22ページ目   私の ほっとな日常

北アルプスの展望台へ

ゴールデンウィーク

日頃やり残したことをしたいし・・・

ゴールデンウィークらしいこともしたいし・・・

「そうだ!!」 山を見に行こう!


午後から ゆっくり下り坂と言う 天気予報の4日

行ってきました。


安曇野の東に位置する長嶺山

天平の森へ





絶景が見渡せる 宿舎食堂で・・

「ざるそば」をいただきながら、

安曇野の向こうにそびえる

残雪の北アルプスをゆっくり眺めてきました。



左(南)から常念岳・横通岳・東天井岳・大天井岳・燕岳の山々を

堪能してきました。


往復、7時間の

私にとって とても 

リッチな「旅」 で・し・た。

 


父親の遺品


私の父親は

明治40年生まれです。


昭和44年、私が27歳の時 くも膜下出血でなくなりました。

62歳でした。


私の すぐ上の兄 長男が家を継ぎました。

その後、平成12年に、母も92歳で他界しました。



兄も、先月 4月6日になくなってしまいました。





昨日 儀姉の依頼で、

父・母の遺品を預かってきました。



私の父母の遺品が 

相当量あるとのことでしたので、

ワゴン車を用意。


15歳と9歳の孫を、

荷物の運び役として連れて行きました。



 


預かってきた遺品のなかに、

父が 終戦時に 戦地より持ち帰ってきた

鉄かぶと と 水筒 がありました。



鉄かぶとを見て、9歳の孫は、

「これ ナニかなぁ??」 とけげんな顔をしていました。



父は、明治40年生まれ

孫は、平成17年生まれです。


私の父が生まれてから、

100年近く 時を隔てて、 

この世に生を受けた9歳の孫。





この100年の間に、

日本はいろんなことを経験してきました。


そして大きく変わりも しました。


戦争が、終わったのは、

孫が生まれる、60年前です。




遺品の 鉄かぶとに手を合わせ

苦労多かった 先祖に先ず 感謝!



明治・大正・昭和初期の先人達が

苦労を重ねて この国を創ってきました。

そのことを 昭和の中・後期生まれの私たちが

感謝の念で 中継ぎをし 

次の世代に伝える義務があります。



改めて思いました。













ある部屋の こいのぼり



通勤途上で見つけました。


高いところで、
さみしく泳いでいました。




おじいちゃん、おばーちゃんの贈り物?


鯉が泳いでいる、
マンションのこの部屋は、


どんなご家族なのかな?

きっと ほのぼのとした御家族なんだろうなぁ・・


こいのぼりの部屋の
ぼくちゃん・・・・

おじいちゃん・・
おばあちゃん・・
お父さん・・
お母さん・・から
イッパイの思いをいただいて、

良い子に育ってください。



こいのぼりを見て
なんか、、、今日は、
朝から心温まりました。






白馬岳に散った友

5月 2日、

47年前、
白馬岳で亡くなった親友の命日が

今年も また めぐってきました。


彼とは 高校の同級生で、

山へはいつも一緒でした。


・・・昨日、14時15分の、白馬岳ライブカメラより・・・
右から、小蓮華山、白馬岳、杓子岳、鑓ヶ岳

5月2日前後になると、 毎年のように、

彼のことを ブログに書いています。


5月2日をブログに最初に書いたのは 
7年前でした。

2007年05月02日 私のブログより・・
・・本文そのまま・・


白馬岳・・・・

中学校1年生の夏、山に登ろう・・・
どうせ登るなら愛知県の最高峰に。
同級生をさそって登った茶臼山が、私の山の始まりでした。

中学2年生では、蓼科山へ登りました。

高校に入ってからは、
毎週のように、鈴鹿の山へ行ってました。

その時のとても親しい仲間に、
外山林生(とやま、しげお)君がいました。

高校時代から、私の山の半分には彼がいました。
彼とは、夜間大学もいっしょでした。

今からちょうど40年前のことです、
当時私はカローラを売るセールスマンでした。
昭和42年 5月 2日・・・あの日も私は仕事をしていました。


その日の昼、食事の為、喫茶店にいました。
ラジオは昼のニュースの時間でした。


「白馬岳で、名古屋市職員山岳会のメンバー1人が、700メートル滑落・・・」
「外山林生(とやま しげお)さん・・・」と言う名前、そして「絶望ーー」とアナウンサーの言葉・・
自分自身、血の気が引いたのを今でも覚えています。

すぐ社に帰り、上司に事情を話し、今から白馬へ行きたいから休みをくれるよう頼みました。
上司の答は・・
「井上君が行けば、友達は助かるのか?」でした。


その日は何も手につきませんでした。仕事を終えたら誰がなんと言おうが、白馬へ行く・・・
ちょうど翌日からは3連休でした。

「林生(シゲオ)!俺が行くまで待っていてくれ!」
夜を撤して走りつづけ、夜が明ける頃には白馬の麓にいました。
残念ながら麓で・・彼の変わり果てた姿との対面になってしまいました。


