22ページ目   私の ほっとな日常

うな丼安くならないの?



今年も やってきました
うなぎのシーズン

うな丼 の のぼり旗が

吉野家さんに並んでいます。


今年のシラスウナギは好漁と聞いていますので
去年よりきっと安くなるはずと楽しみにしていました。


昨年は
シラスウナギがどこかへ行ってしまったとかで
1キロ当たり・・・300万円だったそうです。

それが 今年は
イッパイ獲れているとかで
1キロ当たり・・・80万円だそうです。

こと シラスウナギの値段のみであれば
今年は、昨年の3分の1 以下です。

吉野家さん
昨年の、うな丼は、680円
今年の、うな丼は、730円 
今年は 50円の値上げです。

上がった消費税20円分が含まれていますが、
きっと昨年頑張り過ぎたのだと思いますが・・


シラスウナギが、成魚になるのに日数が必要であるにしても、

昨年と今年の値段で 納得できません。



でも昨年の値段を忘れて

今年の730円のみ見れば安いです。



その上 味が納得できたので・・
満足です。






吉野家さんのうな丼

安くておいしいので 

また 行こうと思っています。



昨年の値段のことは忘れます。


さぬきうどんにありつけない・・

香川県高松市で 
先月に続いて 第2回「ちょいCamきゃん」会議が
11日に 開催されました。

13時からの会議でした。




会議開催前に、腹ごしらえをしよう・・・

今回こそは 本場の 「讃岐うどん」をと ねらって、


さぬきうどん駅と言われる 高松駅前の

少し横ちょうにある 食堂へ・・・





かけうどん・・・¥250ー
ごはん  ・・・¥120-
きんぴら ・・・¥ 80- 
 全部で、、、、450円でした。

このうどん・・どうもさぬきうどんではないみたいです。







先月、会議の後、
居酒屋さんへ連れて行っていただきました。
最後に シメの一品として出てきたのが・・
「カレーさぬきうどん」でした。

自分は なんか、、讃岐うどんらしくない・・・と思いました。



一度 自分が納得する これぞ讃岐うどんという・・うどんが
食べてみたいものだと思っています。



来月も 会議が予定されています。

「3度目の正直」と言います。


今度こそは、早目に 行って、

これぞ讃岐うどんという、本場らしい 

「さぬきうどん」を 制覇したいものだと思っています。




さぬきうどん駅(高松駅)に・・・
賑やかな、
列車が止まっていました。






次回こそは、、、、

本場の「讃岐うどん」をいただくぞ!

瀬戸大橋を渡る列車のなかで、

誓いを新たにしました。



信楽焼たぬき

先日 ユーズネットのバスツアーで、
近江八幡へ行きました。

名神高速道路の
多賀サービスエリア
に立ち寄りました。


信楽陶器市を開催していて

信楽焼の「たぬき」がいっぱい並んでいました。


ふくよかないろんな顔した「たぬき」を
ずっと眺めていましたが、
心が安らぎ
いつまでたっても 飽きてきません。

バスの出発時間が迫ってきましたので、

写真に撮って、

持ち帰ることにしました。


つらい時・・・

苦しい時・・・

疲れた時・・・


「たぬき」の写真に癒してもらおうと

思います。





北アルプスの展望台へ

ゴールデンウィーク

日頃やり残したことをしたいし・・・

ゴールデンウィークらしいこともしたいし・・・

「そうだ!!」 山を見に行こう!


午後から ゆっくり下り坂と言う 天気予報の4日

行ってきました。


安曇野の東に位置する長嶺山

天平の森へ





絶景が見渡せる 宿舎食堂で・・

「ざるそば」をいただきながら、

安曇野の向こうにそびえる

残雪の北アルプスをゆっくり眺めてきました。



左(南)から常念岳・横通岳・東天井岳・大天井岳・燕岳の山々を

堪能してきました。


往復、7時間の

私にとって とても 

リッチな「旅」 で・し・た。

 


父親の遺品


私の父親は

明治40年生まれです。


昭和44年、私が27歳の時 くも膜下出血でなくなりました。

62歳でした。


私の すぐ上の兄 長男が家を継ぎました。

その後、平成12年に、母も92歳で他界しました。



兄も、先月 4月6日になくなってしまいました。





昨日 儀姉の依頼で、

父・母の遺品を預かってきました。



私の父母の遺品が 

相当量あるとのことでしたので、

ワゴン車を用意。


15歳と9歳の孫を、

荷物の運び役として連れて行きました。



 


預かってきた遺品のなかに、

父が 終戦時に 戦地より持ち帰ってきた

鉄かぶと と 水筒 がありました。



鉄かぶとを見て、9歳の孫は、

「これ ナニかなぁ??」 とけげんな顔をしていました。



父は、明治40年生まれ

孫は、平成17年生まれです。


私の父が生まれてから、

100年近く 時を隔てて、 

この世に生を受けた9歳の孫。





この100年の間に、

日本はいろんなことを経験してきました。


そして大きく変わりも しました。


戦争が、終わったのは、

孫が生まれる、60年前です。




遺品の 鉄かぶとに手を合わせ

苦労多かった 先祖に先ず 感謝!



