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クリスマスイブとクリスマスの日に・・

ユーズネット豊田より
クリスマスイブとクリスマスの日 クリスマスツリー キラン

ひまわりネットワークさんの
「地元で買い物、半額交渉人」
という、
楽しー番組のプレゼントリボン
 プレゼントです。





交渉人の、コ→スケさんです。

バックは、ちょいCam歩(あゆみ)タイプA、2段ベッド付きです。

当社のスタッフは、三原景子です。



こちらはの交渉人は、小柳さんです。








どんな番組が、クリスマスプレゼントできますか?


放送は、
12/24(金)
12/25(土)2日間です。

時間は、2日間とも
 10:00~
 14:00~
 19:00~
 22:00~ 各時間とも、約15分です。

お楽しみに・・・・




テレビの収録がありました。

今朝、地元テレビ局
ひまわりテレビの収録が、
ユーズネット豊田で行われました。

「半額交渉人」という番組です。



テレビ局のスタッフと出演者が
ユーズネット本部に到着しました。



ルーコの越智さんもブーログ号で到着です。




ユーズネット豊田の商談コーナーで、
さっそく打ちあわせです。





撮影場所やカメラアングルの確認中です。
番組で、「ちょいCam歩」2段ベッド仕様が紹介されます。


もちろん半額になることはありません。





出演する、ユーズネット豊田のスタッフは、 三原景子です。
綿密な打ち合わせが行われています。


さー、いよいよ撮影開始です。




赤紙をもらった犬~を観て

18日(土曜日)21時から
NHKスペシャルを観ました。

[さようなら アルマ~ 赤紙をもらった犬]
と言うタイトルでした。

戦時中とは言え、穏やかな生活を引き裂かれ、
戦争という運命に巻き込まれ・・・
軍犬として、旧満州の戦場へ出兵ーーー

生き延びて、役目を果たし、終戦となりましたが、
最後の引き上げ船には余裕がなく、
故国へ帰れずに置き去りにされた。
無言の兵士「アルマ」の実際にあった話をもとにした
戦時ドラマでした。





靖国神社には、当時日本のために活躍した軍犬の慰霊像があるそうです。

出兵時の写真、本物アルマの雄姿 です。


シェパードを主とした軍犬は
戦場の第一線で兵士のために活躍したが、
地雷を踏んだり・・・
敵狙撃手の標的となり・・・
あるいは傷病に死したり・・・
大半は、命を捧げることになった。
運よく生き残っても、戦地に置き去りにされ、
遂に一頭すら故国の土を踏むことはなかった
と言われている。





テレビで活躍した、アルマ役のシェパード





テレビを見ながら、、

30年以上前、
当社の創業まもない、とても苦しい時に、
当社の戦時犬として一緒に活躍してくれた、
「ナッキー」を思い出していました。

貸店舗で営業をしていた頃、
国道沿いの貸店舗前駐車場に5台展示していました。
整備は、事務所裏で行っていました。
仕入、販売、納車整備、登録、アフター、
すべてを一人でこなさなければなりませんでした。
裏で、私が整備をしていますと、
事務所が空のことがよくありました。

営業時間中、ナッキーは事務所の中にいつもいて、
展示車を見にお客さんが来られると吠えて教えてくれました。
電話が鳴っても教えてくれました。
当時ナッキーのおかげもあって、
月に15台から20台売ることができました。

常連のお客様に遊んでもらうことにより、
接客係りも勤めてくれました。

私は、事務所の2階で寝起きしておりましたので、
夜は、いつも一緒でした。
私とナッキーは夜いつも腹ぺこでした。
夜遅くナッキーの食糧(残飯)をもらいに
お客さんであった居酒屋さんへ行きました。
食料を手に入れて帰るととても喜んでくれました。
寒い日は、私の布団へ入れてこたつの代わりをしてもらいました。
でも朝気がつくと、必ず布団から出ていました。
私が寝付くまでが仕事であり、
どうも私と寝るのはいやだったようです。

当時、ナッキーをとてもかわいがってくれたお客様。
峰松さん
岡村さん
お二方とも、30年以上たった今でもお客様としてお付き合いいただいています。

そのナッキーも、10歳になったころから体調が悪くなり、、
17年前の8月11日(日曜日)大安の日でした。
14年の命を閉じました。
その亡くなる前夜は少しでも楽にしてあげようと、
腕にナッキーの頭を抱えて朝まで過ごしました。

自分の仕事上うまくいかない時など、
一方的にいじめてしまったことなどを謝りながら・・・


軍犬  ・・・アルマ

仕事犬 ・・・ナッキー

人に尽くすことしか知りませんでした。
苦境に立った人を癒してくれました。


テレビで軍犬アルマを見ながら、
私の心は、ナッキーへ行ってしまっていました。

軍犬、アルマは日本を支える仕事をしました。

仕事犬、ナッキーはまさしく、
(株)ルートの根幹を支えてくれました。






新聞って おもしろい!

