18ページ目   私の ほっとな日常

親友の50回忌

ゴールデンウィークの山

残念ながら

今年も 遭難事故の ニュースが

いくつも伝えられている。



一人の 遭難死が

どれほど多くの人々を悲しませることか・・・







学校も、山も いつも一緒だった


親友が、


白馬岳北の 小蓮華山の尾根から滑落して亡くなった。


49年前の5月2日だった。 


10年近く前から


50回忌までには、


もう一度


弔い登山をしようと心に誓っていた  が


その後 今日まで果たせていない。


年を追うごとに


実行がむつかしくなっている 自分を感じていた。



5月2日は


彼の50回忌 


という事は


この世で24年


あの世で49年 


この世の倍以上ともなれば


きっと すっかりあの世暮らしになれたことと思う。


きみが大好きだった妹も


16年前の今日 5月5日に そちらへ行ったよ。


ひょっとして 二人で 幸せな 


あの世暮らしをしているのでは。


そう思う事で、自分を慰めることにする。



あの世の 二人に 

・・・合掌・・・

白馬岳  彼は右(北)方向の小蓮華山へ向かう尾根から 滑落したと言われている。

2007年05月02日 私のブログより・・
・・本文そのまま・・


白馬岳・・・・

中学校1年生の夏、山に登ろう・・・
どうせ登るなら愛知県の最高峰に。
同級生をさそって登った茶臼山が、私の山の始まりでした。

中学2年生では、蓼科山へ登りました。

高校に入ってからは、
毎週のように、鈴鹿の山へ行ってました。

その時のとても親しい仲間に、
外山林生(とやま、しげお)君がいました。

高校時代から、私の山の半分には彼がいました。
彼とは、夜間大学もいっしょでした。

今からちょうど40年前のことです、
当時私はカローラを売るセールスマンでした。
昭和42年 5月 2日・・・あの日も私は仕事をしていました。


その日の昼、食事の為、喫茶店にいました。
ラジオは昼のニュースの時間でした。


「白馬岳で、名古屋市職員山岳会のメンバー1人が、700メートル滑落・・・」
「外山林生(とやま しげお)さん・・・」と言う名前、そして「絶望ーー」とアナウンサーの言葉・・
自分自身、血の気が引いたのを今でも覚えています。

すぐ社に帰り、上司に事情を話し、今から白馬へ行きたいから休みをくれるよう頼みました。
上司の答は・・
「井上君が行けば、友達は助かるのか?」でした。


その日は何も手につきませんでした。仕事を終えたら誰がなんと言おうが、白馬へ行く・・・
ちょうど翌日からは3連休でした。

「林生(シゲオ)!俺が行くまで待っていてくれ!」
夜を撤して走りつづけ、夜が明ける頃には白馬の麓にいました。
残念ながら麓で・・彼の変わり果てた姿との対面になってしまいました。


現地で火葬されることになりました。
彼をのんだ「白馬」の里は、遅い桜が満開でした。
真っ青な空に、残雪の白馬岳がまぶしく光っていました。

彼を天に運んだ「けむり」と・・・・
我々山の仲間で歌った
あの「雪山賛歌」

山よ、さよなら・・・

ご機嫌よろしゅう・・・

また来る時にも笑っておくれ・・・


涙でくしゃくしゃになりながらの歌声が、
むなしく「白馬岳」に消えていきました。



あの彼が最後の「山行」へ行く時、
私にアイゼン(雪や氷の上を歩く為の金具)を借りにきました。

冗談に、「おまえは死んでも、
アイゼンだけは返してくれ」といって貸しました。

残雪多い早朝の白馬岳(2932m)~小蓮華山(2769m)への尾根で、
アイゼンを衣服に引っかけて、
バランスをくずして滑落してしまったとのことでした。

俺のアイゼンで・・・何か自分が悪いことをしてしまったような・・・責任を感じてしまいました。

せめての償いのつもり、と、とても山を楽しむ気にもなれず、
あの時から自分は山を止めることにしました。

あれから16年経過して、40歳でまた山を再開しましたが、
55歳で社内の反対とゴルフを始めることで再度、
山を止めることにしてもう10年になります。

最近は山へ行きたいではなく、過去の山の懐かしさに浸ることがたびたびです。
実は今日、10年前に買った山の雑誌を見ていて、
白馬で亡くなった外山君を思い出してしまったのです。

