、目をつむって、
一気に一口で、いただきました。
今年もチョコレート ゼロではありませんでした。