自宅では新聞をとっていません。



新聞をとっていない家庭に配られたのか?
全戸配布をされたのか?

池上 彰 の 
「新聞っておもしろい!」という中日新聞の小冊子が、
自宅の郵便受けに入っていました。



単なる、中日新聞をとってくださいというPR紙と思って、

何気なくページをめくってみました。



内容に吸い寄せられてしまいました。

あなたは、新聞を読んでいますか?から始まり・・・

新聞なんか読まなくても、インターネットでニュースは

知ることができると思っていませんか?と続いています。

インターネットのニュースは、新聞記者が取材したもの。
元の新聞の記事は、内容が詳しいし、解説などが付いています。

新聞を読めば、読解力がつく、学習意欲の向上につながる・・・


新聞記事の文章には、「逆三角形」という大原則があり、

逆三角形とは、上が大きく、下が小さくなっている。

大事な内容、重要な事柄を先に書いていくということなど、

言われれば、今まで気にもしていなかったことですが、

改めて、そうなんだ、そうだったんだと、納得しました。

まず見出しを見て、ニュースを知り、リードで内容を把握。

もっと知りたければ、そして時間があれば読んでね、、で、
本文を呼んで詳しい内容を知る。

どの会社でも、報・連・相 がとても大事といわれます。

新聞の見出しと記事のような、報告・連絡・相談の仕方が必要と思います。

改めて、新聞から学びたいと思います。

インターネットのニュースですと、
パソコンの画面を開き、、
ニュース項目を呼び出し、読みたい項目を探していかなければなりません。
テレビのニュース番組ですと、時間が決まっています。
そして見たくない項目のニュースの時間も奪われてしまいます。

新聞なら、ページをめくっていくだけで、全体が簡単に見られるのです。



池上 彰 の 「新聞って おもしろい!」
読んで 学んで 考える・・・

中日新聞さんありがとう!!
改めて新聞のありがたさを学ばせてもらえた小冊子でした。





雑誌広告作成中、ちょいCam歩、全国向け!

12月に入って・・・
全国各地の自動車販売会社から、インターネット経由で
ちょいCam(きゃん)の問い合わせや
資料請求が多くなってきました。

「ちょいCam」の知名度が全国的に広まっている証拠とうれしく思っております。





このたび、新バージョン ちょいCam歩(あゆみ)が加わったこの機会をとらえ、

全国の販売店支援を目的に、大々的に告知をする計画をしています。

来年早々発売の、全国向け雑誌、「軽キャンパーFan」に、

カラー広告を掲載します。







ルーコの水野君、ちょいCam歩(ちょいキャンあゆみ)スズキVer.Aタイプの撮影中です。

この スズキVer.タイプAは、オプションで2段ベッドが取り付けでき、

4人乗り、4人就寝となります。

標準架装        238、000円
(ベース車両代、諸費用、オプション代、取り付け費は別途必要です)

2段ベッドオプション  198、000円 ととても安価になっております。







こちらは、ちょいCam歩(ちょいきゃんあゆみ)の基本Ver.です。

床下が、収納になっています。


ちょいCam(キャン)歩 基本Ver. 
4人乗り、2人就寝

ベース車は、ダイハツハイゼットカーゴ
      スズキエブリィバン
      三菱ミニキャブバン から選んでいただけます。

標準架装代    298、000円
(ベース車両代、諸費用、オプション代、取り付け費は別途必要です)


来年早々から、全国向けに、ちょいCam歩の製作は量産体制に入ります。


2011年は・・・

[ちょいCam]にとって、飛躍の年となる予感がしています。

とても楽しみです。


あんかけスパソースを手に入れました。

胃袋の大きさ以上に食べたくなるほど・・・

あんかけスパが大好きな私です




スパゲッティ・ハウス、ヨコイのソース

「ジャスコで売ってるよ!」とコメントで教えてもらい、

さっそく手に入れました。



あんかけスパソース、箱に入ったままです。

一日中見ていても飽きません。


ちょっと待て、、、

麺は無いし、お皿もない・・・

さーどうしよう?