現地で火葬されることになりました。
彼をのんだ「白馬」の里は、遅い桜が満開でした。
真っ青な空に、残雪の白馬岳がまぶしく光っていました。

彼を天に運んだ「けむり」と・・・・
我々山の仲間で歌った
あの「雪山賛歌」

山よ、さよなら音符・・・

ご機嫌よろしゅう音符・・・

また来る時にも笑っておくれ音符水滴水滴・・・



涙でくしゃくしゃになりながらの歌声が、
むなしく「白馬岳」に消えていきました。



あの彼が最後の「山行」へ行く時、
私にアイゼン(雪や氷の上を歩く為の金具)を借りにきました。

冗談に、「おまえは死んでも、
アイゼンだけは返してくれ」といって貸しました。

残雪多い早朝の白馬岳(2932m)~小蓮華山(2769m)への尾根で、
アイゼンを衣服に引っかけて、
バランスをくずして滑落してしまったとのことでした。

俺のアイゼンで・・・何か自分が悪いことをしてしまったような・・・責任を感じてしまいました。

せめての償いのつもり、と、とても山を楽しむ気にもなれず、
あの時から自分は山を止めることにしました。

あれから16年経過して、40歳でまた山を再開しましたが、
55歳で社内の反対とゴルフを始めることで再度、
山を止めることにしてもう10年になります。

最近は山へ行きたいではなく、過去の山の懐かしさに浸ることがたびたびです。
実は今日、10年前に買った山の雑誌を見ていて、
白馬で亡くなった外山君を思い出してしまったのです。

私の二つ年下の妹は7年前に脊椎のガンで亡くなりました。
その妹が当時好きだった人が 山で亡くなった 外山君でした。

私はその妹の思いをかなえる「キューピット役」を引き受けていたのでした。

その思いを知ることなく彼は帰らない人になってしまったのです。
この事にも、私は責任を感じていました。


亡くなった妹の思いもザックにつめて・・・・
彼の50回忌までにもう一度「白馬岳」に弔い登山をしようと改めて誓いました。


以上が、7年前に書いた、私のブログです。



あっという間に年月はすぎ・・・

50回忌までに、あと2年です。

大丈夫かな??,
本当に登れるかな??

不安がよぎります。
 







桜に思う・・



6日の日曜日 

鳴海にいる兄が亡くなったと

知らせが入りました。

73歳でした。


3月から入院していたので、

今年は桜を見ることができなかったと思います。


今年の桜は、例年になくきれいだったから・・・

せめて最後に、見せてやりたかったなぁ と、

残念に思っています。








4月5日・・

通勤時
毎日楽しませてもらいました。

桜城跡公園の桜です。







ちごの口公園の桜は
4月1日に
ほぼ満開になりました。





今日 石野地区で見つけました。
市街地より 常に気温が 2~3度低いので、
今日、満開でした。



今年は桜が特にきれいで
市内の あちこちで
堪能させてもらいました。


何年前からか、

毎年 桜を見るたびごと

自分は あと何回桜を見ることができるだろうと

思うようになりました。



そして、年を追うごと

なんとなく

丁寧に見るようになりました。



今日満開だった桜は、

兄貴の分まで、しっかりと・・・

目に焼き付けさせていただきました。



この先 自分は・・・

あと何回、

桜を見ることができるのでしょう?