明治・大正・昭和初期の先人達が

苦労を重ねて この国を創ってきました。

そのことを 昭和の中・後期生まれの私たちが

感謝の念で 中継ぎをし 

次の世代に伝える義務があります。



改めて思いました。













ある部屋の こいのぼり



通勤途上で見つけました。


高いところで、
さみしく泳いでいました。




おじいちゃん、おばーちゃんの贈り物?


鯉が泳いでいる、
マンションのこの部屋は、


どんなご家族なのかな?

きっと ほのぼのとした御家族なんだろうなぁ・・


こいのぼりの部屋の
ぼくちゃん・・・・

おじいちゃん・・
おばあちゃん・・
お父さん・・
お母さん・・から
イッパイの思いをいただいて、

良い子に育ってください。



こいのぼりを見て
なんか、、、今日は、
朝から心温まりました。






白馬岳に散った友

5月 2日、

47年前、
白馬岳で亡くなった親友の命日が

今年も また めぐってきました。


彼とは 高校の同級生で、

山へはいつも一緒でした。


・・・昨日、14時15分の、白馬岳ライブカメラより・・・
右から、小蓮華山、白馬岳、杓子岳、鑓ヶ岳

5月2日前後になると、 毎年のように、

彼のことを ブログに書いています。


5月2日をブログに最初に書いたのは 
7年前でした。

2007年05月02日 私のブログより・・
・・本文そのまま・・


白馬岳・・・・

中学校1年生の夏、山に登ろう・・・
どうせ登るなら愛知県の最高峰に。
同級生をさそって登った茶臼山が、私の山の始まりでした。

中学2年生では、蓼科山へ登りました。

高校に入ってからは、
毎週のように、鈴鹿の山へ行ってました。

その時のとても親しい仲間に、
外山林生(とやま、しげお)君がいました。

高校時代から、私の山の半分には彼がいました。
彼とは、夜間大学もいっしょでした。

今からちょうど40年前のことです、
当時私はカローラを売るセールスマンでした。
昭和42年 5月 2日・・・あの日も私は仕事をしていました。


その日の昼、食事の為、喫茶店にいました。
ラジオは昼のニュースの時間でした。


「白馬岳で、名古屋市職員山岳会のメンバー1人が、700メートル滑落・・・」
「外山林生(とやま しげお)さん・・・」と言う名前、そして「絶望ーー」とアナウンサーの言葉・・
自分自身、血の気が引いたのを今でも覚えています。

すぐ社に帰り、上司に事情を話し、今から白馬へ行きたいから休みをくれるよう頼みました。
上司の答は・・
「井上君が行けば、友達は助かるのか?」でした。


その日は何も手につきませんでした。仕事を終えたら誰がなんと言おうが、白馬へ行く・・・
ちょうど翌日からは3連休でした。

「林生(シゲオ)!俺が行くまで待っていてくれ!」
夜を撤して走りつづけ、夜が明ける頃には白馬の麓にいました。
残念ながら麓で・・彼の変わり果てた姿との対面になってしまいました。


現地で火葬されることになりました。
彼をのんだ「白馬」の里は、遅い桜が満開でした。
真っ青な空に、残雪の白馬岳がまぶしく光っていました。

彼を天に運んだ「けむり」と・・・・
我々山の仲間で歌った
あの「雪山賛歌」

山よ、さよなら音符・・・

ご機嫌よろしゅう音符・・・

また来る時にも笑っておくれ音符水滴水滴・・・



涙でくしゃくしゃになりながらの歌声が、
むなしく「白馬岳」に消えていきました。



あの彼が最後の「山行」へ行く時、
私にアイゼン(雪や氷の上を歩く為の金具)を借りにきました。

冗談に、「おまえは死んでも、
アイゼンだけは返してくれ」といって貸しました。

残雪多い早朝の白馬岳(2932m)~小蓮華山(2769m)への尾根で、
アイゼンを衣服に引っかけて、
バランスをくずして滑落してしまったとのことでした。

俺のアイゼンで・・・何か自分が悪いことをしてしまったような・・・責任を感じてしまいました。

せめての償いのつもり、と、とても山を楽しむ気にもなれず、
あの時から自分は山を止めることにしました。

あれから16年経過して、40歳でまた山を再開しましたが、
55歳で社内の反対とゴルフを始めることで再度、
山を止めることにしてもう10年になります。

最近は山へ行きたいではなく、過去の山の懐かしさに浸ることがたびたびです。
実は今日、10年前に買った山の雑誌を見ていて、
白馬で亡くなった外山君を思い出してしまったのです。

私の二つ年下の妹は7年前に脊椎のガンで亡くなりました。
その妹が当時好きだった人が 山で亡くなった 外山君でした。

私はその妹の思いをかなえる「キューピット役」を引き受けていたのでした。

その思いを知ることなく彼は帰らない人になってしまったのです。
この事にも、私は責任を感じていました。


亡くなった妹の思いもザックにつめて・・・・
彼の50回忌までにもう一度「白馬岳」に弔い登山をしようと改めて誓いました。


以上が、7年前に書いた、私のブログです。



あっという間に年月はすぎ・・・

50回忌までに、あと2年です。

大丈夫かな??,
本当に登れるかな??