箱を見ながら思案、思案・・・

このときが一番私の幸せな時、

なのかもネ?? にっこり  ハート




「ちょいCam」と「あんかけスパ」

群馬県前橋市のすぐ北どなり、

北群馬郡吉岡町、
マイカープラザ前橋・・角田(ツノダ)社長

ちょいCam豊を展示していただいたのは、

先月半ばすぎでした。




これから冬に向かってしまう・・

私は先入観から、ちょいCamの販売ができるのは来年からかなーと思っていました。

先週日曜日5日のご成約に続いて、

なんと、、今日も1台成約との連絡が入りました。


先入観をもった自分を恥ずかしく思い、

しきりに反省しております。

  

「会長!ユーズネットで あんかけスパを始めるんですか?」

「えっ!!食べたいけれど あんかけスパの販売をするなんてことはないよ」

「今、あんかけスパの注文がFAXで入ったんだけど・・・」


今回の「ちょいCam豊」オプションのご注文FAXに冗談で・・・
「あんかけスパゲティも注文します」と書いてあったのでした。


群馬には あんかけスパはないとのことですので、
まずは、ブログの写真でご堪能いただこうと思います。


「おいしいですよ!本物は、ぜひご来社ください。」








サンクス豊田元宮店に以前は売っていたんですが、

今は残念ながら、無いようです。



珍食材あり、豊田・山の幸

2年ぶりに「みんなで行こう」と話がまとまり、

豊田市小原地区 永太郎町 
「ささゆり」0565-65-1533へ12名で行ってきました。



同じ豊田市内とはいえ、チャーターしたマイクロバスで、

市中心部より、1時間近くかかりました。

目的は、みんなで仲良く「獅子鍋を囲む会」を開くためです。

ここは、豊田市中心部より標高も高く、

気温は3~4℃低いと思われます。


お店の駐車場には、経営者の女将が数年前、

ユーズネットで購入してくださった赤いヴィッツがとまっていました。

女将のヴィッツと久々のご対面を済ませ、

お腹がすいているので急ぎ座敷にあがらせてもらいました。


テーブルにはすでに料理が用意されていました。







見たこともない、地元のキノコ

蜂の子

しし鍋用の野菜

猪の肉 が並んでいました。




ちょっと変わったやはり見たこともないお肉・・・

Q、これは何?

A、「これ食べると元気になるよ!」
  「と・も・ぐ・い・になるけどネ!」

Q、「で、、何なの?」

A、「ししの 〇・ん・た・〇(睾丸の俗称) だよ・・」

Q、「こんなにたくさん????何頭分なんだろうねー?
  やっぱり、ししも1頭に二つづつなんだろね」

A、「今年ししは、近くの山にいっぱいいるんでねー
  き・〇・〇・ま・ も、大豊作なんだよ。
  だから、皆にどんどん食べてもらわんきゃね・・」



この珍食材
から、

さっそくいただくことにしました。

コリコリかと思いきや、、

どちらかというと、サクサクでした。

珍食材入り、しし鍋をいただきながら・・・

お酒もすすんで、

もっと、もっと、見たこともない山の幸を、

沢山いただいたようですが、

色・形・味

残念ながら忘れてしまいました。号泣下矢印


もうこれだけいただけば、


死ぬまで元気だぞ 走る逃げろー急ぐ    

と、自信が湧いて来ました。





ダイハツ?スズキ?ユーズネットの選択は・・

軽の車名別で、ダイハツのタントとスズキのワゴンRが、
熾烈な戦いをしていることは昨日書きました。

この両社は、総販売台数でも、非常に拮抗しております。

ユーズネットグループは、オールメーカーの新車を扱わせていただいていますので
当然両方のメーカーの新車も多く扱わせていただいております。
今年は、ダイハツとスズキの新車販売は、
合計約400台になると思います。

