終戦記念日
今日、8月15日は、63回目の終戦記念日です。
この日以後に生まれた人を、「戦後生まれ」以前に生まれた人を、「戦中・戦前生まれ」と言われております。
戦後生まれの人が、今の日本の人口の 75%になったと聞きました。
私は、昭和17年8月31日生まれですので、戦中生まれになります。
と言うわけで、終戦の日、私はまだ3歳になっていませんでした。
3歳に満たなかった私でも、戦争当時の記憶があります。
〇 名古屋の街が空襲を受けた時に、西の空が真っ赤になっていたこと。
〇 空襲警報の直前、ラジオの臨時ニュースは、「敵戦闘機、B29の編隊、●●機 潮岬南方より接近中!」と,
言っていました。
〇 いつも、B29の編隊 は 潮岬 ・伊良湖岬 ・御前崎めがけてきたようです。ラジオから、岬の名前を覚えてしまいました。
〇 空襲警報が出ると、家の前に作ってあった、防空壕へ家族で急いで入ったこと。
〇 防空壕へ入ると19年11月生まれの妹が、爆撃音でいつもウンチをちびってしまったこと。
〇 家の軒下に、母親の訓練用の竹槍がかけてあり、竹槍の先に布が丸く結んであったこと。
〇 竹槍訓練の時、母親の背中で、掛け声にあわせ、私も「前、前」「後、後」と言っていたこと。
まだ幼かったので、当時に怖かった、とか、辛かったという思いはありませんでした。
その後、終戦直後の食糧難の時代は、腹ペコの毎日で、とても辛かったです。
サツマイモ、ソバ、キビ、ヒエ、セリ、ヨモギ、タンポポ・・・・食事はとても楽しいとはいえませんでした。
当時とてもまずいと思った、ソバ団子ですが、今では、ソバは大好きです。 どうしてだったのかなーと思います。
沢山の兵隊さんが犠牲になりました。
兵隊さんだけでなく、沢山の民間の人々も犠牲になりました。
太平洋戦争で、軍人、軍属 230万人 民間人 80万人 合計 310万人が尊い命を亡くしました。
終戦後も子供達はじめ、沢山の人々が、食料難で、栄養失調や病気で、苦しみ亡くなりました。
私達は、今の平和な世の中に感謝しなければならないと思います。
そして、2度と戦争に巻き込まれることがないようにみんなで、祈りましょう。
今日迎えた、63回目の終戦記念日にあたり、
戦争で犠牲となった沢山の、、、、、、御霊に、、、、「合掌」させていただきます。