私の二つ年下の妹は7年前に脊椎のガンで亡くなりました。
その妹が当時好きだった人が 山で亡くなった 外山君でした。

私はその妹の思いをかなえる「キューピット役」を引き受けていたのでした。

その思いを知ることなく彼は帰らない人になってしまったのです。
この事にも、私は責任を感じていました。


亡くなった妹の思いもザックにつめて・・・・
彼の50回忌までにもう一度「白馬岳」に弔い登山をしようと改めて誓いました。




ありがとう桜



ユーズネット各店近くの道路端 

通りすがりに 

桜を楽しませてもらえます。


今年も 桜が満開となりました。






桜を

植えた人

育てた人

管理している人

いろんな苦労があって

私たちは

桜を楽しむことができています。


桜を満開にさせた人々の苦労に感謝!

そして 桜を楽しめる自分の健康にも

感謝です! 



今晩から 明日にかけて

天気予報は 雨

残念ですが 今年の桜に 

もう 別れの時が来たようです。


来年も元気に咲いて
みんなを楽しませてください。

ありがとう! 桜さん・・・
  来年もよろしくネ








ホームステイ受け入れ


孫は、サッカー大好き少年です。

所属しているチーム の交流で

富山市のチーム所属の子供たちが

わが家で

ホームステイしています。

女の子2人 男の子も孫と2人で

合計4人です。



昨夜 私が帰宅した時間には

すでに就寝時間と思われ 

顔を合わす事はありませんでした。


日に焼けた 浅黒い顔の・・

自分の中でイメージができている  

サッカー少年・少女を想像していました。

 

朝、{ごたいめ~ん} と なり

想像は

見事に くつがえりました。



あまり 日焼けしていない・・
(冬の富山は日照時間が少ないからか)

律儀そうな雰囲気の 顔、態度、言葉使い・・
(学業も サッカー以上に努力している感じ)



こういう子たちが

現代の文武両道を目指して

勉学に励み

サッカーにも とことん打ち込み

立派に成長して行ってくれるものと

確信が持てました。



日本の将来は見捨てたものでないっ!

期待して良いゾ

認識を新たにしました。



わたしにとって 意義のある

今回の ホームステイ 受け入れでした。






  



満開の桜に感謝


徒歩通勤の途上

一番街の一角に一本だけ桜があります。



3、4日前から 咲はじめ

今年も今 満開となっています。





夜、9時過ぎまで

ライトアップされています。



「春めき桜」という品種のようです。


冬の間

早く咲かないかなぁ と 

ひそかに待ちわびていた桜です。


手入れされている 一番街の方と
満開の桜に「今年も ありがとう!」と
感謝しながら、通勤しています。



WE LOVEとよたが破れた



昨夜から 今朝にかけて 

季節外れの暴風が

通過していきました。









昼近く

所用で 豊田スタジアムへ・・


なんと 「恋」が 


無残にも 破れていました。


「WE LOVE とよた」



人の恋も

突然訪れる気熱(キアツ)?(気圧)の変化で

暴風のように 荒れて 破れることも。

早く修復しないと 一生悔やむことに・・






先週 開催した 「軽大会」の時

「WE LOVE とよた」 は

いい感じで・・

ぴんとしていました。



早い修復が 待たれます。







ご先祖様ごめんなさい

先祖のお墓は
緑区鳴海町有松裏にあります。



親の命日も 盆も 彼岸も お墓まいりができず
とてもご無沙汰してしまい 気になっていました。


先日 緑区役所に用があったので、帰りに
立ち寄ってきました。


彼岸も過ぎて2か月ほど過ぎた平日 水曜日とあって
墓参りをしている人は 誰もいませんでした。

他家の お墓にあるお花は
黄色や ピンクが生きていました。



残念ながら 井上家 のお墓は
花は枯れ 周りには 草が目立っていました。

申し訳ありませんと 手を合わせ謝ってから
まず枯れた花を片づけました。
まわりの草を取り お水をかけ
くすんだお墓を 素手でこすってみました。
あまりきれいになりません。


改めて 出直します 
と先祖に約束して帰りました。


次に、お墓参りをするときは

〇 お花
〇 洗剤と たわしかブラシ
〇 お線香

いいものが手に入りました
〇 ワンカップOZEKIの ローソク

墓参りはついで ではだめ・・
時間は作るもの・・

出直し墓参り、
近々に
かならず実行します。



スイス山で3文の損得


18日の日曜日は 

早く寝すぎてしまい(早寝は年相応かな)