ディーラーは勿論メーカーの製造する車を販売する義務を負っていて、
メーカーの「販売代理店」です。

一方、ユーズネットグループにおいては、
お客様とは「一生涯のお付き合い」を指向していて、
お客様のための「購買代理店」と位置づけております。







昨年までは、お客様のための「購買代理店」と言いながら、
ユーズネットの販売スタッフは、どちらかというと
スズキの新車に力が入っておりました。

結果、昨年の年間実績では、ダイハツ車に比べ、
スズキ車の方を、20%程多く扱いました。


今年は、
お客様の自然な車種選択を最優先で対応させていただいたところ、
両メーカーの新車は、50%:50%になりました。

全国で両メーカーの販売台数が拮抗している今年、
ユーズネットグループの両メーカー車の扱い台数もやっぱり拮抗しておりました。

「自然体って不思議だなー」とつくづく思っております。


ただし一年を前半と後半に分けますと、
前半は、スズキ車優勢・・・
後半は、ダイハツ車優勢・・でした。

来年は、どちらの車をお客様が選ばれるか?
楽しみにしています。


ユーズネットグループのお客様は、

「一生涯のお客様」が大半です。


たまに浮気をされることがあっても、
ユーズネットの良さが却ってよくわかり、
必ず帰ってきてくださいます。
ありがたいことだと思っています。
お客様が、自然体で好みの車を選択される、
そのお手伝いをさせていただく。
これが「購買代理店」の役目だと思っております。




来年になって、、、
ダイハツとスズキの戦いがどのような形になろうとも、
ユーズネットグループは、
お客様のための、
自然体の「購買代理店」であり続けます。



自己紹介:株式会社ルート くるまのユーズネット 会長 井上政彦

新車・中古車の販売を中心とする株式会社ルート くるまのユーズネット

創業者、会長 井上政彦です。

以下、あらためて自己紹介をさせていただきます。



私は、昭和17年8月、名古屋市緑区に生まれました。

家は、緑区 有松で、絞り加工請負業を営んでいました。

幼い頃から、「自動車屋になりたい」という夢がありました。

家が貧しかったため、高校を卒業してすぐ就職することにしました。

受験したのは、日本交通公社(現、JTB)と愛知トヨタ。

学校の規則により、たまたま合格通知が早くきた愛知トヨタに

勤めることになりました。

両方合格しましたが、もし日本交通公社の方が早く通知がきていたら、

私の人生は違ったものになっていたはずです。




私のブログにメニューボタンをつけて、読み手にわかりやすくしよう

ということになり、メニューの1つである自己紹介を書くことになりました。




以下、自己紹介を、「私の販売の原点」というカテゴリーで

書き溜めたものから抜粋します。

抜粋記事にはリンクを貼りますので、ご興味がありましたら

続きをご覧下さい。

緑の文字だけを追っていただきますと、年譜としてご覧いただけます。





●昭和26年-----初めての販売体験-----

「販売の天才と言われ・・・」


私の人生で初めて物を売ったという経験は・・・

小学校の4年生の時です。

親の商売がうまくいかず、とても貧乏だった私は、、

鉛筆、消しゴムを買うお金も親からはもらえませんでした。

道路、ゴミ捨て場、空き地、ありとあらゆる場所から

鉄くずを拾ってきては、当時の鉄くずやさんへ売りに行っておりました。




●昭和36年-----愛知トヨタに就職-----

「自動車屋になりたい!」


学校の決まりにより、採用通知が先に来た、

愛知トヨタに就職することになりました。


(中略)


    -----スタンド係に配属-----


配属が決まりました。

鉱油部(金ヘンでなく、石ヘンでした)販売課 スタンド係

えぇ!!愛知トヨタにスタンドなんかあるの?

「1番貧乏くじを引いたなー」と心底から思っておりました。




●昭和41年-----セールスに転身-----

「縮められたバネ・・」


多くの先輩セールスから、スタンドマンの私は小ばかにされ、

悔しい思いをさせられてきました。

新人とは言え、やっと、平等に競える場を与えてもらったのです。

今までの悔しい思いをなんとしても実績で、晴らさなければなりません。




●昭和43年-----保険の示談金で独立-----

「上司の態度で部下の人生がかわる。」


鶴舞の交差点で信号待ちをしていた私の車に、トラックが追突してきました。

翌朝は起きられないくらい首が痛くなっていました。

(中略)

相手の保険会社との示談交渉で、、少しばかりの示談金が入りました。


「今だ!今しかない!!” 」


その示談金と、自分の車を処分したお金、そして少しばかりの退職金を加えて、100万円ほど出来ました。

私と、例の馬の専務と、その友達の地主さん、3人が協力して中古車販売会社を設立しようと言うことになりました。


新車のセールスになって、ちょうど2年経過しました。

あと1ヶ月で、26歳になる、昭和43年7月末、

トヨタカローラ愛豊を退社いたしました。


(中略)