不安がよぎります。
 







桜に思う・・



6日の日曜日 

鳴海にいる兄が亡くなったと

知らせが入りました。

73歳でした。


3月から入院していたので、

今年は桜を見ることができなかったと思います。


今年の桜は、例年になくきれいだったから・・・

せめて最後に、見せてやりたかったなぁ と、

残念に思っています。








4月5日・・

通勤時
毎日楽しませてもらいました。

桜城跡公園の桜です。







ちごの口公園の桜は
4月1日に
ほぼ満開になりました。





今日 石野地区で見つけました。
市街地より 常に気温が 2~3度低いので、
今日、満開でした。



今年は桜が特にきれいで
市内の あちこちで
堪能させてもらいました。


何年前からか、

毎年 桜を見るたびごと

自分は あと何回桜を見ることができるだろうと

思うようになりました。



そして、年を追うごと

なんとなく

丁寧に見るようになりました。



今日満開だった桜は、

兄貴の分まで、しっかりと・・・

目に焼き付けさせていただきました。



この先 自分は・・・

あと何回、

桜を見ることができるのでしょう?

又、思ってしまいました。








春がきて 桜日和


 桜城址公園の桜が咲き始めました。

 待ちに待った 春の訪れです。


春になって・・・ 
銘酒 久保田でおなじみの 朝日酒造から
季節限定で越州 桜日和が出ています。




「山路」の駐車場をはさんで、北隣りは加藤酒店です。
豊田で唯一  朝日酒造 「久保田」の販売店です。


加藤酒店の御主人と朝日酒造の担当者の方が、
「山路」のカウンターで 談笑しておられました。



そこに私も加わり、

「山路」に入ったばかりの
越州 桜日和を味わいながら・・・
どんどん話が弾みました。



アルコール度数 13度ということもあり
春らしい とてもやさしい口当たりの良いお酒でした。


桜日和の話から始まって、

日本酒の いろは を お二人から 

沢山学ばせていただきました。









東北新幹線で大失敗の巻

昨日の、仙台 日帰り出張の話です。

安城駅へは、予定列車出発の20分前には到着して、まずは、やれやれ・・

いままで混雑を知らない三河安城駅のみどりの窓口に、

さすが3連休の初日

10人以上列を作って 外まで並んでいるではないですか。



予定列車出発5分前にやっと順番が回ってきました。

時間がなく、気持ちが焦ってしまい・・・

名古屋⇒東京⇒仙台⇒多賀城 とすべて自由席で購入して急ぎホームへ。

「こだま」で先ず名古屋へ戻り 名古屋から「のぞみ」で東京です。


「のぞみ」の指定席は、びっしり満員でした。

何と、1番後ろ 1号車の自由席はガラガラでした。

「こんな混雑する日は、自由席に限る・・」

変に優越感を楽しみながら・・・東京に着きました。


東京まで、「のぞみ」の自由席





乗り換える 東北新幹線 「はやぶさ9号」はすでにホームにとまっていました。

指定席は、やはり埋まっているようなので、

先ずは列車に乗って自由席を探そうと列車内を歩いているとき、

列車は動き出しました。



間もなく 車掌さんのアナウンス・・・

「この列車は、全席指定席となっています」

「グリーン車を含め座席はすべて埋まっておりますので、
必ず指定の座席にお座りください」 で、万事休す です。

仙台まで、トイレの隣のデッキで、
1時間半強 立ったまま・・・
久しぶりに、列車でつらい思いを体験させてもらいました。





仙台でJR仙石線に乗り換え・・9駅先の多賀城という駅まで
今度はとても空いていました。

途中に気が付きました。
駅で停車してもドアーが開きません。

いつか、群馬へ行った時は、
女の子に開けもらった覚えがあります。

でもこの列車には、その時のように 

ドアーを手で開けるレバーがありません。


このまま目的駅まで着いたらどうしよう・・

改めてドアーを見たら、
シールが貼ってあり・・書いてありました。
「あける」ボタンを押してください・・と・・


よくよく見ると、
列車が止まると、
ボタンにライトがつくようになっていました。

簡単なことでしたが、
降りるときは 列車内には自分だけとなっていました。
とてもあせりました。


指定席が取れないほどの混雑している新幹線自由席で
ゆったり窓際の席で優越感に浸ったり・・

トイレの横で、1時間半強、立ちつくしたり・・

ドアーの明かない電車で焦ったり・・


いろいろあった、仙台出張でした。




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