又、思ってしまいました。








春がきて 桜日和


 桜城址公園の桜が咲き始めました。

 待ちに待った 春の訪れです。


春になって・・・ 
銘酒 久保田でおなじみの 朝日酒造から
季節限定で越州 桜日和が出ています。




「山路」の駐車場をはさんで、北隣りは加藤酒店です。
豊田で唯一  朝日酒造 「久保田」の販売店です。


加藤酒店の御主人と朝日酒造の担当者の方が、
「山路」のカウンターで 談笑しておられました。



そこに私も加わり、

「山路」に入ったばかりの
越州 桜日和を味わいながら・・・
どんどん話が弾みました。



アルコール度数 13度ということもあり
春らしい とてもやさしい口当たりの良いお酒でした。


桜日和の話から始まって、

日本酒の いろは を お二人から 

沢山学ばせていただきました。









東北新幹線で大失敗の巻

昨日の、仙台 日帰り出張の話です。

安城駅へは、予定列車出発の20分前には到着して、まずは、やれやれ・・

いままで混雑を知らない三河安城駅のみどりの窓口に、

さすが3連休の初日

10人以上列を作って 外まで並んでいるではないですか。



予定列車出発5分前にやっと順番が回ってきました。

時間がなく、気持ちが焦ってしまい・・・

名古屋⇒東京⇒仙台⇒多賀城 とすべて自由席で購入して急ぎホームへ。

「こだま」で先ず名古屋へ戻り 名古屋から「のぞみ」で東京です。


「のぞみ」の指定席は、びっしり満員でした。

何と、1番後ろ 1号車の自由席はガラガラでした。

「こんな混雑する日は、自由席に限る・・」

変に優越感を楽しみながら・・・東京に着きました。


東京まで、「のぞみ」の自由席





乗り換える 東北新幹線 「はやぶさ9号」はすでにホームにとまっていました。

指定席は、やはり埋まっているようなので、

先ずは列車に乗って自由席を探そうと列車内を歩いているとき、

列車は動き出しました。



間もなく 車掌さんのアナウンス・・・

「この列車は、全席指定席となっています」

「グリーン車を含め座席はすべて埋まっておりますので、
必ず指定の座席にお座りください」 で、万事休す です。

仙台まで、トイレの隣のデッキで、
1時間半強 立ったまま・・・
久しぶりに、列車でつらい思いを体験させてもらいました。





仙台でJR仙石線に乗り換え・・9駅先の多賀城という駅まで
今度はとても空いていました。

途中に気が付きました。
駅で停車してもドアーが開きません。

いつか、群馬へ行った時は、
女の子に開けもらった覚えがあります。

でもこの列車には、その時のように 

ドアーを手で開けるレバーがありません。


このまま目的駅まで着いたらどうしよう・・

改めてドアーを見たら、
シールが貼ってあり・・書いてありました。
「あける」ボタンを押してください・・と・・


よくよく見ると、
列車が止まると、
ボタンにライトがつくようになっていました。

簡単なことでしたが、
降りるときは 列車内には自分だけとなっていました。
とてもあせりました。


指定席が取れないほどの混雑している新幹線自由席で
ゆったり窓際の席で優越感に浸ったり・・

トイレの横で、1時間半強、立ちつくしたり・・

ドアーの明かない電車で焦ったり・・


いろいろあった、仙台出張でした。




桜が咲きました。


通勤の道・・

桜町1丁目交差点角に

小さな、小さな公園があります。


そこに背丈、2メートル程の 

かわいい 桜の木があります。





今日の温かさで・・

もう桜が 咲き始めました。


待ちに待った、

春のおとずれです。


出会いと、別れの季節

春が来たことを

桜が告げているようです。



この春 ユーズネット本部には、

新しいスタッフが3名入社します。


3名のスタッフを加えた 

新ユーズネットは

ますます進化していかなければなりません。





さくらが咲いたのを見つけて

改めて 責任を重く感じている

自分でした。







ゴルフコンペに参加しませんか



3月24日(月) ユーズネットのゴルフコンペを開催します。

開催場所・・・中京ゴルフ倶楽部 石野コース(貸し切り)

募集人数・・・30組120名(あと二組8名の余裕があります)

参加資格・・・ユーズネットグループ
       (車のユーズネット、山路、ルーコ、サンクス)のお客様、
        お取引先様、将来のお客様。 
        男女ともスコアー140以下で回れる方。
        お一人でのご参加も歓迎します。

締切   ・・・申込者が、120名になり次第 締めきらせていただきます。

申込受付・・・グループ会社各社にて、またはこのブログのオーナーメール
         より。

                 お問い合わせは、ユーズネット本部 井上まで
                    0565-31-7167 


だるまさんにいたずらされたお陰で。


あれっ下矢印!!!?
「だるまさんに、両目が入ってるっ!」



「やっと気付かれたぁ」

「いつ気がつかれるんだろうとみんなで話して、いたんですよっ
すぐ気がつかれると思ったら・・・1週間もかかったぁ」


「すぐに気がつくよ・・」

「いやぁ3日は気がつかないよ・・」

「一週間はかかるね・・」


いたずらで、だるまさんに紙で作って・両目を貼って・
私が、いつ気がつくか賭けをして楽しんでいた様子です。


残念ながら 
いちばん遅い日・・が・・あった・りぃーとなってしまいました。


このだるまさんは、24年の正月に
達成期限 平成25年12月31日として
とてつもなく大きな夢を描きました。

あまりに現実とかけ離れすぎていて、
最近では描いた夢から意識が遠のいてしまっていました。


 


だるまさんに誓った目標から・・
意識が、外れていた・・・

だるまさんの目は 「涙目」です。




本社事務所のスタッフのいたずらのお陰で・・

だるまさんに誓った大きな夢に 
再度 意識を強く持ち挑戦し続けます。



恐る恐るの血液検査・・

私の体が調子悪い時は・・
飲みすぎの時くらいで、
何十年か風邪もひいたことがありません。
だからではないのですが、近年、定期検診を受けたことがありません。

血液検査で健康状態が、良くわかります とある人に言われ、
受けてみようと思っても、、、
何か悪い結果が見つかったら、どうしよう・・・で、、
やっと今年になって、恐る恐る受けてきました。


明日には結果が出ますよ・・
「わかりました 結果を聞きに2・3日後にまいります」

何か悪い結果が出てたらどうしようと・・
一人心の底で、「ビクビク」 
その期間 1ヶ月半 やっと昨日結果を聞きに・・

恐る恐る「先生、どうでした?」

「井上さん、こんな(血液の)きれいな人、なかなかお目にかかれないですよ」
「素晴らしいですね」

「お酒飲みの症状が少し出ていますが、
1日か2日飲むのを休めばすぐ正常になりますよ
あとは全く問題ありません」 ・・・でした・・・

・・・・・こんなことなら、早く検査すればよかった・・・・・
・・・・・検査後、すぐ結果を聞きに来ればよかった・・・・・



こんな健康な体に生んでくれた、天国の両親に改めて感謝しました。


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