新しく設立する、中古車販売会社の社長に就任することになりました。





●昭和43年-----部品会社の子会社 中古車販売店社長に-----

「上司の態度で部下の人生がかわる。」


名古屋市瑞穂区山下通り 

   株式会社 ナゴヤマイカーセンター 代表取締役社長 井上 政彦

この会社が設立され、スタッフ5人で、中古車センターがオープンしたのは、昭和43年10月 でした。

私が、26歳になったばかりの時でした。

私は、初めて、5人の部下をもつ身となりました。

(中略)

2年程勤務した、カローラ愛豊を退社して、お客さんであった自動車部品会社の専務さんの勧めがあって、

その部品会社の子会社として中古車販売会社の代表取締役社長になりました。26歳でした。

カローラ愛豊を退社する時は、強く引き止められましたが夢を達成すべく、振り切って退社しました。


(中略)

設立時、若干26歳の私が率いる中古車販売会社でしたが、どんどん成長して、

間もなく愛知県ではトップクラスの販売台数になっていました。


車検工場を作り、板金工場を吸収して、

5年後には従業員も35名以上の会社に成長しました。

急成長過ぎた為、組織がしっかりしておらず、外部から見ても不安定さは、歴然としていたと思います。

そこで、親会社は、組織を強固にして将来に備えることと、対外的に信用度を増すことを目的として、

親会社の専務が社長に、私を取締役営業部長にと言う人事を決定しました。

今思えばすばらしい戦略的判断だったと思いますが、若かった私は、社長から部長への降格と言うことのみを見て、

会社の全体や将来を見ずに、頭へ来てしまい、辞任、退社してしまいました。

今から36年前のことで、私は31歳でした。




●昭和48年-----辞任、退職、パチプロに-----

「出会いと別れ・・パートⅢ」


社長から、営業部長への降格に腹を立てた私は、

せっかく苦労して立ち上げてきた会社を辞任、退社をしてしまいました。

次のあてがあっての退社ではなかったので、当然収入がなくなりました。

ものすごく忙しかった毎日から、一気に時間が出来てしまいました。

生活費を稼ぐ為に、パチンコのプロにくっついて、パチンコのセミプロを始めました。

毎月、8万円ほど稼げましたので、私の年齢の平均給与ほどは何とか得ることが出来ました。




●昭和48年-----ディーラーからの依頼で取締営業部長に-----

「出会いと別れ・・パートⅢ」


パチンコを始めて、3~4ヶ月経った頃、

某Dマークのディーラーから声がかかりました。

子会社を作り、Dマークを表に出さない、中古車販売会社を立ち上げて欲しいというものでした。

Dディラーの子会社を設立し、私は取締役営業部長に就任しました。

名古屋インター近くで、私の率いる、株式会社「くるま街」と言う中古車販売店がスタッフ6名でオープンしたのは、

48年10月でした。



●昭和49年-----解雇される-----

「出会いと別れ・・パートⅢ」


昭和49年になり、高値のままではありましたが、ガソリンが一気に出回りだしました。

そして、資源高から今まで味わったことのないインフレの世の中になりました。

新車の値上げが相つぎ、つれて中古車も値段が毎日のように上がりました。

売れて売れて、利益もびっくりするほど上がりました。

でも残念ながら、本社の幹部からは、反逆児として常に、にらまれる存在になってしまいました。

(中略)

オープンから2年少しが経ちました。

株式会社くるま街 取締役営業部長 井上 政彦を解雇する決定が申し渡されました




●昭和51年-----ルート豊田 創業-----

「出会いと別れ・・パートⅢ」


やむなく豊田へ来ました。

そして小さな自動車屋さんをはじめることになりました。

当時の国民金融金庫にて、500万円借りて、

国道248沿いの貸し店舗で「ルート豊田」を個人経営で創業しました。

昭和51年5月でした。後に(株)ルートとなり現在に至っています。




ルート創業から先は、以下の記事一覧か、

「私の販売の原点」のカテゴリーをご覧下さい。


●創業当時のルート1
私は、日本で始めての「中古車の個人間売買」をはじめようと・・・

●創業当時のルート2
月のきれいな夜でした・・・

●創業当時のルート3
事務所の中は、黒い電話機が一つ床にぽつんと・・・

●創業当時のルート4
昭和54年の正月を迎えることが出来ました・・・

●創業当時のルート5
借金返済と、仕入れ・経費支払い、毎日が地獄でした・・・

●創業当時のルート6
54年1月・・・大変なことになってしまいました・・・

●創業当時のルート7
愛知県警、交通指導課、〇〇 と言う名詞を持った人が尋ねてきました・・・

●創業当時のルート8
O氏が入社してくれて、57年12月に、夢であった、月販、100台・・・

●創業当時のルート9
「おとうさん、大変!!裁判所の人が、勝手に、家の中のものに・・・

●創業当時のルート10(最終回)
人生に敗北はない! 自分があきらめてしまった時が、敗北・・・


軽四の主役交代か?