19日月午前3時ころ一度起きてしまいました。

テレビのリモコンスイッチをいれたら・・

きれいな 山の景色が飛び込んできました。

NHKの 「美しき 世界の山々」という番組で

スイスの アイガーを映していました。





「おっ! 早起きは 3文の得」 とばかりに 見入ってしまいました。






アイガー北壁は 魔の絶壁として
映画にもなり とても有名ですが・・

魔の絶壁と言われる 北壁の登攀でなく

通常の登山でも、左右1000メートル以上切り立った

雪の痩せ尾根を行く・・・


テレビをみている自分が、

雪の尾根を、バランスを取りながら 

命がけで 登っている気分になってしまって

すっかりビビッてしまいました。



当然 目がさえてしまいました。


美しい山の景色で 3文の得をしたか


気持ちは すっかり雪の痩せ尾根を歩いて

ビビッてしまった分 大損をしたのか??


何はともあれ
尾根から滑落しなくてよかった・・・
昨日の早朝の出来事でした。









名古屋めしあんかけスパ

先日、
名古屋 伏見での用を済ませて
栄近く
あんかけスパ ヨコイへ行ってきました。

あんかけスパの元祖と言われているお店です。

あんかけスパが大好きで 

50年近く前から10年間ほど 

よく通ったお店です。


お店は2階にあります。

昔とあまり変わっていなくて

なつかしかったです。



ヨコイ のメインと思しきメニュー  

ミラネーズをいただきました。

テーブルや椅子 そして店内の配置も

ほとんど変わっていませんでした。

味もおそらく昔と変わっていないはずと思いながら、  

なつかしくいただいてきました。


帰り際 レジーにおられた 年配の女性に

「40年ぶりくらいに来ましたよ」
と言ったら

「味は変わっていなかったですか?」と問われました が・・

わたしの舌が 覚えていてくれませんでした ので

はっきりと変わっていなかったとは言い切れず・・

あいまいに 「なつかしかったです」と言って店を出ました。











昨日です・・

豊田市の 日ノ出町

あんかけスパの店 「わくわく家」で

ベーコンアスパラスパ サイズL¥900をいただきました。

2週間ほど間が空きましたので

あんかけスパ中毒の私には、

とても久しぶりの感がありました。

スパイスが効いて 軽い刺激が口の中で広がり

とても心地良かったです。



今の私にとって・・・・

あんかけスパを教えてくれて
あんかけスパ中毒になった 元祖の店は ヨコイ

名古屋めし あんかけスパの代表
あんかけスパのホームグランドは 
豊田の「わくわく家」なのです。



最近豊田市が 
名古屋グランパスのホームタウンと言われています。

名古屋めし あんかけスパのホームグランドは
豊田の「わくわく家」と 全国で言われる日も近いと思います。





あんかけスパ
「わくわく家」
http://wakuwakuya.boo-log.com/e221177.html






台風の被害


台風18号

昨日の予報では
紀伊半島へ上陸・・

雨台風で、風は大したことはないとのことでした。

今日は 水曜日で ユーズネットは 定休日です。



一人事務所で
やり残した ことをかたづけていた 9時半ころ・・

青空が見えました。
やれやれこれで、台風一過か?

と 思ったら・・・・



10時少し前から

一気に曇ってきて・・

「台風をなめんなよ!」と言わんばかりの

大嵐が襲ってきた!


ユーズネットの のぼり旗が 

強風で軒並み倒されて 吹き飛んだ。


真ん中で折れてしまってぶら下がっているもの・・

破れ 
ちぎれ
折れ 

道路へ飛んで行ったり



雨と強風が吹き荒れる最中
大変な思いで拾い集めました。


台風18号 なめていました。




反省!! 















ブランデーメロン



「山路」のカウンター席では たくさんのお客様と
親しくなれます。


「山路」で お取引先との会食は、お互いに打ち解けあい
本音で話ができて 取引が拡がります。


先日 山路で 親しくなったあるお客様が

私のためにと メロンを持ってきてくださり

ブランデーメロンをごちそうしてくださいました。



おいしくて、おいしくて・・

口当たりがよく どんどん体の中へ入ってしまいます。

ブランデーの 40度以上というアルコール度数を

感じさせません。



このお客様、

くるまを買われる知人をご紹介くださったり

今回は ブランデーメロンを ごちそうしてくださったり

お世話になりっぱなしです。




私にとって「山路」は・・・

健康維持の源

心休まる場

人脈形成の場

結果仕事に役立つ場なのです。


http://yamaji7005.com/
























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