今朝の自動車業界誌、「日刊自動車新聞」のトップ記事です。

タントか、ワゴンRか

7年ぶり首位交代も 
  2010年軽車名別販売


軽自動車の年間販売台数競争が熾烈を極めている。

11月時点の累計販売台数はダイハツ工業「タント」が18万716台でトップ。

2位には539台差でスズキ「ワゴンR」が追走している。

タントは11ヵ月連続で前年実績を上回る販売を記録しており、このまま逃げ切り

暦年一位を獲得すれば7年ぶりの首位交代。ついにワゴンRの牙城が崩れることになる。

タントが首位を奪うのか、ワゴンRが7年連続首位を死守するのか、注目が集まる。
         以上ほぼ、記事のまま・・



1993年発売当初のワゴンR


2003年発売のタント


「平家物語」の冒頭部分が浮かびます。


祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花のいろ、

盛者必衰の理をあらわす。

おごれる人も久しからず、

ただ春の夜の夢の如し。

たけき者も遂には滅びぬ、

偏に風の前の塵に同じ。



盛者必衰・・
たけき者も遂には滅びぬ・・


軽四で常勝の王者「ワゴンR」でもいつかは、
その座を明け渡すことになります。

「盛者必衰」一抹の寂しさを感じます。


車販売に確かな変化が・・・


12月5日(日)ユーズネット豊田事務所入り口・・・
小春日和の陽ざしに、ピンクの花がきれいに咲いていました。


12月に入ってからです。
ユーズネットグループにおけるお客様の新車、中古車の選択が目に見えて変わってきました。

新車の補助金が終了した後の9月・10月・11月のユーズネットにおける、新車と中古車の割合は
中古車が極度に高かったです。

その割合は、新車2:中古車8くらいでした。

過去1~2年、その割合は、約5;5で推移していましたので
9~11月はいかに中古車がよく売れて、反対に新車が極端に売れなかったということです。

この割合は、業界紙などの記事から、全国的なものであったと思われます。

景気と関係しているのか、クレジットご利用のお客様が極端に少なくなっていました。
ほとんどのお客様が、現金でのご購入でした。

そして、景気と関係あるのか、そればかりでなくスタッフの努力が大きいと思いますが、
車のご購入と同時に任意保険に加入されるお客様がとても増えてきました。

9月~11月車販売の業績が下がっていたさなかでありながら、
任意保険の加入は確実に伸びておりました。
任意保険の実績が前年と比較して、目立って上がっていることが、
救いとなっていました。

それが、12月に入ってから、販売の内容が一変しています。
新車をご注文のお客様と、新車の商談が目立ちだしたのです。
そして、200万円、300万円と、、
クレジットをご利用のお客様がとても多くなってきました。

まだ、12月に入って、一週間もたっていない今日で断定はできないですが・・
とにかくまず販売が伸びだして、、、
ユーズネットグループのスタッフの笑顔がとても明るくなってきたのは間違いありません。

年明けを待たず、スタッフがユーズネットグループの販売に
確かな自信が持てるようになってき来たようです。

一方、ユーズネット本部に来られる、
ディーラー担当者の皆さんも、
こと当社へ来られる時は、雰囲気が今までと違って、
非常に明るく感じられるようになってきました。






5日(日)群馬県・・・
   マイカープラザ前橋の角田(つのだ)社長から、、
   「ちょいCam豊 が成約になった」
   「他にも商談中」と言ううれしい連絡がありました。


   Yahoo、Googleで「ちょいCam」の検索が非常に上がっています。

   「ちょいCam」人気が、全国に拡がっています。
     夢を夢のまま終わらせたくない!
   「ちょいCam」が日本中へくまなく夢を運ぶ!!の夢を・・

     来年は実現させます。
   



今年もあと僅かになりました。

このまま、良い形で今年を終えられそうです。

終わりよければ、すべてよし!


来年はきっと良い年になる・・・

そんな、予感が

今からしています。



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